2013年11月23日土曜日

反ワクチン運動という極めて悪質なデマの流布と戦おう

いま世界的にワクチン反対の運動というものが盛んになっています。

ワクチンは危険であるとか、効果が無いとか、とにかくワクチンが有害無益であると主張して、ワクチンの接種を拒否するようにそそのかしたり、ワクチン自体の開発や普及に反対したり、悪質なデマを流布する人々が増えています。

もちろんワクチンにも副作用はありますし、過去には危険性の高いワクチンなどが使用されていたこともありました。今後もワクチンの副作用などで問題が起きることはあるでしょう。

たしかに日本の厚生労働省は極めて怠惰で悪質な官僚集団であることは間違いありません。彼らは古い危険なワクチンを平然と使い続けたり、有用な新しいワクチンの普及をためらったりする、日本の官僚の中でも最悪の既得権集団です。彼らを擁護できる理由は何一つありません。

しかしワクチンにはそうした問題を考慮したとしても、それを大幅に上回る有益性があることは間違いの無い真実です。


ワクチンの有用性は、歴史的にも科学的にも完全に実証されています。

ワクチンが天然痘を撲滅したことはどんな教科書にも載っています。ポリオもいままさに根絶に向けた最後の一押しが進んでいます。10年後、20年後にはポリオも根絶された病気となることを期待します。

新しいワクチンの採用に関しては各国で厳密なテストが行われ、副作用などが最小で済むように、そして有用性がリスクを必ず上回るように厳格に管理されています。

ワクチンは100%安全でもありませんし、100%有益なものでもありません。しかし正しく使えば、接種を受けた人にとって極めて有益であり、人類社会にとって病気と闘うための最強の武器でもあるのです。

もちろんワクチンには一定の問題や危険性もあります。

しかしワクチンを否定する論には、極めて多くのデマが含まれており、さらにはワクチンを一律に有害無益として、接種を拒否するように煽動するなど、悪質な論者が多いのが問題です。

ワクチンを拒否する人は、自分の子供を危険な感染症の被害にさらすだけではなく、社会全体に感染症を流行させて、周りの人々をも危険にさらしているのです。

世の中には免疫不全症患者や卵アレルギーの人など、ワクチンを接種することができない人もいます。そうした人であっても、もし社会全体で多くの割合の人がワクチンを接種していれば、そうした弱い立場の人々も病気から守られるのです。これを集団免疫(herd immunity)と呼びます。

ワクチンを否定する悪質なデマは、健康食品やスピリチュアルなどの愛好者から世界的に広まっており、狂信者といっても良いほど強く信じ込む人々を増やしています。そして、いままさに日本にどんどん上陸してきている状況です。

こうしたデマによる子供や弱者への健康被害を、われわれはなんとしても防がなければなりません。


個々のワクチンを誰がどのように接種すべきかについては、医学的な議論の余地があります。

ワクチンの有益性の評価や、安全で効果の強いワクチンを安定して供給することには、技術的な難しさや、コスト面での課題も多く、まだまだ改善の余地のある分野です。そうした点について議論をすることは大変有益です。

こうした議論はワクチンを一律に否定する悪質なデマとは全く別の物です。しかし、ときとして悪質なデマが、正しい議論とまぜこぜにされて表現されているので注意が必要です。

たとえばインフルエンザワクチンは幼児には絶大な効果を発揮し、幼児の健康リスクを大幅に低減させることが確実に実証されています。しかし高齢者においては、インフルエンザワクチンの効果はそれほど確実に実証されているわけではありません。

最近開発されたコレラワクチンは、まだ効果や有用性があまり実証されておらず、WHOなどもあまり強く推奨していない状況です。新しいワクチンの有用性が実証されるには、時間がかかるでしょう。

2012年8月まで長い間利用されていた生ポリオワクチンは、ごくまれにポリオを発症させるという極めて危険な副作用を持っていました。そして日本では野生型ポリオウイルスに感染するリスクは極めて低いというか、ほぼゼロに近い状態でした。それにも関わらず、アメリカでは1987年に認可された安全な不活化ワクチンに早期に切り替えなかった厚生労働省は未必の故意による薬害犯罪者であることは間違いありません。

それに対して、HPV(ヒトパピローマウイルス)のワクチンの有益性は極めて高いものであり、こうしたワクチンの普及を渋っている厚生労働省は、ここでもまた多くの病気の犠牲者を生み出している不作為による殺人者と言っても良いでしょう。

また麻疹や風疹などのワクチンについても有益性は極めて高いと考えられていますが、日本では長い間、おたふく風邪ワクチンによる三種混合ワクチンの副作用の問題が発生して接種が中断していました。これももっと早期に解決することができたと考えられますが、そうしなかったのは厚生労働省の怠惰です。

しかし、こうした科学的で有益な議論と、反ワクチン運動の悪質なデマは、厳しく峻別されるべきであります。


私は、必ずしも反科学主義や反知性主義を片っ端から攻撃することが科学の普及のために役立つとは思っていません。それどころか、あまりに攻撃的な姿勢は科学の普及を妨げると思っています。

しかしながら反医学主義や反薬剤主義のような主張で利益を得ている人々や、イカサマ健康食品などは、多くの患者を苦しめている詐欺師・偽医療家集団であり、もっと強い規制が行われるべきであると思います。

そのなかでも、反ワクチン主義は、自分で自分を守ることができない弱い子供を犠牲にし、社会全体に病気を蔓延させ、ワクチンという最も有益な道具の普及を妨げる、デマのなかでも最も悪質なデマの一つと言っても過言ではないでしょう。

人種差別発言などと同じく、最も憎むべきデマであり、社会から徹底的に排除されるべき煽動行為です。

そして反ワクチン活動で利益を得る"自然療法家"や健康食品メーカーなどの人々は、危険かつ有害な偽医療家として投獄されるのが当然と言えるでしょう。

私は、反ワクチン運動を強く憎みます。なんとしてもこの愚かな運動が大いなる悲劇を引き起こすことを食い止めなければなりません。

2013年11月21日木曜日

なぜ起業チームにはプログラマーが必要なのか

IT産業は起業にもっとも向いた産業とよく言われます。

当初の資本金はあまり必要でなく、無難なビジネスモデルを構築すれば、早期にお金が入ってきますし、とてもうまく行けば人数などを増やすことなく加速度的に売上を増やしていくことができます。

しかしITビジネスを作り上げるためには、創業メンバーにプログラマーがいなければうまく行きません。

ITビジネスにおいて、ソフトウェアシステムとビジネスは密接に結びついているため、ビジネスとシステムのすりあわせをできるプログラマが創業メンバーにいなければいけないのです。

単なる外注や、一従業員のように受け身の立場でシステムを構築する人は、システムの仕様がきっちり決まっていればちゃんとした仕事をしてくれるでしょう。

しかし、システムの仕様を決めるのは、ソフトウェアの高度専門家でなければできない仕事です。

かといって通常の会社に外注して仕様を決めてもらおうとしても、ビジネスに対するオーナーシップを持っていませんから、システムの必要性からビジネス自体を変更したりすることができず、中途半端な仕事に終わってしまいます。

システムの仕様決定には、ビジネスのオーナーシップを持つ創業者レベルの人が携わるのが望ましいのです。

またシステム作成と仕様作成は一貫して同時並行して行うことが望ましいのです。なぜならシステムを作っている途中で、新たに設計上、ビジネスを変更したりする必要が明らかになるからです。

しかし外注する場合は、予め仕様を決めて発注しなければ、予算が確定しませんので、契約を結ぶのが難しくなります。

予め仕様を決めて発注してしまえば、予算は確定しますが、こんどはできあがったものが思うようにビジネスに適合するとは限らなくなります。


そういうことから、可能な限り、プログラマを創業メンバーとして迎え入れて、給料ではなく志に共感してくれて、株式をシェアすることで一緒にやってくれる人を探すことをおすすめします。(なかなかそういう人はでてこないとは思いますが)

もちろん「給料がなければ嫌だ」という人でも仲間にいれて良いと思いますが、とにかく企画レベルから参加してもらい、プロジェクトのオーナーの一人として扱うことが大切です。

単なるシステム開発会社に外注してシステムを作ってもらうというやり方では、IT起業が成功する確率は大幅に下がることでしょう。

プログラマではない人が、優秀なプログラマを探したり、優秀なプログラマを見分けることはなかなか難しいので、そこは悩みどころですね。

とはいえ、きちんと責任をもってチームメンバーとしてプログラムを書いてくれる人であれば、平凡な能力なプログラマーだとしても、外注先の優秀なプログラマーよりもマシであると僕は思います。

私自身は現在プログラミングの仕事はお受けしておりませんが、ITビジネスの企画・戦略・仕様策定のお手伝いなどのお仕事や、優秀なプログラマを抱える会社の紹介などしておりますので、 arai@mellowtone.co.jp までお気軽にお問い合わせください。

あと最近ではソニックガーデン永和システムマネジメントのように、プロジェクトのオーナーシップを持って共同開発という形でシステムを作ってくれる会社もあるようなので、プログラマがどうしても見つからなければ、そうした会社に依頼するのも一つの手かもしれません。

ではでは。

2013年11月9日土曜日

関税は日本の庶民を貧しくさせ、不健康にし、海外の農民をも貧しくしている

日本では農作物などに多額の関税や輸入制限がかけられています。

これは日本や日本国民にとって大きな害をもたらしています。

なぜなら食料品にかかる関税は、日本国民が安価な野菜などを購入することを妨げており、そのせいで庶民の生活は苦しくなり、庶民は安価な野菜が購入できないことにより不健康な食生活を強いられることになるからです。

関税というのは、直接徴収されるわけではないので、市民としては払っている実感の薄い税金です。しかし、実際には高い日本の農作物を買わされたり、海外の食料品が関税によって高くなるなどといった形で、市民から徴収されている税金の一種なのです。

目に見えない、厄介な税金です。


経済学的には関税は極めて厄介な存在です。

例えば、日本で米を作るのをやめて、タイやカリフォルニアで日本米を生産すればずっと安く上がるでしょう。そして日本では、その分の労働力で精密部品などを作れば、ずっとお金を儲けることができます。

関税は、そうした経済原理が働いて社会をより豊かにすることを妨げる存在です。

やはり日本の美味しくて安全なお米が食べたい、という人もいるかもしれませんが、今の日本の商社などは海外でも手広く事業を展開していますので、契約農場でこしひかりなどの日本の品種を安全に育てることが可能です。タイあたりでは有機栽培農場も徐々に登場しつつあります。


関税は、たしかに日本の農民を保護することにつながります。日本では東京に比べて地方や田舎の所得は低いので、農民には何らかの保護が必要なのは確かです。

しかし日本の農民を保護する方法としては、他にも農作物への補助金、所得補償や、都市への移住・教育補助など、さまざまな支援方法があります。

日本で零細農家をそのままの形で保護する以外にも、そうした人が都市へ移住して新しい仕事についたり、もしくは農業でも国際競争力のある日本でしか作れないような特化した農業や、大規模農業などに転業するなど、さまさま競争力を高める方法があります。

関税という縛りがなければ、自治体や政府は、補助金をさまざまな形で投入することができます。

たとえば農業のかわりに工場を誘致すれば、農業をやっているよりも収入が上がるかもしれません。高付加価値の作物に転作を促すことに使えるかもしれません。

また日本には農家以外にも多くの困窮している人がいますが、飲食店などのサービス業に勤めるような人はこうした保護を一切受けることができません。関税という支援策は、不公平であると言えます。

さらに「関税の聖域」があるせいで、日本は海外との自由貿易協定などの締結で不利な立場に立たされます。日本の自動車や電子部品などは、より不利な貿易条件を強いられることにもなるのです。これは国益を著しく損ないます。


関税がなければ、海外の農民、たとえばミャンマーやカンボジアなどの農家は日本に米を輸出することができて、より多くのお金を得られるようになります。

農業国には貧しい国が多く、こうした国を支援しようという志を持った人は日本にも大勢いますね。しかしNPOなどとして現地に渡って小学校を建てるなどしても、救える人はごくわずかです。

関税を廃止することは、NPOだのが援助するよりも、よほど効果的に農民を貧困から救います。


関税は、日本の庶民を貧しくし、不健康にし、農家を不効率な農業に縛り付け、日本の産業競争力を損なう諸悪の根源です。

関税は、農協のような既得権者が、地方住民や一般市民を犠牲にして既得権を守り続けるための施策です。

関税の廃止のために声を上げましょう。

2013年10月17日木曜日

人生に必要な知恵はすべて「コンサルタントの秘密」で学んだ ― ボールディングの逆行原理を知って人生の手痛い失敗を減らす

僕の人生にもっとも影響を与えた本を挙げろと言われれば、迷うことなく「コンサルタントの秘密」を挙げます。

これを読んでいなければ、僕はもう死んでいるかもしれない。それくらい僕にとって重要な本です。

この本は、ITコンサルタントであるワインバーグが、自身のコンサルティング経験から学んだ教訓を、寓話調に述べた本です。

コンサルタントのための教訓というよりは、人生のための教訓とでも言うべき内容です。IT業界では、この本を読んでいなければモグリというほど有名ですが、ぜひ別業界の人も読むべきでしょう。

すごく癖がある文章で、まわりくどい寓話調の記述から、真意を読み解くのは簡単なことではありません。2度3度読んでみて、ようやく意味がわかったり、実際に本書に挙げられてるようなトラブルで痛い目を見てから、ようやく重要性がわかったりする、そんな本です。

この本には多数の教訓と多数の寓話が出てきて、全体を貫くテーマはあやふやです。そのため、この本を人に紹介するときは、どのように紹介すればよいのか、いつも悩みますし、いまも悩みながら書いています。

人生には、知らなければ痛い目を見る知識というのが色々あります。卑近な例でいえば、「繁華街で客引きについていってはいけない」とか「うまい儲け話は転がっているはずがない」とか、そういう教訓は山ほどあります。

有名なところでは「能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。すると有能な一般社員も無能な中間管理職になる」というピーターの法則などがあるでしょう。

この本は、そういう教訓や法則のなかでも抽象的で知的なものを集めた本と言うこともできます。


そのなかでも私が最も感銘を受けて、いつも心の片隅に置いているのは「ボールディングの逆行原理」の章です。

「ものごとがそうなっているのは、そうなったからだ」という言葉は、すなわち今のような状態になっているには、それ相応の理由があるということです。

その状態がどれだけひどい、どうしようもない状態であるとしても、それはなるべくしてそうなったということです。

ひどい状況を見たときに、あなたは「こんなものは僕ならずっとうまくやれるのに!」と思うかもしれませんが、しかし、それは自惚れであり、もしあなたが責任者になったとすれば、手痛い失敗を犯して、大恥をかくことでしょう。

ひどい状況を引き起こすには、政治的理由、人間関係、顧客、予算、納期、技術的難易度、その他のわけがわからない呪いのような理由がいくらでも考えられます。

ひどい状況を見たときに、あなたが考えるべきことは以下の通りです。

  1. ひどい状況があるということは、ひどい状況を作り出す原因が近くにあるということであり、まずは全力で退路を確保しなければならない。
  2. ひどい状況は、前任者がアホだから作り出されたのではなく、有能な前任者が全力を尽くして善意でやった結果でも、そこまでしかできなかったと考えるべきである。
  3. いまある姿(as is)は、どんなにひどく見えるとしても、少なくとも局所最適にあるからそういう形になっているということを理解せねばならない。局所最適から一歩脱すれば、さらなる地獄のような悲惨さが待ち受けているかもしれない。
  4. 何も考えずに「私ならもっと良い仕事ができる」と言って、足を踏み込めば、確実に前任者と同じ轍を踏むことを理解すること。
  5. もし、それでもひどい状況を変えようとするのならば、「なぜそうなったのか?」を慎重に見極めて、「なにをやってはいけないのか」を見定めて、うぬぼれずに慎重に一歩ずつ改善を行うこと。
このことを知ってから、僕は「いまある姿」ということに対して畏敬の念を持つようになりました。「いまある姿」というのは、だいたいの場合はそうなるべくしてなっているのであり、簡単に変えたり、改善できたりするようなものではないのです。それを忘れれば、「いまある姿」は、あなたに対して強烈な一撃を加えるでしょう。

私は、数年ほど前に、自分のうぬぼれと迂闊さのせいで、泥沼のプロジェクトに足を突っ込み、自殺まで考えるというところまで追い詰められました。

それ以来「ボールディングの逆行原理」は常に私の心とともにあります。

2013年10月15日火曜日

いまごろになって原発問題をまとめるよ

わたしは現在のところ、原発反対派でも賛成派でもないですし、議論が過熱している間は、議論に参加する気もありませんでした。

そろそろ議論も収まってきたようですが、単に皆が飽きてしまっただけで、議論の質が高まらないまま関心が薄れたなぁ、と危惧しています。こないだCourseraでA Look at Nuclear Science and Technologyという授業を受講したりしたこともあり、ちょっと論点を整理してみようかと思いました。

まず原発の議論のうち、主要な論点は以下のようなものになると思います。

  1. 原発は地球温暖化対策としては現在、最も有力である。
  2. 福島原発事故は、日本社会や地域社会に対して、深刻な経済的・精神的な打撃を与えたし、同じようなことが二度と起こってはならないのは間違いない。
  3. 既存の原発は、多かれ少なかれ福島第一と同じようなリスクを持っているであろうし、それがどれくらい対処可能なのかどうかよくわからない。
  4. 既存の原発は、多額の建設費をかけて作られたものであり、それを廃炉にすれば、日本社会は何らかの形でその膨大な費用(償却損・それを一時的に代替する低効率の火力の燃料費・廃炉費用・温暖化対策費用など)を負担することになる。
  5. 使用済み燃料の最終処分や、廃炉費用がどれくらいになるのか、いまいちよくわかっていない。
一つ目の点ですが、原発は温暖化対策として現時点では最も有力であることは間違いないと思います。どこにでも建設することができ、膨大なエネルギーを生み出すことができます。太陽光発電、風力発電、地熱発電などは、まだそれだけの発電能力を持っていないと思います。

将来的には太陽光発電や地熱発電はかなり有望だと思われますが、まだいつごろ物になるのかよくわかっていません。今から新エネルギーの実証実験や研究開発への力強い投資を行っていくことは望ましいと思いますが、それを実用の発電手段とするのは時期尚早のように思います。

またそうした新エネルギーが物にならなかったときのリスクを考えれば、原発技術の研究開発や実証実験が止まることがあってはなりません。地球温暖化による災禍は、科学者たちの発言が正しいのならば、原発事故よりも大きなものになることでしょうから。

二つ目の点ですが、福島原発事故では幸いにして放射線障害により多数の人が死ぬようなことはありませんでしたが、避難による間接的な健康被害や、経済的被害、精神的被害などを考えれば、損失は膨大であり、決して二度とこのようなことが起こってはならないのは明白です。今になって、あの日の衝撃を忘れて、事故を矮小化するような態度は決して正当化されるものではないでしょう。

3点目ですが、既存の原発は多かれ少なかれ、福島第一事故のようなリスクを持っていることは確実でしょう。それがどれくらい対策が可能なのか、十分なリスク低減が行えるのか、私には良く分かりません。電源喪失はある程度の対応が可能としても、冷却剤喪失など他にもリスクはあるように思います。

これに関しては、多方面の科学者などが様々な立場から検証に当たるべきであろうと思います。とくに旧式の炉に関しては、厳しく安全性が検証されるべきでしょう。

これから新設する原発であれば、安全基準を高めて、リスクを数桁減らすようなことは可能と思いますが、そのような原発が経済的に見合うものなのかどうかの疑問があります。

4点目ですが、既存の原子炉を停止したり、廃炉したりすれば、その原子炉の持っている生産能力は無駄になることになり、膨大なコストが生じます。そのコストを一次的に誰が負担するとしても、最終的には国民全員にツケが回ります。

そのツケが回る額がどれくらいになるのか、それを踏まえた上でなければ、原発再開または廃止に向けた議論は空論となるのではないでしょうか。

最後に5点目ですが、原発のコストを新エネルギーなどと比較する上で、原発の放射性廃棄物や廃炉の最終コストがどれくらいになるのか良く分かってないのは、大きな問題であると思います。

早期に最終処分場を完成させ、試しに旧式炉を一つ二つ廃炉にしてみるべきでしょう。そのデータがなければ、議論が成立しませんから。


原子力科学の授業を受けて思いましたが、原発は非常に複雑なシステムですし、社会的にみてもその安全性や経済性の議論もなかなか複雑であるように思います。

しかし基本的な論点はこの5つに絞られるのではないでしょうか。こうした論点を踏まえた上で、建設的な議論ができれば良いですね。

2013年10月3日木曜日

オープンブックによるエンパワーメントと、管理会計としてのアメーバ経営

(本稿はアメーバ経営について基礎知識がある人を対象にしています。アメーバ経営は京セラが発明した経営システムです。基礎知識のない方は、京セラの創業者である稲盛和夫氏が書いたアメーバ経営 (日経ビジネス人文庫)を読むと良いでしょう)

アメーバ経営の本を読み終えて思ったが、アメーバ経営には二つの側面がある。

一つには、オープンブック(従業員への会計データの公開)によるエンパワーメント(権限委譲)という側面である。

もう一つには、管理会計の一つの合理的な手法という側面である。


アメーバ会計が管理会計の一つの手法であることは自明であり、論を待たない。

管理会計の書籍などに記載されている既存の管理会計の手法は、合理的で緻密な手法とは言いにくいものが多いように思う。ざっくりした恣意的な数値しか得られず、管理会計は過去の遺物のようにも見える。IT化などが進展した現在では、もっと細かい数値が容易に得られるので、恣意的な金額の配賦には合理性がないように思う。

それに対して、アメーバ経営は数人の細かい経営グループごとに利益を算出し、社内の財やサービスのやりとりを売買交渉で配賦することにより、経済学的にみて正当な数値が求められるように工夫している。

小単位の利益データが日次で得られるという点で、一人一人の従業員が利益=経営品質を把握しながら経営することを容易にするようにしている。

きわめて合理的で分かりやすく優れた手法であるとおもう。

しかしながら、管理会計の手法としてみた場合、製造業・流通業などのように日々のオペレーションから利益が生み出される、オペレーション重視の企業には適用しやすいが、そうではない企業には必ずしも適用できないように思う。

研究開発が重要な企業や、もしくは純粋なサービス業のように、利益や売上などの経営データが日々の経営品質よりもだいぶ遅行して反映されるような企業では、アメーバ会計はそのままでは適用しにくいのではないか。

そうした企業では、管理会計とは別にプロセス自体の品質を管理する手法が必要であると同時に、ポートフォリオ理論のような投資・ファイナンスの手法によって経営管理を行っていくことが求められるのであろう。


もう一つのオープンブックによるエンパワーメントという側面であるが、私にはこちらこそがアメーバ経営の本質であるように思われた。

通常の被雇用者である労働者には、経営マインドが欠落している。

すなわち自分のやっている仕事が、どのように自社にたいして利益をもたらしているのか、それが理解できていない。どういう仕事をすれば利益があがるのか分かっていない。

これは労働者にとっては自分の仕事の価値や、やるべきことを見いだすことができず、ストレスフルな状況である。

それと同時に、企業としてみれば、労働者の行動が必ずしも利益につながるとは限らず、経営の成績を落とす原因となる。

とくに問題となるのは、何が会社にとって利益になるのかわからない労働者は、正しい価値観や評価尺度を持たないので、迷走して自分勝手な行動に走ったり、意味のない派閥やルールなどを作ったりすることであろう。

利益という共通の目的と尺度があれば、それに向かって全社が共同して働くことができるので、無益なセクショナリズムや官僚主義は自ずと減ることになろう。

また管理職の育成という観点から見れば、経営マインドの持たない管理職は極めて有害な存在であるが、そもそも経営の意味を分からないまま働いてきた従業員にいきなり経営マインドを持て、というのは無理な話である。

アメーバ経営では、個々のアメーバに利益などの経営数値を開示するとともに、アメーバごとに経営の裁量権を持たせて、アメーバ単位で自由な経営活動が行えるようにしている。

これはアメーバのメンバー一人一人が経営者としてのマインドをもって、利益につながる活動を裁量を持って行えるということであり、従業員をいっぱしの経営者に育てるという目標がある。

これこそがアメーバ経営の本質であると私は思う。

経営の数値もわからず、何をやれば会社の利益につながるのか、それが分からない状態で働けというのは酷な話であるし、無駄な話であると思う。

一人一人が経営者としての意識を持ち、業務に主体性をもって利益を向上させるという共通の目標を持って働けば、仕事はずっと楽しいものになり、能力向上の余地も増えるだろう。

そのためには会計データを全社で共有することは必須である。KPIなどという言葉が最近は流行だが、会計データこそ企業にとって最も大切なKPIの一つであることは論を待たない。

その会計データを分かりやすくするために、一人一人のメンバーが自分の業務に関わる経営成績を理解できるように、細かく細分化するための一つの手法がアメーバという会計方式なのである。


ここで信賞必罰の人事体系などを導入すべきと思う人もいるかもしれないが、アメーバ経営では、アメーバの成績と報酬などを連動させることはしない。

これは、あくまでも会社全体の利益を重視し、偶然にも左右される結果によって社員を評価しないという哲学でもある。また、アメーバが暴走し、会社を犠牲にして自分の利益を極大化させようとすることを防ぐためでもある。

アメリカ式の業績連動人事は、一見すると合理的なようにも見えるが、本当に業績主義が良いのであれば大企業などに勤めず、自分でベンチャー企業を立ち上げれば良いのである。あくまで組織内であれば、業績ではなく、プロセスで評価されるべきであろう。

アメーバ経営について詳しく学ぶには以下の書籍"アメーバ経営論―ミニ・プロフィットセンターのメカニズムと導入"をお勧めする。書店で探した中では、もっともアメーバ経営について具体的に書かれた本のように思われた。学術書であり研究手法などについての能書きが長いので、そこを飛ばして読めば読みやすい。

2013年8月1日木曜日

oDeskで本格的な開発プロジェクトをやってみたよ

oDeskをつかって本格的なソフトウェア開発プロジェクト(1人月)をやってみたので、そのご報告です。oDeskをつかってみようと思う方には、かなり参考になるのではないかと思います。

oDeskとは、世界中にいるフリーランサーやアウトソース企業にさまざまな仕事を頼むことができるアウトソースサイトです。他のサイトと比べた特徴としては、作業内容の記録ツールを使った時給払いに対応していることです。クレジットカードで支払いできて送金も楽ちんです。

今回なぜoDeskを使ってみたかというと、純粋に海外アウトソーシングに興味があった点が一つ、もうひとつは少しでも開発コストを減らせないかという考えがありました。

開発コストの観点から言うと、oDeskで雇える人のうち、しっかりした実績があるような人の時給は$25くらいに設定されているので、人月40万円くらいの計算になります。

日本でもジュニアプログラマなら人月40~60万円くらいで雇うこともできるのではないかと思いますし、相当優秀なシニアプログラマでも人月80~120万円くらいなことを考えると、コスト削減効果としては、ちょっと微妙です。クラウドワークスを見れば、時給2500円くらいで働いてくれそうな人がごろごろいますし・・・

そういうわけなので、今回oDeskでの発注に踏み切ったのは、海外アウトソースの実情を知りたいという好奇心の点が大きいかもしれません。


使ってみて最初に思ったことは、プロジェクトマネジメントがしんどいということです。

英文でやりとりしたり、英文仕様書を書いたりする手間を考えると、プロジェクトマネージャーである私の作業時間が取られてしまいます。

そしてお互い外国に住んでいるわけなので、もしトラブルになったとしても訴訟などを通じて解決することは現実的ではなく、すべてを慎重に交渉して進めていく必要があります。また赤の他人に依頼するとなると、やりとりにもかなり気を遣います。

通常の開発案件であれば、国内の安いフリーランサーを見つけて、そういう人に頼むほうが楽なのかなー、と思いますね。そういう人が、うまく見つかればですけど。

もともと英語で開発してるとか、全世界向けに開発してるような会社であれば、oDeskはお勧めですけども、日本語でやってる普通の会社にとっては言葉の壁が厚いです。


今回の案件に関して言うと、かなりうまくいったと思います。

まず依頼した時点で、時給が高くても、きちんとした返事を返してきたウクライナの業者を選定しました。oDeskでは、雇う対象をフリーランサーに絞るよりも、業者に任せた方が安心感があると思いました。

彼らは、25ドルの時給の中で、プログラマーだけでなく、英語が上手な連絡担当者も担当者としてつけてくれました。なにか問題や不明点があれば、すぐに聞いてきますし、きちんと着実に仕事を進めていきます。こっちからいちいち突っつかなくても、向こうから主導的に仕事をしてくれます。

結果的に、日本で外注したときの予想価格に比べて、半額くらいの値段で、きちんとした品質の製品を完成させることができました。

日本のシステム開発業者と比べても、かなりそつのない真面目な仕事をしていると思います。この値段で、この品質でやってくれる会社があるのだから、アメリカなど英語圏のプログラマーは大変だろうなあ、と思いますね。


僕はあまり自分の仕事能力に自信を持っていないのですが、英語で一つプロジェクトを完遂させることができて、すこし自分の能力に自信が持てた気がします。