2013年11月9日土曜日

関税は日本の庶民を貧しくさせ、不健康にし、海外の農民をも貧しくしている

日本では農作物などに多額の関税や輸入制限がかけられています。

これは日本や日本国民にとって大きな害をもたらしています。

なぜなら食料品にかかる関税は、日本国民が安価な野菜などを購入することを妨げており、そのせいで庶民の生活は苦しくなり、庶民は安価な野菜が購入できないことにより不健康な食生活を強いられることになるからです。

関税というのは、直接徴収されるわけではないので、市民としては払っている実感の薄い税金です。しかし、実際には高い日本の農作物を買わされたり、海外の食料品が関税によって高くなるなどといった形で、市民から徴収されている税金の一種なのです。

目に見えない、厄介な税金です。


経済学的には関税は極めて厄介な存在です。

例えば、日本で米を作るのをやめて、タイやカリフォルニアで日本米を生産すればずっと安く上がるでしょう。そして日本では、その分の労働力で精密部品などを作れば、ずっとお金を儲けることができます。

関税は、そうした経済原理が働いて社会をより豊かにすることを妨げる存在です。

やはり日本の美味しくて安全なお米が食べたい、という人もいるかもしれませんが、今の日本の商社などは海外でも手広く事業を展開していますので、契約農場でこしひかりなどの日本の品種を安全に育てることが可能です。タイあたりでは有機栽培農場も徐々に登場しつつあります。


関税は、たしかに日本の農民を保護することにつながります。日本では東京に比べて地方や田舎の所得は低いので、農民には何らかの保護が必要なのは確かです。

しかし日本の農民を保護する方法としては、他にも農作物への補助金、所得補償や、都市への移住・教育補助など、さまざまな支援方法があります。

日本で零細農家をそのままの形で保護する以外にも、そうした人が都市へ移住して新しい仕事についたり、もしくは農業でも国際競争力のある日本でしか作れないような特化した農業や、大規模農業などに転業するなど、さまさま競争力を高める方法があります。

関税という縛りがなければ、自治体や政府は、補助金をさまざまな形で投入することができます。

たとえば農業のかわりに工場を誘致すれば、農業をやっているよりも収入が上がるかもしれません。高付加価値の作物に転作を促すことに使えるかもしれません。

また日本には農家以外にも多くの困窮している人がいますが、飲食店などのサービス業に勤めるような人はこうした保護を一切受けることができません。関税という支援策は、不公平であると言えます。

さらに「関税の聖域」があるせいで、日本は海外との自由貿易協定などの締結で不利な立場に立たされます。日本の自動車や電子部品などは、より不利な貿易条件を強いられることにもなるのです。これは国益を著しく損ないます。


関税がなければ、海外の農民、たとえばミャンマーやカンボジアなどの農家は日本に米を輸出することができて、より多くのお金を得られるようになります。

農業国には貧しい国が多く、こうした国を支援しようという志を持った人は日本にも大勢いますね。しかしNPOなどとして現地に渡って小学校を建てるなどしても、救える人はごくわずかです。

関税を廃止することは、NPOだのが援助するよりも、よほど効果的に農民を貧困から救います。


関税は、日本の庶民を貧しくし、不健康にし、農家を不効率な農業に縛り付け、日本の産業競争力を損なう諸悪の根源です。

関税は、農協のような既得権者が、地方住民や一般市民を犠牲にして既得権を守り続けるための施策です。

関税の廃止のために声を上げましょう。

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