(個人的にはそこにプログラミングも追加したいところですが、人生でどれくらい役立つかは疑問です。教養や知力を高めるという点では、すごく役に立つと信じていますし、仕事や学問の役には立つでしょう、しかしプログラミングそれ自体は人生において医学等ほど必要ではないですね。)
経済学を学ぶなら、スティグリッツの入門書か、クルーグマンのミクロ経済学を読めば事足ります。いきなり教科書だと経済学の考え方が分かりにくい点もあるので、先にエッセイ的なもの(ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで)を読んでおくのも良いでしょう。法学を学ぶなら、適当な刑法の入門書を読めば事足ります。どちらもさほど時間をかけることなくエッセンスを学ぶことが出来るでしょう。そして、それは確実にあなたの人生の役に立ちます。
ちなみにミクロ経済学と刑法を選んだのは、それらがマクロ経済学と民法よりも圧倒的にシンプルで分かりやすいからです。とりあえず分野の感じをつかむためだけなら、ミクロと刑法だけ押えておけばよいのではないかというのが、私の独断的意見です。
医学の世界だと、そこまでシンプルに一冊で全体を概観できる本というのは見当たりません。人間という複雑なシステムを扱う以上、一冊で全貌を把握しようというのは難しいのでしょう。そのうえ、世の中には「偽医学」の本や情報があふれており、本物の医者ですら偽医学を提唱したりする有様ですので、ややこしいですね。
それでも、人は医学を学んでおく必要があります。なぜなら本人の健康について最終的に責任を持つのは自分自身しかいないからです。医師の治療を受けるとしても、本人が知識を持って主体的に治療に取り組まなければ治らない病気は数多くあります。そもそも、本人が病気の危険性の認識や、治療の意欲をもたなければ、病院に行くこともなく、薬を飲むこともないのですから、どんな病気も治療できません。
残念ながら素人にとって医学を体系立てて学ぶというのは、かなり難しい行為です。そのような書籍も存在しません。そこで、本記事では、素人が医学を学ぶための一つの考え方を紹介しようと思います。
素人が医学を学ぶための切り口としては、3つの切り口があると思います。1つめが個々の病気について学ぶ方法です。2つ目が、薬について学ぶ方法です。3つめが、統計的な医学について学ぶ方法です。それに比べると、人間の身体の働きについて学ぶのは、学ぶことが膨大で難しいわりに成果があがりにくいので、素人向きではないでしょう。
本稿では、3つめの統計医学について紹介しようと思います。なぜかというと、医学にとって最も大事な考え方は統計であり、医学の発展は統計とともにあり、統計なくして医学はなりたたないからです。そして、統計医学について学ぶことは、世の中に氾濫する偽医学から身を守る方法になります。
ちなみに、個々の病気という観点から医学を学ぶことについては素人向けの良い資料が色々とあります。例えば、ウェブで読むならメルクマニュアル家庭版、本で買うならメイヨー・クリニック 健康医学大事典あたりでどうかと思います。
素人が薬学を学ぶための本は良い物が分かりませんので探してみます。見つかれば、また記事にしますね。
さて、統計医学とは言いますが、ほとんどの皆さんは「なぜ統計が医学と関係あるのか?」とお思いではないでしょうか。
なぜ統計が医学の役にたつのかというと、人間というのは個体ごとに大きなバラツキがあり、病気は確率的に発生し、薬は確率的に効果を発揮するからです。
ある病気にかかった人は、何もせずにいても20%の確率で治るとします。そのときに、Aという薬を飲んだ人も、同じく20%の確率で治るとしたら、その薬は全く効かないのと同じですね。しかし薬のメーカーは、その20%の事例を大々的に紹介して効能を謳うかもしれません。そのため薬事法などは、そうした宣伝を一部規制してはいますが、それでも偽医学やインチキ健康食品は世の中に蔓延しています。
医療では、必ず治療法を評価するときには個別の症例ではなく、統計的データによって評価しなければなりません。それも単なる統計的調査ではなく、実験によって立証される必要があります。
皆さんも「プラシーボ」という言葉について聞いたことがあると思います。
新薬の認可プロセスでは、同じ条件の患者を2つのグループに分けて、片方のグループに新薬を投与し、もう片方のグループには偽薬(プラシーボ)または既存の薬を投与して、その結果を比較します。結果を統計的に評価して、新薬が十分な効果を発揮していれば、薬として認可されます。
このプロセスには、ものすごい費用と労力がかかり、それが製薬会社の利益を圧迫し、医療費高騰の原因となっていますが、それでも省くわけにはいかない重要なプロセスです。
ちなみに、健康食品の宣伝やら、新聞の医学ニュースなどでは、「○○という薬を、試験管で○○という細胞に混ぜたところガンが消えた」とか「○○という薬を、マウスに投与したところガンが消えた」などという話がよく出てきますが、臨床医学的には全く意味のない話です。人間は試験管でもマウスでもありません。そのような新薬候補物質は無数とありますが、実際の薬として認められるのはそのうち何万分の一とか何百万分の一という世界です。
最近の臨床医学では、EBM (Evidence-based Medicine, 根拠に基づく医療)という言葉が一般的になりました。
それは臨床医学においては、常に質の高いエビデンス(証拠)を根拠として医療を行うべきである、という考え方です。エビデンスには以下の種類があります。一般的には、1が最も質が高いエビデンスであり、5はエビデンスとは通常見なされません。 [1]
1. システマティックレビュー (ランダム化比較試験のメタ解析)
2. ランダム化比較試験
3. コホート研究
4. 症例対照研究
5. 症例報告
システマティックレビューとは、ある治療に関する複数の研究成果の統計データについて、統合して統計的な分析(メタ解析)を行って、複数の研究成果を統合した質の高いエビデンスを提供します。 [2]
これによって特定の研究におけるバイアスを排除したり、複数の研究データ(症例数)を統合して質の高い統計データを得ることができます。医学研究には多額の費用がかかるので、個々の研究の症例数は限られたものになるため、メタ解析には大きな価値があります。
システマティックレビューの元祖かつ本家と言えるのが、米国のコクラン共同計画です。コクラン共同計画は世界のEBMの本山とも言え、臨床医学において最も信用できる情報源と見なされています。[3]
ランダム化比較試験は、先ほど述べたように新薬の承認などのさいに行われる研究であり、患者をランダムに2つのグループに割り付け、各グループにAという治療法と、Bという治療法のどちらかを行って、その結果を比較します。
現在は新薬の開発のさいには二重盲検法によるランダム化比較試験が必ず行われます。二重盲検とは、患者の治療を担当する医師も、患者がA/Bどちらのグループに属しているのか分からないようにするという方法です。患者と医師の双方が自分のグループを知ることができないので、「二重」盲検と呼びます。これにより、医師が治療や治療結果の判断に対してバイアスをかけることを可能な限り防ぎます。
この考え方は医学以外の分野にも容易に応用することができ、オーディオ製品や食品などの開発にも応用することができますし、マーケティングのA/Bテストなども同じ考え方ですね。人間という複雑でバラツキのあるものを研究するには、この方法しかありません。
手術などの他の治療法では、プラセボを投与することが難しいので、盲検(ブラインドテスト)を行うことは通常はできません。たまに「偽手術」といって、実際の治療を行わない偽の手術を行う実験もあるようですが、患者がそうした実験に参加したがるとは考えられないので、普通は無理でしょうね。その場合は、盲検することは諦めて、単なるランダム化比較試験を行います。
ランダム化比較試験は、個々の研究のなかでは最もエビデンスとしての質が高いと考えられています。しかし研究自体のデザインに問題があったり、発表バイアス(成果の良いものだけが広く公表される)があることもあるので、素人が個々の研究だけを見て、「この治療法はイケる!」と判断するのは危険です。
いわゆるトクホ(特定保健用食品)と言われる健康食品などは、ランダム化比較試験の結果に基づき認可されているようですが、それが優れた効能を保証しているとは限らないと私は思います。
一つには代用エンドポイントの問題があります。臨床試験の結果はエンドポイントとよばれる評価項目で評価されます。それには、「死亡率を下げる」「痛みをおさえる」など治療上の目的を達成したかどうかを評価する真のエンドポイントと、「食後の中性脂肪を下げる」など健康に利すると考えられる間接的な目標を評価する代用エンドポイントがあります。トクホの臨床試験では、短期間だけ代用エンドポイントが満たされれば良いという考え方のようです。それは必ずしも実際の健康への有用性を保証するものではありません。
いずれにせよトクホの試験は、新薬のように莫大なコストをかけて厳密に行われるのではない以上、眉に唾を付けて見た方が良いでしょう。厚生労働省がなぜこのような中途半端な制度を導入したのか不思議に思います。
コホート研究とは、ある集団についてライフスタイルや受けている治療などの要因について情報収集をしながら長期間の観察を行うことにより、何らかの要因(喫煙など)が健康に及ぼす影響について調査を行う研究手法です。
ランダム化比較試験に比べると、相関関係を見ることはできても、因果関係を直接に知ることはできませんので、その点でエビデンスレベルは低くなります。しかし、数多くの人間を長期間にわたって観察することができますので、ライフスタイルなどのもたらす長期的な影響を調べるには適しています。
症例対照研究はすでに病気にかかった人と、そうでない人がどのような要因にさらされていたかを調べて、病気の原因となる要因を探ります。研究が行いやすいのが利点ですが、統計的に質の良い情報を得るのは困難です。基礎医学研究や疫学研究では有用ですが、臨床上はあまり有用性がありません。 [4]
症例報告とは、一人または複数の患者の症例について「このような事例がありましたよ」という事例報告です。これは通常は考慮に値するエビデンスとは見なされません。ただし、発症した狂犬病という致死率100%の病気を、人類史上初めて治した症例報告には、素晴らしい価値があり、すぐに世界中の臨床家が真似をするようになりました。
治療法のエビデンスレベルについて知るには、学会等の発表している診療ガイドラインが有用な情報源です。診療ガイドラインには難解な物もありますが、一般向けに書かれたものもあり、わりとアップデートされており、役立つと思います。一般向けガイドラインのウェブサイトとしては、minds、がん情報サービス、科学的根拠に基づくがん検診推進のページなどがあります。[5]
一般的な素人が治療法の善し悪しについて判断するには、そのような診療ガイドラインを参照することが良いでしょう。mindsにはコクランレビューの抄訳も掲載されています。コクランレビューは現在の臨床医学界において最も信用できる情報源と考えて良いと思います。一般人でも容易に分かる内容、例えば電動歯ブラシなら回転振動式が良いといった内容も掲載されています。
このようなEBMという潮流のせいで、医学研究者は統計学の高い知識が問われるようになり、医学者にとって数学は極めて重要なスキルとなりつつあります。マーケティングや広告の業界人が、じょじょに統計学者やプログラマーに置き換えられつつあるのと似ていますね。
しかし実際には医師の統計の知識は限られたものです。臨床医にとっても、正しく医学情報を理解するために統計の知識が必要なことを考えると、医学教育における統計学の重みを強化しなければならないかもしれませんね。
最後に付け加えておくべきことは、自分という人間は「統計」ではないということですね。5%の人にしか効かない強い副作用のある抗がん剤を使うかどうか、それを判断できるのは自分しかいないということです。当然ですが、医者は、その情報を提供することはできても、判断を下すことはできません。
ですから、医学を学ぶことが大切なのです。さっそく医学を学び始めましょう。ちなみに英語ができる方ならCourseraにも医学や統計学のコースがいくつかありますよん。
参考文献:
- 看護ネット「エビデンスがある」とはどういうことか?
- JPT Online コクラン共同計画とは何か (2) システマティックレビュー
- JPT Online コクラン共同計画とは何か
- はてなダイアリー - 神はサイコロを振らない - 医学研究のデザイン
- 日本癌治療学会, がん治療ガイドライン, 良質な診療ガイドラインの条件
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