日本では、なぜか家庭用医薬品は処方箋医薬品(医療用医薬品)よりもずっと高いという状態が続いています。もちろん医療用医薬品は保険で3割負担なのですが、10割負担だとしてもその薬価は家庭用医薬品よりずっと安いものが多いかと思います。
医師や薬剤師の時間を使ったあげくに薬が安く買えるという逆転状況は、資本主義の原理に反しており、日本の医療費を増大させる原因になります。
医薬品業界には「薬九層倍」という言葉があり、薬は原価の9倍で売れるなどと言われています。
これは家庭用医薬品の世界では、薬店などの流通業界が大きな権益を握っていることや、家庭用医薬品への参入が厳しく制限されていることがあると思われます。
現在は厚生労働省が、薬剤師や薬局薬店などの利益を重視しているため、このような無法がまかりとおっていますが、そのうちに財務省や政府から圧力がかかって状況が変わることでしょう。日本の財政状況を考えれば10年以内に劇的な変化があってもおかしくありません。
では、どう変わるのか。
まず家庭用医薬品への参入規制が緩められ、ジェネリック医薬品製造会社が大々的に乗り出してきて、通販などの流通手段で大幅に安い薬を売ることになると思います。抗アレルギー剤を90日分まとめて3000円とか、そういう世界になると思います。
もうちょっと医師による指導が必要なような薬では、いちど医師が診察して処方したら、あとは薬剤師とのやりとりだけで長い期間の処方が受けられるリフィル処方箋の導入もありえるでしょう。
処方箋医薬品の通販による販売も可能となり、さらに家庭用医薬品の通販もさらに進むでしょう。
ただし、これらの改革には日本医師会の強い反発があるので、政治的には実現するのはかなり難しくなるでしょうね。
厚生労働省は間違った日本の薬局制度を廃してバンコクの薬局を見習え | 日に以て親しむ-新井俊一ブログ
以前もこのような記事を書きましたが、私は今は10年~20年のうちには変化があるかなという予想をするようになりました。日本の医療費は年間40兆円という恐ろしい水準になっており、もはや政治的圧力などをかまっていられる状態ではないと思いますので。
さらに踏み込んで、インド製ジェネリックを輸入して日本で正規販売できるようになれば、大幅に薬剤費を下げることが可能なのですが、日本政府はそこまでは踏み切れないでしょうね…。
2017年5月1日月曜日
2014年8月26日火曜日
悪徳を擁護する ― 私は今日をもって児童ポルノ擁護派に転じます
これまで私は、児童ポルノ規制反対という明確な立場ではなかったけれど、ここ数日の以下のニュースを見て、「児童ポルノ規制」というのは現代の魔女狩りであり、ナチスや北朝鮮を超える恐ろしい超監視社会の全体主義国家を誕生させる契機ともなりかねないと感じ、児童ポルノ擁護派に転ずることにしました。
MicrosoftのOneDriveに児童ポルノを保存していたら通報されて逮捕 - GIGAZINE
Gmailで児童ポルノを送信したと判断してGoogleが当局に通報、送信者逮捕 - GIGAZINE
2001年の航空機テロ以来、アメリカ合州国を中心として、自由社会や自由主義へのアンチテーゼとも言える動きが見られるのを目にしてきました。
テロとの戦いで、市民のプライバシーを侵害したり、空港で全裸スキャナーを稼働させたり、無駄な手荷物の規制などを導入したり、無関係な国に戦争を吹っ掛けたり、多くのことが起こりました。
動物愛護団体は、自分たちの主張を多くの人に信じ込ませ、単なる道徳的信条を法律による規制として他者に押しつけようとしています。それどころか日本がクジラを食べる自由を侵害するなど、内政干渉にまで及んでいます。
そして児童ポルノ規制は、欧米では魔女狩りじみた狂った状況になりました。児童ポルノは、ヘロインのように所持しているだけで重罪となるだけではなく、そのためならインターネットの大企業まで協力して、市民のプライバシーを完全に無視して行動しています。
現代のIT技術では全てのコンピュータはインターネットにつながり、極めて複雑なソフトウェアにより制御されています。そのため自分のコンピュータであっても、完全なコントロールを得ることは、ほぼ不可能です。
そうした状況下で、犯罪対策のためといえども、ITの主要な部分を握る大企業が、市民のプライバシーを自由に侵害できるとしたら、どんな社会になるでしょうか?
そして、もしそのプライバシーの侵害を、狂信的な政府が悪用するとしたら、どんな恐ろしいことになるでしょうか?
政府の許容する以外の一切の思想は取り締まられ、思想を持った瞬間に処刑されるような世界のできあがりです。
なぜプライバシーや自由を守るために、児童ポルノを擁護する必要があるのか? と思うかもしれません。単にプライバシーや自由の侵害だけに反対すればいいじゃないか、と。
しかし私は気づいてしまったのです。人間社会はしばしば抑圧的な社会を自ら作り出そうとするということに。
抑圧的な社会を作り出すために、「児童ポルノ」だとか「動物虐待」だとか「テロリズム」だとかいった悪役を生み出して、それを叩くという名目で抑圧を生み出すのです。
人々の怒りや善意の感情を巧みに動かして、抑圧を生み出します。
悪役への抑圧があるときに、単に個別の人権侵害事案にたいして立ち上がるだけでは、「抑圧を生み出す本質的構造」と戦うことができないと思うに至りました。悪役への憎悪や恐怖を生み出す構造自体と戦わねばならないと思います。
多くの人にとって児童ポルノは不愉快かもしれないが、それでも児童ポルノを所持して鑑賞することは犯罪にすべきでないと私は思います。配布することも犯罪にすべきではないかもしれないとすら思います。感情的になんでもかんでも違法にするのは間違っています。
たしかに、児童を使ってポルノを撮るなど言語道断でしょう。例えば、意味も無く動物を虐待する行為は、多くの人が不愉快に思うでしょう。ましてや飛行機を乗っ取って高層ビルに突っ込むなど、いかなる弁護の余地もありません。
しかし、だからといって、そうした行為への憎悪や恐怖が、独裁や抑圧へのフリーパスとなってはいけません。「児童ポルノなんて擁護することすらも許されない」というような考え方が蔓延することは、市民の権利にとって最も恐れるべき状況です。
どんなに憎むべき行為であっても、頭を憎悪に燃やし、怒りの余り何も考えられなくなるのは極めて危険です。
本当に規制されるべきものは何なのか、保護されるべき対象はなんなのか、冷静にそれを明確にしなければ、際限の無い抑圧を招くばかりです。
それを防ぐためにも、誰かが「擁護できないものこそを擁護する」立場に立つ必要があるのです。
テロリズムに関して言えば、飛行機を乗っ取られたり爆破されたりすることが防げればいいでしょう。しかし100%の安全性などというものは実現不可能なのですから、現実的な線で妥協をしなければならないのです。
多くの人が自動車の交通事故で死んでいきます。それに対して、飛行機は圧倒的に安全です。それを飛行機に余分な安全対策を課したがために、自動車に乗る人が増えれば、より多くの人を殺すことになります。
動物愛護に関して言えば、動物の残虐な取扱を禁止する倫理的根拠は極めて薄いように思います。「動物を愛護すべき」というのは、あくまで動物愛好家の信念にすぎないのですから、それを「動物を愛護したくない」という人にまで押しつけるのは、自由を不当に奪うものであると考えます。
もちろん現代では多くの人が動物を愛好していますから、動物を扱う産業などには動物の倫理的な取扱を定めるようなことは、それほどひどい自由の侵害とは言えないかもしれません。しかし「動物愛護」を金科玉条として、人間の価値を下に見て、医薬品の動物実験を規制するようなことがあれば、恐ろしい被害を人類にもたらすでしょう。
児童ポルノも同様です。
児童ポルノを所持して鑑賞したり、それを配布したりすることで、児童にどれほどの害が及ぶというのでしょうか? 児童ポルノを製造したり販売したりすることに比べれば、圧倒的に少ない害しか及ばないと言わざるを得ません。
私はリバタリアン(自由至上主義者)ではないので、「児童が自由意志において経済的対価をもらってポルノに出るのは自由じゃないか!」とまで主張するつもりはありません。
児童ポルノや児童買春は、児童の自由意志が十分に確認できないという点で、ある年齢以下は禁止して一定の罰を与えることはある程度の合理性があるとは思います。児童ポルノ製造も販売も禁止する合理性はあるでしょう。販売は製造のインセンティブになるので。
しかし児童ポルノの製造といえども、現状ではあまりにも幅広く捉えられすぎています。児童が自分のヌードを友人に送るだけで児童ポルノ製造罪と捉えられる恐れがあります。そのような間違った立法は直ちに是正すべきです。
また英米で児童ポルノ製造や児童買春が、大量殺人のような重大犯罪と捉えられるのは、あまりにも行き過ぎであると言わざるを得ません。日本がそのような社会にならないことを切に願います。
自由を制限する動きは、善意を装ってやってきます。
悪徳こそが自由にとっての炭鉱のカナリアです。悪徳にも寛容な社会こそ、普通の人にも寛容な社会であるのではないでしょうか。悪徳を擁護することが、自由社会を守ることだと思います。
だから、私は大手を振って自分の悪徳を認め、悪徳を擁護していきたいと思います。
こんなことを堂々と書いたらアメリカ合州国に入国できなくなりそうですけどね・・・
MicrosoftのOneDriveに児童ポルノを保存していたら通報されて逮捕 - GIGAZINE
Gmailで児童ポルノを送信したと判断してGoogleが当局に通報、送信者逮捕 - GIGAZINE
2001年の航空機テロ以来、アメリカ合州国を中心として、自由社会や自由主義へのアンチテーゼとも言える動きが見られるのを目にしてきました。
テロとの戦いで、市民のプライバシーを侵害したり、空港で全裸スキャナーを稼働させたり、無駄な手荷物の規制などを導入したり、無関係な国に戦争を吹っ掛けたり、多くのことが起こりました。
動物愛護団体は、自分たちの主張を多くの人に信じ込ませ、単なる道徳的信条を法律による規制として他者に押しつけようとしています。それどころか日本がクジラを食べる自由を侵害するなど、内政干渉にまで及んでいます。
そして児童ポルノ規制は、欧米では魔女狩りじみた狂った状況になりました。児童ポルノは、ヘロインのように所持しているだけで重罪となるだけではなく、そのためならインターネットの大企業まで協力して、市民のプライバシーを完全に無視して行動しています。
現代のIT技術では全てのコンピュータはインターネットにつながり、極めて複雑なソフトウェアにより制御されています。そのため自分のコンピュータであっても、完全なコントロールを得ることは、ほぼ不可能です。
そうした状況下で、犯罪対策のためといえども、ITの主要な部分を握る大企業が、市民のプライバシーを自由に侵害できるとしたら、どんな社会になるでしょうか?
そして、もしそのプライバシーの侵害を、狂信的な政府が悪用するとしたら、どんな恐ろしいことになるでしょうか?
政府の許容する以外の一切の思想は取り締まられ、思想を持った瞬間に処刑されるような世界のできあがりです。
なぜプライバシーや自由を守るために、児童ポルノを擁護する必要があるのか? と思うかもしれません。単にプライバシーや自由の侵害だけに反対すればいいじゃないか、と。
しかし私は気づいてしまったのです。人間社会はしばしば抑圧的な社会を自ら作り出そうとするということに。
抑圧的な社会を作り出すために、「児童ポルノ」だとか「動物虐待」だとか「テロリズム」だとかいった悪役を生み出して、それを叩くという名目で抑圧を生み出すのです。
人々の怒りや善意の感情を巧みに動かして、抑圧を生み出します。
悪役への抑圧があるときに、単に個別の人権侵害事案にたいして立ち上がるだけでは、「抑圧を生み出す本質的構造」と戦うことができないと思うに至りました。悪役への憎悪や恐怖を生み出す構造自体と戦わねばならないと思います。
多くの人にとって児童ポルノは不愉快かもしれないが、それでも児童ポルノを所持して鑑賞することは犯罪にすべきでないと私は思います。配布することも犯罪にすべきではないかもしれないとすら思います。感情的になんでもかんでも違法にするのは間違っています。
たしかに、児童を使ってポルノを撮るなど言語道断でしょう。例えば、意味も無く動物を虐待する行為は、多くの人が不愉快に思うでしょう。ましてや飛行機を乗っ取って高層ビルに突っ込むなど、いかなる弁護の余地もありません。
しかし、だからといって、そうした行為への憎悪や恐怖が、独裁や抑圧へのフリーパスとなってはいけません。「児童ポルノなんて擁護することすらも許されない」というような考え方が蔓延することは、市民の権利にとって最も恐れるべき状況です。
どんなに憎むべき行為であっても、頭を憎悪に燃やし、怒りの余り何も考えられなくなるのは極めて危険です。
本当に規制されるべきものは何なのか、保護されるべき対象はなんなのか、冷静にそれを明確にしなければ、際限の無い抑圧を招くばかりです。
それを防ぐためにも、誰かが「擁護できないものこそを擁護する」立場に立つ必要があるのです。
テロリズムに関して言えば、飛行機を乗っ取られたり爆破されたりすることが防げればいいでしょう。しかし100%の安全性などというものは実現不可能なのですから、現実的な線で妥協をしなければならないのです。
多くの人が自動車の交通事故で死んでいきます。それに対して、飛行機は圧倒的に安全です。それを飛行機に余分な安全対策を課したがために、自動車に乗る人が増えれば、より多くの人を殺すことになります。
動物愛護に関して言えば、動物の残虐な取扱を禁止する倫理的根拠は極めて薄いように思います。「動物を愛護すべき」というのは、あくまで動物愛好家の信念にすぎないのですから、それを「動物を愛護したくない」という人にまで押しつけるのは、自由を不当に奪うものであると考えます。
もちろん現代では多くの人が動物を愛好していますから、動物を扱う産業などには動物の倫理的な取扱を定めるようなことは、それほどひどい自由の侵害とは言えないかもしれません。しかし「動物愛護」を金科玉条として、人間の価値を下に見て、医薬品の動物実験を規制するようなことがあれば、恐ろしい被害を人類にもたらすでしょう。
児童ポルノも同様です。
児童ポルノを所持して鑑賞したり、それを配布したりすることで、児童にどれほどの害が及ぶというのでしょうか? 児童ポルノを製造したり販売したりすることに比べれば、圧倒的に少ない害しか及ばないと言わざるを得ません。
私はリバタリアン(自由至上主義者)ではないので、「児童が自由意志において経済的対価をもらってポルノに出るのは自由じゃないか!」とまで主張するつもりはありません。
児童ポルノや児童買春は、児童の自由意志が十分に確認できないという点で、ある年齢以下は禁止して一定の罰を与えることはある程度の合理性があるとは思います。児童ポルノ製造も販売も禁止する合理性はあるでしょう。販売は製造のインセンティブになるので。
しかし児童ポルノの製造といえども、現状ではあまりにも幅広く捉えられすぎています。児童が自分のヌードを友人に送るだけで児童ポルノ製造罪と捉えられる恐れがあります。そのような間違った立法は直ちに是正すべきです。
また英米で児童ポルノ製造や児童買春が、大量殺人のような重大犯罪と捉えられるのは、あまりにも行き過ぎであると言わざるを得ません。日本がそのような社会にならないことを切に願います。
自由を制限する動きは、善意を装ってやってきます。
悪徳こそが自由にとっての炭鉱のカナリアです。悪徳にも寛容な社会こそ、普通の人にも寛容な社会であるのではないでしょうか。悪徳を擁護することが、自由社会を守ることだと思います。
だから、私は大手を振って自分の悪徳を認め、悪徳を擁護していきたいと思います。
こんなことを堂々と書いたらアメリカ合州国に入国できなくなりそうですけどね・・・
2013年12月16日月曜日
Softether VPNを使って中国でインターネットを使う
【注意】たぶん中国で個人がVPNを使ってアクセスするのは犯罪です。(よくしらないけど)
さて中国に数日滞在してきたのですが、いつも中国で困るのはネットにアクセスできないということです。
日本人が日頃よく使うようなfacebook, twitter, google, gmailなどは金盾と呼ばれる国家ネット規制システムでブロックされており、全くアクセスできません。これでは友人と連絡もできないし、調べ物もできないし、仕事の連絡もできないし、大変困ってしまいます。
そこで今回はSoftether VPNを使って、VPN(仮想専用線)で日本のサーバー経由でインターネットにアクセスしてみることにしました。
VPNにはPPTPなど他のプロトコルもありますが、Softether VPNは高速で、かつSSLプロトコルを使うのでVPNを使っていることが判明しにくく、そのためブロックされにくいという利点があります。
以前は中国からPPTPで日本のデータセンターに接続を試みたことがありましたが、かろうじてつながるものの、速度が遅くて使い物になりませんでした。
Softether VPNは、他にも信頼できないネットワーク(公共のWiFiなど)からアクセスするときなど、幅広く使えますので、設定しておいて損はない製品です。Windowsに予め入っているPPTPと異なり、ソフトのインストールが必要になるのが難点ですが。
中国はネット利用者の情報を収集していると思われますので、セキュリティ上もVPNを使うことが望ましいでしょう。
結論から言うと、Softether VPNを使えば、2013年12月現在では中国でもある程度の自由なインターネット通信が可能です。facebookにもtwitterにも接続できます。なぜかGoogle社の運営するサイトはVPN経由だとアクセスが遅いように感じました。なぜでしょう。
但し、数日間なんども利用しているうちに徐々に速度が遅くなるようにも感じましたので、動的に通信制限などが行われている恐れもあります。ずっと同じサーバーを使い続けることはできないかもしれません。
Softether VPNの利用には、常時接続状態にあるサーバーまたはパソコンが一台必要です。可能な限り、固定IPアドレスを持つ物が良いでしょう。なぜなら信頼できないネットワークでは、DNSによって名前解決ができるかどうか、そもそも怪しいからです。
簡単な方法としては、ホスティングサーバーなどを一時的に借りてセッティングする方法があるでしょう。
インターネット上には他人が設置している自由に利用できるVPNサーバーなどもありますが、そういうものを利用すると全ての情報を盗み見られたり、不正ソフトを仕込まれたりする可能性がありますので、決して他人が設置したVPNサーバーは利用しないでください!
Softether VPNの設定には、GUIからリモートで行うことができる優れた仕組みを採用されていますので、ネットワークに詳しい人ならば誰でも設定が可能です。但し、ネットワークの基礎知識が無い人は、手引きなどがないと設定は困難でしょう。
パスワードなどをきちんと設定して、他人に勝手に使われないよう注意しつつ、設定を行って、まずは日本にいるうちに正しく通信ができるか確認してください。
「サーバー証明書を必ず検証する」という設定は必ずオンにして、サーバー証明書の仕組みを利用して下さい。さもなくば、中間者攻撃という方法によって通信が乗っ取られる危険性が多分にあります。中国政府くらいの能力を持つ組織であれば、それくらい簡単なことでしょう。
これで中国でも数日間なら何とかネット通信が可能になります。
私は中国語を習っていますので、中国に住めれば良いと思いますが、このようなネット規制の行われている国に住むのは難しいですね。正直言って、よく外国人がこんな国に住むよなあ、と思います。このような規制を続けたまま、中国が発展することは可能なのでしょうか?
中国という隣国が、強権的な政府を持っていることを残念に思います。早くもっと民主化してくれれば良いのですけれど。でも、もし中国が自由な民主主義社会になったら、中国はさらに発展して、日本やアジアはすぐにそのパワーに取り込まれてしまうでしょうね。
このような独裁強権国家である中国で検閲に協力してビジネスをするような外国企業は恥ずべきですし、そのような企業の行いを日本国民は許すべきではありません。Googleが中国政府の検閲を拒否して、中国市場から撤退したことは、まさに全世界の企業が手本として見習うべき行動です。
中国政府の検閲に協力することは、独裁国家の人権弾圧に協力することです。北朝鮮やシリアに武器を売ったりすることと大差ありません。将来的にはそのような人々は、国際刑事法廷で裁かれて投獄されることになる日が来ることを祈ります。
【注意】たぶん中国で個人がVPNを使ってアクセスするのは犯罪です。(よくしらないけど)
【免責事項】この記事に従った結果、公安に踏み込まれて銃殺刑になっても私は責任を負いかねますので、ご自分の判断でリスクを取って実行して下さい。
さて中国に数日滞在してきたのですが、いつも中国で困るのはネットにアクセスできないということです。
日本人が日頃よく使うようなfacebook, twitter, google, gmailなどは金盾と呼ばれる国家ネット規制システムでブロックされており、全くアクセスできません。これでは友人と連絡もできないし、調べ物もできないし、仕事の連絡もできないし、大変困ってしまいます。
そこで今回はSoftether VPNを使って、VPN(仮想専用線)で日本のサーバー経由でインターネットにアクセスしてみることにしました。
VPNにはPPTPなど他のプロトコルもありますが、Softether VPNは高速で、かつSSLプロトコルを使うのでVPNを使っていることが判明しにくく、そのためブロックされにくいという利点があります。
以前は中国からPPTPで日本のデータセンターに接続を試みたことがありましたが、かろうじてつながるものの、速度が遅くて使い物になりませんでした。
Softether VPNは、他にも信頼できないネットワーク(公共のWiFiなど)からアクセスするときなど、幅広く使えますので、設定しておいて損はない製品です。Windowsに予め入っているPPTPと異なり、ソフトのインストールが必要になるのが難点ですが。
中国はネット利用者の情報を収集していると思われますので、セキュリティ上もVPNを使うことが望ましいでしょう。
結論から言うと、Softether VPNを使えば、2013年12月現在では中国でもある程度の自由なインターネット通信が可能です。facebookにもtwitterにも接続できます。なぜかGoogle社の運営するサイトはVPN経由だとアクセスが遅いように感じました。なぜでしょう。
但し、数日間なんども利用しているうちに徐々に速度が遅くなるようにも感じましたので、動的に通信制限などが行われている恐れもあります。ずっと同じサーバーを使い続けることはできないかもしれません。
Softether VPNの利用には、常時接続状態にあるサーバーまたはパソコンが一台必要です。可能な限り、固定IPアドレスを持つ物が良いでしょう。なぜなら信頼できないネットワークでは、DNSによって名前解決ができるかどうか、そもそも怪しいからです。
簡単な方法としては、ホスティングサーバーなどを一時的に借りてセッティングする方法があるでしょう。
インターネット上には他人が設置している自由に利用できるVPNサーバーなどもありますが、そういうものを利用すると全ての情報を盗み見られたり、不正ソフトを仕込まれたりする可能性がありますので、決して他人が設置したVPNサーバーは利用しないでください!
Softether VPNの設定には、GUIからリモートで行うことができる優れた仕組みを採用されていますので、ネットワークに詳しい人ならば誰でも設定が可能です。但し、ネットワークの基礎知識が無い人は、手引きなどがないと設定は困難でしょう。
パスワードなどをきちんと設定して、他人に勝手に使われないよう注意しつつ、設定を行って、まずは日本にいるうちに正しく通信ができるか確認してください。
「サーバー証明書を必ず検証する」という設定は必ずオンにして、サーバー証明書の仕組みを利用して下さい。さもなくば、中間者攻撃という方法によって通信が乗っ取られる危険性が多分にあります。中国政府くらいの能力を持つ組織であれば、それくらい簡単なことでしょう。
これで中国でも数日間なら何とかネット通信が可能になります。
私は中国語を習っていますので、中国に住めれば良いと思いますが、このようなネット規制の行われている国に住むのは難しいですね。正直言って、よく外国人がこんな国に住むよなあ、と思います。このような規制を続けたまま、中国が発展することは可能なのでしょうか?
中国という隣国が、強権的な政府を持っていることを残念に思います。早くもっと民主化してくれれば良いのですけれど。でも、もし中国が自由な民主主義社会になったら、中国はさらに発展して、日本やアジアはすぐにそのパワーに取り込まれてしまうでしょうね。
このような独裁強権国家である中国で検閲に協力してビジネスをするような外国企業は恥ずべきですし、そのような企業の行いを日本国民は許すべきではありません。Googleが中国政府の検閲を拒否して、中国市場から撤退したことは、まさに全世界の企業が手本として見習うべき行動です。
中国政府の検閲に協力することは、独裁国家の人権弾圧に協力することです。北朝鮮やシリアに武器を売ったりすることと大差ありません。将来的にはそのような人々は、国際刑事法廷で裁かれて投獄されることになる日が来ることを祈ります。
【注意】たぶん中国で個人がVPNを使ってアクセスするのは犯罪です。(よくしらないけど)
【免責事項】この記事に従った結果、公安に踏み込まれて銃殺刑になっても私は責任を負いかねますので、ご自分の判断でリスクを取って実行して下さい。
2013年11月26日火曜日
なぜ日本でカジノ解禁なのか? 政治経済的に必要な配慮を考える
日本では最近、カジノを解禁しようという動きが盛り上がっています。
私は自由主義者であるので、ことさらに他人が賭博するのを咎め立てしようとは思いませんが、現在のカジノ解禁に向けた議論には多くの穴があると考えられます。
まず広く認識されていることとして、賭博は社会にとってはマイナスの働き(負の外部性)を持っていると考えられます。賭博は、困窮者を増やしたり、それによって犯罪や福祉費を増やしたりすることで社会に負の影響を与えます。要するに他人を困らせて利益を得ているということです。
また賭博はしばしば暴力団の資金源になったり、汚職官僚や汚職政治家や政治後援者の資金源となり、社会に腐敗をはびこらせます。新設されるカジノがどのような運営形式を取るとしても、警察の天下り先を増やすことは間違いないでしょう。
とくに現在、新聞などで報じられているように、特定の企業などに特区を作らせてカジノを運営させる方式だと、そうした企業に大きな利権を認めることになり、腐敗の原因となります。もっと広い層が参入できて利益を得られるようにすべきではないでしょうか?
賭博は先に述べたように社会悪ですので、賭博の胴元が得る利益の多くは税金などの形で社会に還元させるようにせねばなりませんが、そうした議論が不足しています。
もし賭博事業者が大きな利益を得るようになれば、その利益を使って新規出店やマーケティングを繰り返し、賭博利用者が増えすぎて、困窮する人も、悪事で儲ける人も増えすぎることでしょう。
そうしたことを考えると賭博事業者が胴元となって賭博ユーザーの負け分を利益として青天井に儲けることを許すべきではありません。
あくまで時間あたり少額の場代(遊戯料)を利益として取れるのみにするべきです。プレイヤーがそれ以上負けた分は税金として公の取り分にするか、他のプレイヤーの取り分にするべきです。
遊戯料を取るだけの事業を広く許すことにすれば、既存の賭け麻雀のような文化も合法化することができますし、腐敗官僚や政商の取り分も少なくすることができます。自由主義の観点から言っても良い手段です。
また既存のパチンコのような社会問題にしても、彼らも少額の遊戯料のみを得られるような規制を適用すれば、公平な観点から社会悪を規制することができます。
これは現在のように腐敗警察官僚によって運営される脱法行為である三店方式よりもずっと公正で透明な制度です。
場代を取るだけの賭博のようなことは株式や外貨取引を利用すればいくらでも合法的に行うことができるので、それに比べて社会悪を大きく増やすわけではありません。
さて、とりわけ「カジノを解禁して海外旅行者を誘致しよう」みたいな議論には、いくつもの大きな陥穽があることに注意すべきです。
カジノで本当に海外旅行者を誘致するだけなら、日本居住者は遊べないような制度にすべきです。そうすれば社会悪の影響を減らして、海外旅行者を誘致することができます。「海外旅行者を誘致する」といったお題目で日本人も入れるカジノを建設するような甘言に騙されてはなりません。
カジノで海外旅行者を誘致するなどといっても、日本の近くだけでもマカオ、韓国、フィリピン、シンガポール、カンボジアなど数多くの国にカジノがあります。このような状況下で、カジノを作っただけで本当に海外旅行客が誘致できるのでしょうか?
「カジノを作って海外旅行客を誘致」という砂上の楼閣のようなプランに、政治家がのせられて貴重な政治能力を浪費するべきではありません。
ましてや、そのような甘言を弄して日本人を危険な賭博に誘い込み多額の金を巻き上げようとする政商どもに甘い蜜を吸わせるべきではありません。
政治家がやるべき仕事はもっと他に重大なものがたくさんあるのではないでしょうか?
私は自由主義者であるので、ことさらに他人が賭博するのを咎め立てしようとは思いませんが、現在のカジノ解禁に向けた議論には多くの穴があると考えられます。
まず広く認識されていることとして、賭博は社会にとってはマイナスの働き(負の外部性)を持っていると考えられます。賭博は、困窮者を増やしたり、それによって犯罪や福祉費を増やしたりすることで社会に負の影響を与えます。要するに他人を困らせて利益を得ているということです。
また賭博はしばしば暴力団の資金源になったり、汚職官僚や汚職政治家や政治後援者の資金源となり、社会に腐敗をはびこらせます。新設されるカジノがどのような運営形式を取るとしても、警察の天下り先を増やすことは間違いないでしょう。
とくに現在、新聞などで報じられているように、特定の企業などに特区を作らせてカジノを運営させる方式だと、そうした企業に大きな利権を認めることになり、腐敗の原因となります。もっと広い層が参入できて利益を得られるようにすべきではないでしょうか?
賭博は先に述べたように社会悪ですので、賭博の胴元が得る利益の多くは税金などの形で社会に還元させるようにせねばなりませんが、そうした議論が不足しています。
もし賭博事業者が大きな利益を得るようになれば、その利益を使って新規出店やマーケティングを繰り返し、賭博利用者が増えすぎて、困窮する人も、悪事で儲ける人も増えすぎることでしょう。
そうしたことを考えると賭博事業者が胴元となって賭博ユーザーの負け分を利益として青天井に儲けることを許すべきではありません。
あくまで時間あたり少額の場代(遊戯料)を利益として取れるのみにするべきです。プレイヤーがそれ以上負けた分は税金として公の取り分にするか、他のプレイヤーの取り分にするべきです。
遊戯料を取るだけの事業を広く許すことにすれば、既存の賭け麻雀のような文化も合法化することができますし、腐敗官僚や政商の取り分も少なくすることができます。自由主義の観点から言っても良い手段です。
また既存のパチンコのような社会問題にしても、彼らも少額の遊戯料のみを得られるような規制を適用すれば、公平な観点から社会悪を規制することができます。
これは現在のように腐敗警察官僚によって運営される脱法行為である三店方式よりもずっと公正で透明な制度です。
場代を取るだけの賭博のようなことは株式や外貨取引を利用すればいくらでも合法的に行うことができるので、それに比べて社会悪を大きく増やすわけではありません。
さて、とりわけ「カジノを解禁して海外旅行者を誘致しよう」みたいな議論には、いくつもの大きな陥穽があることに注意すべきです。
カジノで本当に海外旅行者を誘致するだけなら、日本居住者は遊べないような制度にすべきです。そうすれば社会悪の影響を減らして、海外旅行者を誘致することができます。「海外旅行者を誘致する」といったお題目で日本人も入れるカジノを建設するような甘言に騙されてはなりません。
カジノで海外旅行者を誘致するなどといっても、日本の近くだけでもマカオ、韓国、フィリピン、シンガポール、カンボジアなど数多くの国にカジノがあります。このような状況下で、カジノを作っただけで本当に海外旅行客が誘致できるのでしょうか?
「カジノを作って海外旅行客を誘致」という砂上の楼閣のようなプランに、政治家がのせられて貴重な政治能力を浪費するべきではありません。
ましてや、そのような甘言を弄して日本人を危険な賭博に誘い込み多額の金を巻き上げようとする政商どもに甘い蜜を吸わせるべきではありません。
政治家がやるべき仕事はもっと他に重大なものがたくさんあるのではないでしょうか?
2013年11月9日土曜日
関税は日本の庶民を貧しくさせ、不健康にし、海外の農民をも貧しくしている
日本では農作物などに多額の関税や輸入制限がかけられています。
これは日本や日本国民にとって大きな害をもたらしています。
なぜなら食料品にかかる関税は、日本国民が安価な野菜などを購入することを妨げており、そのせいで庶民の生活は苦しくなり、庶民は安価な野菜が購入できないことにより不健康な食生活を強いられることになるからです。
関税というのは、直接徴収されるわけではないので、市民としては払っている実感の薄い税金です。しかし、実際には高い日本の農作物を買わされたり、海外の食料品が関税によって高くなるなどといった形で、市民から徴収されている税金の一種なのです。
目に見えない、厄介な税金です。
経済学的には関税は極めて厄介な存在です。
例えば、日本で米を作るのをやめて、タイやカリフォルニアで日本米を生産すればずっと安く上がるでしょう。そして日本では、その分の労働力で精密部品などを作れば、ずっとお金を儲けることができます。
関税は、そうした経済原理が働いて社会をより豊かにすることを妨げる存在です。
やはり日本の美味しくて安全なお米が食べたい、という人もいるかもしれませんが、今の日本の商社などは海外でも手広く事業を展開していますので、契約農場でこしひかりなどの日本の品種を安全に育てることが可能です。タイあたりでは有機栽培農場も徐々に登場しつつあります。
関税は、たしかに日本の農民を保護することにつながります。日本では東京に比べて地方や田舎の所得は低いので、農民には何らかの保護が必要なのは確かです。
しかし日本の農民を保護する方法としては、他にも農作物への補助金、所得補償や、都市への移住・教育補助など、さまざまな支援方法があります。
日本で零細農家をそのままの形で保護する以外にも、そうした人が都市へ移住して新しい仕事についたり、もしくは農業でも国際競争力のある日本でしか作れないような特化した農業や、大規模農業などに転業するなど、さまさま競争力を高める方法があります。
関税という縛りがなければ、自治体や政府は、補助金をさまざまな形で投入することができます。
たとえば農業のかわりに工場を誘致すれば、農業をやっているよりも収入が上がるかもしれません。高付加価値の作物に転作を促すことに使えるかもしれません。
また日本には農家以外にも多くの困窮している人がいますが、飲食店などのサービス業に勤めるような人はこうした保護を一切受けることができません。関税という支援策は、不公平であると言えます。
さらに「関税の聖域」があるせいで、日本は海外との自由貿易協定などの締結で不利な立場に立たされます。日本の自動車や電子部品などは、より不利な貿易条件を強いられることにもなるのです。これは国益を著しく損ないます。
関税がなければ、海外の農民、たとえばミャンマーやカンボジアなどの農家は日本に米を輸出することができて、より多くのお金を得られるようになります。
農業国には貧しい国が多く、こうした国を支援しようという志を持った人は日本にも大勢いますね。しかしNPOなどとして現地に渡って小学校を建てるなどしても、救える人はごくわずかです。
関税を廃止することは、NPOだのが援助するよりも、よほど効果的に農民を貧困から救います。
関税は、日本の庶民を貧しくし、不健康にし、農家を不効率な農業に縛り付け、日本の産業競争力を損なう諸悪の根源です。
関税は、農協のような既得権者が、地方住民や一般市民を犠牲にして既得権を守り続けるための施策です。
関税の廃止のために声を上げましょう。
これは日本や日本国民にとって大きな害をもたらしています。
なぜなら食料品にかかる関税は、日本国民が安価な野菜などを購入することを妨げており、そのせいで庶民の生活は苦しくなり、庶民は安価な野菜が購入できないことにより不健康な食生活を強いられることになるからです。
関税というのは、直接徴収されるわけではないので、市民としては払っている実感の薄い税金です。しかし、実際には高い日本の農作物を買わされたり、海外の食料品が関税によって高くなるなどといった形で、市民から徴収されている税金の一種なのです。
目に見えない、厄介な税金です。
経済学的には関税は極めて厄介な存在です。
例えば、日本で米を作るのをやめて、タイやカリフォルニアで日本米を生産すればずっと安く上がるでしょう。そして日本では、その分の労働力で精密部品などを作れば、ずっとお金を儲けることができます。
関税は、そうした経済原理が働いて社会をより豊かにすることを妨げる存在です。
関税は、たしかに日本の農民を保護することにつながります。日本では東京に比べて地方や田舎の所得は低いので、農民には何らかの保護が必要なのは確かです。
しかし日本の農民を保護する方法としては、他にも農作物への補助金、所得補償や、都市への移住・教育補助など、さまざまな支援方法があります。
日本で零細農家をそのままの形で保護する以外にも、そうした人が都市へ移住して新しい仕事についたり、もしくは農業でも国際競争力のある日本でしか作れないような特化した農業や、大規模農業などに転業するなど、さまさま競争力を高める方法があります。
関税という縛りがなければ、自治体や政府は、補助金をさまざまな形で投入することができます。
たとえば農業のかわりに工場を誘致すれば、農業をやっているよりも収入が上がるかもしれません。高付加価値の作物に転作を促すことに使えるかもしれません。
また日本には農家以外にも多くの困窮している人がいますが、飲食店などのサービス業に勤めるような人はこうした保護を一切受けることができません。関税という支援策は、不公平であると言えます。
さらに「関税の聖域」があるせいで、日本は海外との自由貿易協定などの締結で不利な立場に立たされます。日本の自動車や電子部品などは、より不利な貿易条件を強いられることにもなるのです。これは国益を著しく損ないます。
関税がなければ、海外の農民、たとえばミャンマーやカンボジアなどの農家は日本に米を輸出することができて、より多くのお金を得られるようになります。
農業国には貧しい国が多く、こうした国を支援しようという志を持った人は日本にも大勢いますね。しかしNPOなどとして現地に渡って小学校を建てるなどしても、救える人はごくわずかです。
関税を廃止することは、NPOだのが援助するよりも、よほど効果的に農民を貧困から救います。
関税は、日本の庶民を貧しくし、不健康にし、農家を不効率な農業に縛り付け、日本の産業競争力を損なう諸悪の根源です。
関税は、農協のような既得権者が、地方住民や一般市民を犠牲にして既得権を守り続けるための施策です。
関税の廃止のために声を上げましょう。
2013年7月13日土曜日
学校を解体せよ ― 日本の学校は奴隷生産工場だ ― 教育の未来を想像する
CourseraのようなMOOCs (Massive Open Online Courses)と言われる無料オンライン授業が日本でも話題になりつつあります。先日の東京でのmeetupでは朝日新聞の記者の方が来て、記事にもなりました(僕も載ってますよ!)。
私は、この数ヶ月でマクロ経済学のコースを修了しましたが、マクロ経済学のような抽象的でつかみどころのない学問は、独学だけでは学べず、授業を受けることが欠かせないなと思いました。私は、クルーグマンのマクロ経済学の本を読んでいるのですが、それだけでは深い内容は全く理解できていなかったと痛感しました。
私は学校教育が苦手で、ずっと独学で生きてきた人間ですが、書籍だけでなくビデオや宿題などから多面的に学べる講座というのは、独学よりもずっと有意義であるなー、と思いました。
しかしながら、このようにオンラインで学べる時代になると、もはや既存の学校という制度は必要ないことが明らかになってきたと言えます。
たしかに学校という大きな箱に子供を押し込めて教育する方法は、安価に幅広く教育を与えることができるという点で、人類の進歩に大きく貢献してきました。
いまや国民のほぼだれもが高校へ行く時代ですが、高校の教科内容というのは、改めて考えると、かなり高度な内容です。複素数、指数対数、微積分と言った内容を誰もが学ぶ時代などというのは、過去には想像もできなかったことでしょう。
しかし、もはや学校は過去の遺物です。
・学校教育の弊害
学校教育は、その弊害も明らかです。
まず「いじめ」という問題は、学校という狭い集団に人を縛り付けておけば、発生するのは必然と言えます。刑務所のように人を同じ狭い集団に縛り付けておくのは弊害があります。
優秀な教師を多く確保することは難しいですし、包括的に教育サービスを購入するという制度上、良い教師にインセンティブを与えることも困難です。
画一的なカリキュラムで集団に教えるため、人によって躓く点などが異なる点にも対応できません。
* 試験のために詰め込むプッシュ型教育から、実用のために必要な知識を学ぶプル型教育へ
いかに指数対数などが有用な概念であっても、一生それを実際に使うことがない人もいるでしょう。現在の教育課程というのは専門の研究者や技術者を育てるために有用な教育に偏重しているように思います。
また生徒が必要性を感じていないスキルを無理に詰め込むよりも、実際に必要性に駆られてから学ぶ方が、ずっと学びが大きく、知識として良く定着するのではないでしょうか。基礎的スキルを無理に詰め込むプッシュ型教育から、応用を意識したプル型のリーンな教育にすべきです。
すべての人をその画一的な基準で評価して、その点数によって良い教育が受けられたり、良い職に就けたりするというのが、フェアでしょうか? そのような制度があることで、損なわれる貴重な社会的価値があるのではないでしょうか。
日本人は「役に立たない知識を試験のために学ぶ」ということに慣れすぎてしまい、実際にリアルに使うために学ぶための能力が著しく低いように思います。
スタバやアカデミーヒルズでは勉強している人が多くいますが、ほぼすべての人が何らかの試験の勉強をしています。英語を学ぶ人はTOEICを、医学を学ぶ人は医師や看護師の国家試験を、会計を学ぶ人は税理士試験や簿記の試験の勉強をしています。
このような勉強法をやっていると、スキルを実際に使うために学習する能力が落ちてしまうことを憂慮します。試験で良い点を取ることと、スキルを実用することには、大きな違いがありますから。
* 奴隷を大量生産する日本の教育
なにより21世紀の日本での問題として、教師と生徒という権威主義的な絶対服従の人間関係の中で、ルールにがんじがらめにされて教育を受けることで、想像力や発明力のみならず、自主性や責任感や向上心を失った、奴隷のような魂の無い人間を生み出してしまうという問題があります。
自主性や発明力やリーダーシップが要求される知識社会において、日本の教育が隷従人間を大量に生み出していることは、日本の繁栄を大きく損なう事態です。
・学校の解体 ― 学校を自由化せよ!
教育制度改革などのアイデアをいろいろと投げかける人が大勢いますが、僕から言わせれば日本の学校教育というのは腐りきった奴隷生産工場であり、完全に解体するしかないです。小手先の変革など無駄です。
(他国の教育がどうなのかはよく知りませんので、他国と比較して日本が悪いと言っているわけではないです。絶対値として悪いということです。)
とにかく基本的には、学校にバウチャー制度と自由な市場競争を導入し、好きなときに好きな場所で好きな授業を受けられるようにすべきでしょう。
同じ学校に数年間行くことが前提ではなく、気に入らなければいつでも違う学校に行けるし、それどころか教科ごとに違う学校に行っても良いという世界です。
オンラインで完結しても良いことにすれば、僻地や病気の子供でも優れた教育が受けられるようになります。
それによって教育格差が拡大するのではないか、という声もあるかもしれませんが、現状では私立学校や塾などに行ける人が有利になっています。全体に市場競争を導入すれば、オンライン教育や反転授業などを利用することで、良質で安価な教育が提供可能です。
いまは定員や授業料などの問題で、優れた教育を受けられる人は限られていますが、CourseraなどのMOOCsが証明しているように、オンライン教育であれば、同じ授業を何十万人でも受けることができます。MITの超人気教授の授業を、モンゴルの高校生が無料で受けられるなんて時代を誰が想像したでしょうか。
本来は高卒などの認定をするカリキュラムや試験にも科目選択の柔軟性を認めるとよいのでしょうが、あまり他国の制度と違いがあると留学などに不利になるので、そこは制度設計の難しいところです。しかし自由化すれば、任意の科目などは増やせるので、いまよりはだいぶ自由になりますね。
オンラインで好きなときに授業が受けられる世界が到来すれば、ギャップイヤーなどの問題も自然解決します。中学や高校を出たら、まず働きに出て、それから足りないスキルを学ぶなどのプル型な学びも実現するでしょう。
英語教育なども当然すぐに問題解決ですね。英語圏をベースに集中的なオンライン教育する優れた教育ベンチャーなどが現れれば、英語教育の質など、すぐにでも十倍、百倍になるでしょう。
自由化さえすれば、教育問題は80%解決したも同然です。
なぜ世界でも教育の自由化に踏み切っている国が無いのか、不思議で仕方ありません・・・
私は、この数ヶ月でマクロ経済学のコースを修了しましたが、マクロ経済学のような抽象的でつかみどころのない学問は、独学だけでは学べず、授業を受けることが欠かせないなと思いました。私は、クルーグマンのマクロ経済学の本を読んでいるのですが、それだけでは深い内容は全く理解できていなかったと痛感しました。
私は学校教育が苦手で、ずっと独学で生きてきた人間ですが、書籍だけでなくビデオや宿題などから多面的に学べる講座というのは、独学よりもずっと有意義であるなー、と思いました。
しかしながら、このようにオンラインで学べる時代になると、もはや既存の学校という制度は必要ないことが明らかになってきたと言えます。
たしかに学校という大きな箱に子供を押し込めて教育する方法は、安価に幅広く教育を与えることができるという点で、人類の進歩に大きく貢献してきました。
いまや国民のほぼだれもが高校へ行く時代ですが、高校の教科内容というのは、改めて考えると、かなり高度な内容です。複素数、指数対数、微積分と言った内容を誰もが学ぶ時代などというのは、過去には想像もできなかったことでしょう。
しかし、もはや学校は過去の遺物です。
・学校教育の弊害
学校教育は、その弊害も明らかです。
まず「いじめ」という問題は、学校という狭い集団に人を縛り付けておけば、発生するのは必然と言えます。刑務所のように人を同じ狭い集団に縛り付けておくのは弊害があります。
優秀な教師を多く確保することは難しいですし、包括的に教育サービスを購入するという制度上、良い教師にインセンティブを与えることも困難です。
画一的なカリキュラムで集団に教えるため、人によって躓く点などが異なる点にも対応できません。
* 試験のために詰め込むプッシュ型教育から、実用のために必要な知識を学ぶプル型教育へ
いかに指数対数などが有用な概念であっても、一生それを実際に使うことがない人もいるでしょう。現在の教育課程というのは専門の研究者や技術者を育てるために有用な教育に偏重しているように思います。
また生徒が必要性を感じていないスキルを無理に詰め込むよりも、実際に必要性に駆られてから学ぶ方が、ずっと学びが大きく、知識として良く定着するのではないでしょうか。基礎的スキルを無理に詰め込むプッシュ型教育から、応用を意識したプル型のリーンな教育にすべきです。
すべての人をその画一的な基準で評価して、その点数によって良い教育が受けられたり、良い職に就けたりするというのが、フェアでしょうか? そのような制度があることで、損なわれる貴重な社会的価値があるのではないでしょうか。
日本人は「役に立たない知識を試験のために学ぶ」ということに慣れすぎてしまい、実際にリアルに使うために学ぶための能力が著しく低いように思います。
スタバやアカデミーヒルズでは勉強している人が多くいますが、ほぼすべての人が何らかの試験の勉強をしています。英語を学ぶ人はTOEICを、医学を学ぶ人は医師や看護師の国家試験を、会計を学ぶ人は税理士試験や簿記の試験の勉強をしています。
このような勉強法をやっていると、スキルを実際に使うために学習する能力が落ちてしまうことを憂慮します。試験で良い点を取ることと、スキルを実用することには、大きな違いがありますから。
* 奴隷を大量生産する日本の教育
なにより21世紀の日本での問題として、教師と生徒という権威主義的な絶対服従の人間関係の中で、ルールにがんじがらめにされて教育を受けることで、想像力や発明力のみならず、自主性や責任感や向上心を失った、奴隷のような魂の無い人間を生み出してしまうという問題があります。
自主性や発明力やリーダーシップが要求される知識社会において、日本の教育が隷従人間を大量に生み出していることは、日本の繁栄を大きく損なう事態です。
・学校の解体 ― 学校を自由化せよ!
教育制度改革などのアイデアをいろいろと投げかける人が大勢いますが、僕から言わせれば日本の学校教育というのは腐りきった奴隷生産工場であり、完全に解体するしかないです。小手先の変革など無駄です。
(他国の教育がどうなのかはよく知りませんので、他国と比較して日本が悪いと言っているわけではないです。絶対値として悪いということです。)
とにかく基本的には、学校にバウチャー制度と自由な市場競争を導入し、好きなときに好きな場所で好きな授業を受けられるようにすべきでしょう。
同じ学校に数年間行くことが前提ではなく、気に入らなければいつでも違う学校に行けるし、それどころか教科ごとに違う学校に行っても良いという世界です。
オンラインで完結しても良いことにすれば、僻地や病気の子供でも優れた教育が受けられるようになります。
それによって教育格差が拡大するのではないか、という声もあるかもしれませんが、現状では私立学校や塾などに行ける人が有利になっています。全体に市場競争を導入すれば、オンライン教育や反転授業などを利用することで、良質で安価な教育が提供可能です。
いまは定員や授業料などの問題で、優れた教育を受けられる人は限られていますが、CourseraなどのMOOCsが証明しているように、オンライン教育であれば、同じ授業を何十万人でも受けることができます。MITの超人気教授の授業を、モンゴルの高校生が無料で受けられるなんて時代を誰が想像したでしょうか。
本来は高卒などの認定をするカリキュラムや試験にも科目選択の柔軟性を認めるとよいのでしょうが、あまり他国の制度と違いがあると留学などに不利になるので、そこは制度設計の難しいところです。しかし自由化すれば、任意の科目などは増やせるので、いまよりはだいぶ自由になりますね。
オンラインで好きなときに授業が受けられる世界が到来すれば、ギャップイヤーなどの問題も自然解決します。中学や高校を出たら、まず働きに出て、それから足りないスキルを学ぶなどのプル型な学びも実現するでしょう。
英語教育なども当然すぐに問題解決ですね。英語圏をベースに集中的なオンライン教育する優れた教育ベンチャーなどが現れれば、英語教育の質など、すぐにでも十倍、百倍になるでしょう。
自由化さえすれば、教育問題は80%解決したも同然です。
なぜ世界でも教育の自由化に踏み切っている国が無いのか、不思議で仕方ありません・・・
2013年2月11日月曜日
セルフオフショアリングとビザ問題
最近フィリピンを訪問しましたが、その理由の一つに将来の「セルフオフショアリング」に備えての意味がありました。
私はいまでこそなんとか日本で生活できるだけの所得を得ていますが、それを継続できるかどうかわからないと思っています。私は朝起きられないので企業で働くこともできませんし、在宅勤務やフリーランスであっても、あまり日本企業の下請け仕事をしたくないというのが正直な気持ちです。
もし将来的に事業がうまく行かなくなったら、物価の安い海外に引っ越して、なんとかそこで節約生活をして生きていくということを一つの選択肢として考えています。欧米人には、そういう人が大勢います。
たとえば、あるバンコクにいる英国人は、AT&Tのシニアエンジニアとしてリモートで働きながら、バンコクで暮らしています。ま、彼の場合は、十分な給料をもらっていると思うのですが、それでもライフスタイルとしてバンコクを選んでいるのでしょう。
ノマド族(笑)の究極のあり方としては、やはり物価の安い海外で暮らすということに尽きるのではないかと私も思います。そうすれば、もし下請け仕事をするにしても、最低限の量の仕事をやれば済みますからね。自分自身を海外にオフショアしてしまうことが、リモートワーカーにとって最も効率的な生き方です。
ちまたの海外ノマド論は、理念先行型で正直言って実践の役に立つレベルとは到底言いがたいと思います。いわゆる「外こもり」論者の言説のほうがずっと実践的かと思います。やはり海外で暮らすためにはビザの問題をクリアせねばならず、そこは理念や正論だけでは何ともならない世界です。
ビザの状況はつねに流動的に変化しており、なかなか正しい情報をつかむのは困難です。専門家に相談するのが一番なのでしょうが、詐欺師なども多く、専門家を探すことからして苦労します。とくにタイには長期滞在したい外国人が多く、ビザの発給をどんどん厳しくしているとの噂です。
もし正規に自営業者がビザを取得しようとすれば、数百万円以上の投資を行って、タイ人を複数雇用するなどせねばなりません。貧乏だからタイに行く人にそれだけの投資をするのは、なかなか難しいですね。手続きも煩雑でコストもかかりますし、ビザが却下されたり、タイ側パートナーに裏切られたりするリスクも伴います。
実際には、タイにいる外国人にも、プータローみたいな人は結構おり、そういう人はいろいろな手法で対応しているようです。
一つにはビザランという方法があります。ビザランとは数ヶ月ごとに海外に出国して、観光ビザを取り直す方法です。最近はタイはビザランに厳しくなったと言われていますが、まだまだやっている人は多くいます。
語学学校などに籍を置いて教育ビザをとる方法もあるようです。通常は出席を厳しく問われることもないようなので、お金だけ払えばあとは自由という寸法です。
蛇の道は蛇といいますが、やはり現地に住んで、現地の情報をつかまないと、なかなかビザの現状はわからないのが正直なところかと思います。結構ハードル高いです。いずれにせよ、十分な資金力がないと、いつかは追い出されちゃうのかなあ、という感じですね。
いまのところコネとか賄賂とか裏工作とかで何とかする方法はまだまだあるのだろうとは思いますが、タイはどんどん先進国化していますので、物価も上がってきていますし、賄賂なども通じにくくなっているようです。
そこでラオスやフィリピンやミャンマーなどの周辺諸国も見に行っていますが、バンコクと比べると圧倒的に生活の質が低いのが残念なところです。ま、ラオスやフィリピンは住もうと思えば住めると思いますが、ミャンマーはちょっと生活の質が劣悪すぎて住むのは無理ですね。
今度の夏にはバリ島をちょっと覗いてみたいと思っています。バリ島は日本の夏が乾期のようなので、日本の冬期を乾期のバンコクで過ごして、日本の夏期をバリ島で過ごすという手もあるな、と。いまのところ、一年に半年ずつ暮らすなら観光ビザでも問題にならない気がします。(しらないけど)
日本にいて日本企業の劣悪な労働環境で働くのもサバイバルなら、海外で正規のビザもなく生活するのもサバイバル。あんまり明るい未来像が描けません。なんとしても事業を成功させなければ・・・
ちなみに高齢者には引退ビザというものがあったりするので、若い人よりビザはとりやすいです。しかし我々が高齢者になるころに、物価が安くて過ごしやすい国がどっかあるのでしょうか?
引退ビザというのがあるのなら、「リモートワーカービザ」というノマド向けビザもあればいいのになあ、と思いますね。
参考:
2012年10月5日金曜日
厚生労働省は間違った日本の薬局制度を廃してバンコクの薬局を見習え
以前、日本での医薬品のオンライン販売規制について書いたことがありました。
そのときにも言及しましたが、日本の薬局というのは何だかおかしいです。
薬剤師がいることにはなっていますが、薬剤師は普通にレジを打っていたり立ち働いていて、とてもきちんと相談できるムードではありません。これなら薬剤師がいる必要がないですよね。何のために薬剤師を常駐させているのでしょうか?
置いている薬も、妙に古臭くて副作用が多かったり、効き目が薄いようなものが中心ですし、値段もやけに高いです。
第一類医薬品の分類もなんだかよく分かりません。リン酸コデインとエフェドリンを含むような比較的に危険な咳止め薬が第二類医薬品に分類されている一方で、ジクロフェナクナトリウム(ボルタレン)の塗り薬という比較的安全と思われる薬が第一類医薬品になっています。ジクロフェナクと同じ非ステロイド性消炎鎮痛剤であるインドメタシンなどは第二類です。
安全性によって分類されているというよりは、単に薬剤師の仕事を増やすためだけに分類されているように思えます。
第一類医薬品を買うときも、べつに懇切丁寧に説明してくれるわけではなく、単に薬剤師がやってきてレジを打って終わりです。なんのための第一類医薬品制度なのでしょうね?
日本では医療費の削減に躍起になっていますが、薬局で薬を買うより、医者に行って薬を貰う方が安いのでは、薬局で薬を買うのは忙しくて医者に行けない人だけになってしまいます・・・ 厚労省にとっての「医療費の削減」には、個人が負担する医療費は含まれないのでしょうね。アホかと思います。
「セルフ・メディケーション」などという言葉がありますが、一部の危険な薬を除けば、単に薬を貰うためだけに毎月医者に行く必要などないですよね。薬局で薬を買えば済む話です。またはアメリカのように一通の処方箋を数回に渡って使えるようにすればよいのです。
そうすれば医療費も削減できて、患者の時間も医者の時間も無駄にならなくなり、とても良いことです。その分、医者の診療時間をもっと患者ときちんと話をすることに使えるようになります。
さて、私は昨年の冬にバンコクに3ヶ月ほど住んでいましたが、彼の地の薬局には感心させられました。
バンコクの中心部は国際的であり、英語が通じますが、それは薬局でも例外ではありません。
高級百貨店エンポリウムに入っているBootsという英国資本の薬局では、薬剤師のいる相談カウンターがあり、眼鏡を掛けた美人薬剤師さんが英語で相談にのってくれます。
例えば、アレルギーの薬はないのかというと、セチリジン(ジルテック)と、最新のレボセチリジンがあり、レボセチリジンは眠くなりにくいが高い、などと説明してくれます。私が、日本の薬局で一般的なクロルフェニラミンはないのか? と聞いたら、「あるけど、そんな古い薬を飲んだら眠くなりますよ!」と言われました。
にきびの薬はないのかというと、抗生物質(クリンダマイシン)と過酸化ベンゾイルとトレチノインがある、と。抗生物質と過酸化ベンゾイルは即効性があり一日二回塗る。トレチノインは、初期はかえって悪化することもあるが長期的にきく。光線を避けるため寝る少し前に塗ること。などと説明してくれます。
これだけ説明してくれるなら、薬局に薬剤師がいる意義があるというものです。
また、古くて副作用の強い薬よりも、新しくて副作用の少ない薬を売るのも、理にかなっています。
薬にはタイで製造されている薬もあれば、海外から輸入している薬もあり、どれも日本の保険診療で貰う薬の3割負担額と同じくらいの金額です。これなら医療費の削減にもつながります。
日本の薬局制度も、このような形に見直して、もし薬剤師を常駐させるなら相談カウンターなどを設けて、ゆっくり相談ができるようにすべきではないでしょうか。そして新しくて安全な薬を安く買えるように、市販医薬品の認可制度を完全に見直すべきですね。
日本では薬局どころか病院ですら、英語が通じるところや通訳を用意しているところは、まれでしょう。このように外国人にとって不都合な体制では、外資系企業はどんどん東南アジアに逃げてしまいますよね。バンコクの大病院では、日本語の通訳までいて、日本語だけで診察を受けることができます。
どうにも日本の薬局制度というのは、厚生労働省が既存の国内弱小製薬会社や薬剤師や薬局を利するために作られたものとしか思えません。21世紀になっても未だにこのように省益ばかりで、国民無視の政策を推し進めるとは理解ができませんね。
厚生労働省というのは、日本の省庁の中でも最悪の存在なのではないでしょうか。レバ刺しは禁止するし、オンライン医薬品販売は禁止するし、それが裁判で違憲判決を受けても上告したりするし、これほど不合理で日本にとって害悪となっている存在が他にあるでしょうか?
あ、京都府警と検察特捜部があった・・・
2012年1月29日日曜日
Winny事件を最高裁での勝利で終えて
先日、Winny事件での最高裁判決があり、無罪という結論になりました。金子さんが逮捕されてから7年にもなります。この記事では、私の立場からのWinny事件の感想をまとめたいと思います。
私は、金子さんが逮捕された直後からウェブサイトを立ち上げて支援活動を行い、無数の方々から1500万円もの支援金を頂いて、弁護費用に充てることができました。このように広い範囲からご支援を受けての弁護活動というのは日本では珍しい事例なのではないかと思います。
私は、何らかの政治的バックグラウンドや活動歴や人脈があるわけではなく、全くの知らない人々から支援を受けて、それを弁護団に届けただけの無名の一般人、ということになります。ありがたいことに、いまだに無名のままでいます。
私は金子さんとは面識がありましたので、金子さんが善良な人であるということには、ある程度の確信がありました。金子さんの人柄がなければ、あれほどの支援を受けることは難しかったでしょう。
刑法にも若干の知識がありましたので、法的にかなり無理をしての逮捕であるということも想像が付きました。刑法学の教員をしている友人に薦められて読んだ刑法入門の本が、まさか実際に役立つ日が来るとは思ってもいませんでした。
警察が社会の規範を一方的に定めるべきではないという私なりの考え方もありました。社会の規範は、あくまで国民の意思をもとに国会で法律として定められるべきです。警察や検察が勝手に勇み足で、法的に無理な逮捕・起訴を行うべきではありません。
しかし、まさかこのように多額の支援が集まるとも、最高裁まで戦って無罪が勝ち取れるとも思ってもいませんでした。
今だから言うことができますが、個人的にはWinnyのファンというわけではありませんでした。ファイル共有ソフトウェアはどうしても違法コピーの牙城となりがちですし、流出した情報が回収困難になるなどの問題があると考えていました。
しかし、法的根拠もないのに警察が開発者を逮捕する、ということは全く話が別です。
そのようなことが行われれば、法的に曖昧な領域での技術開発や事業推進が行われなくなってしまいます。新技術や新事業というのは、しばしば法的に曖昧なものですから。
それどころか、検察はライブドア事件によって日本のベンチャー市場を完全に破壊してしまいました。あれから、いまだに日本の新興市場は低迷を極めています。
日本の株式市場には、明らかに異様な仕手筋の企業がのうのうと上場を続け、一部上場企業のオリンパスは多額の粉飾をしても平然としています。その一方で、ライブドアは、ただ目立っていたというだけで、検察によって潰されてしまいました。堀江さんは、いままさに監獄の中にいます。
日本の警察は、パチンコのような違法ギャンブルを黙認することによって自分たちの利権のタネとする一方で、村木事件のような数々の冤罪を生み出しています。検察や警察にはもっと厳しい目が向けられてしかるべきです。
もちろん日本は素晴らしい国であり、優れた民主主義の法治国家であることは間違いありません。Winny事件でも、無数の多くの人々から支援の声があがり、最終的に無罪を勝ち取ることができました。
しかし今回のように、多くの人が声をあげていけば、この国はもっと良くなっていくのではないかな、と思います。私も、この経験を生かして、今後とも何かの機会があれば、いろいろと活動をしていこうかな、と思っています。
最後に、これまでの皆様のご支援に心より厚く御礼を申し上げるとともに、今後とも皆様が社会を変えるために立ち上がっていくことを願ってやみません。今回の勝利は、1円でも寄付して頂いた皆様のものです。まちがいなく。
私は、金子さんが逮捕された直後からウェブサイトを立ち上げて支援活動を行い、無数の方々から1500万円もの支援金を頂いて、弁護費用に充てることができました。このように広い範囲からご支援を受けての弁護活動というのは日本では珍しい事例なのではないかと思います。
私は、何らかの政治的バックグラウンドや活動歴や人脈があるわけではなく、全くの知らない人々から支援を受けて、それを弁護団に届けただけの無名の一般人、ということになります。ありがたいことに、いまだに無名のままでいます。
私は金子さんとは面識がありましたので、金子さんが善良な人であるということには、ある程度の確信がありました。金子さんの人柄がなければ、あれほどの支援を受けることは難しかったでしょう。
刑法にも若干の知識がありましたので、法的にかなり無理をしての逮捕であるということも想像が付きました。刑法学の教員をしている友人に薦められて読んだ刑法入門の本が、まさか実際に役立つ日が来るとは思ってもいませんでした。
警察が社会の規範を一方的に定めるべきではないという私なりの考え方もありました。社会の規範は、あくまで国民の意思をもとに国会で法律として定められるべきです。警察や検察が勝手に勇み足で、法的に無理な逮捕・起訴を行うべきではありません。
しかし、まさかこのように多額の支援が集まるとも、最高裁まで戦って無罪が勝ち取れるとも思ってもいませんでした。
今だから言うことができますが、個人的にはWinnyのファンというわけではありませんでした。ファイル共有ソフトウェアはどうしても違法コピーの牙城となりがちですし、流出した情報が回収困難になるなどの問題があると考えていました。
しかし、法的根拠もないのに警察が開発者を逮捕する、ということは全く話が別です。
そのようなことが行われれば、法的に曖昧な領域での技術開発や事業推進が行われなくなってしまいます。新技術や新事業というのは、しばしば法的に曖昧なものですから。
それどころか、検察はライブドア事件によって日本のベンチャー市場を完全に破壊してしまいました。あれから、いまだに日本の新興市場は低迷を極めています。
日本の株式市場には、明らかに異様な仕手筋の企業がのうのうと上場を続け、一部上場企業のオリンパスは多額の粉飾をしても平然としています。その一方で、ライブドアは、ただ目立っていたというだけで、検察によって潰されてしまいました。堀江さんは、いままさに監獄の中にいます。
日本の警察は、パチンコのような違法ギャンブルを黙認することによって自分たちの利権のタネとする一方で、村木事件のような数々の冤罪を生み出しています。検察や警察にはもっと厳しい目が向けられてしかるべきです。
もちろん日本は素晴らしい国であり、優れた民主主義の法治国家であることは間違いありません。Winny事件でも、無数の多くの人々から支援の声があがり、最終的に無罪を勝ち取ることができました。
しかし今回のように、多くの人が声をあげていけば、この国はもっと良くなっていくのではないかな、と思います。私も、この経験を生かして、今後とも何かの機会があれば、いろいろと活動をしていこうかな、と思っています。
最後に、これまでの皆様のご支援に心より厚く御礼を申し上げるとともに、今後とも皆様が社会を変えるために立ち上がっていくことを願ってやみません。今回の勝利は、1円でも寄付して頂いた皆様のものです。まちがいなく。
2011年11月14日月曜日
自転車と死亡事故統計
最近、警察庁が自転車の歩道通行禁止を徹底するというニュースが話題になっているようです。
これは私にとっては困った問題です。私は福岡ではつねに自転車に乗っていますが、そのとき自動車の交通量の多い道では、たいてい歩道を走っています。いまはそうした歩道には、だいたい「自転車通行可」の標識がたてられていますが、この自転車通行可もなくなる方向性だそうです。
私は歩道を走るときは非常にゆっくりした速度で走りますし、いつでもすぐ停止できる状態なので、万に一つでも歩行者を傷つける可能性はないと考えています。
車道を走ることになれば、転倒したりよろめいたりするだけで、私の命は容易に失われてしまいます。だから、もし歩道が通行禁止になれば、私は自転車に乗るのをやめるでしょう。
さて、古いデータで恐縮ですが、手元にある「交通事故統計年報 平成14年版」からデータを見てみましょう。
まず平成14年におきた死亡事故 7,993件中、自動車(自動二輪車含む)が絡む事故が97.8%を占めています。自転車と歩行者による死亡事故は、たった3件にすぎません。逆に、自動車(自動二輪車等含む)と自転車の死亡事故は1,997件に及びます。
もし自転車の歩道通行を禁止することになれば、このたった3件の死亡事故を減らすために、1,997件の死亡事故を大幅に増加させるということになります。
警察庁の狙いは一体どこにあるのでしょうか? 警察庁にとっても交通事故を減らすことは大切な目標のはずですし、こうした統計もじっくり見ているはずだと思うのですが。
何のために歩道から自転車を追い出すつもりなのか、私には全く理解出来ません。いまのまま歩行者通行可の歩道を残したまま、そうした歩道では速度制限を厳しくするなどの対応をとれば良いのではないでしょうか。
もしくは警察庁は全ての道路から片側1車線を自動車用から自転車用に転換したりする予定なのですかね。それなら大英断ですが・・・
これは私にとっては困った問題です。私は福岡ではつねに自転車に乗っていますが、そのとき自動車の交通量の多い道では、たいてい歩道を走っています。いまはそうした歩道には、だいたい「自転車通行可」の標識がたてられていますが、この自転車通行可もなくなる方向性だそうです。
私は歩道を走るときは非常にゆっくりした速度で走りますし、いつでもすぐ停止できる状態なので、万に一つでも歩行者を傷つける可能性はないと考えています。
車道を走ることになれば、転倒したりよろめいたりするだけで、私の命は容易に失われてしまいます。だから、もし歩道が通行禁止になれば、私は自転車に乗るのをやめるでしょう。
さて、古いデータで恐縮ですが、手元にある「交通事故統計年報 平成14年版」からデータを見てみましょう。
まず平成14年におきた死亡事故 7,993件中、自動車(自動二輪車含む)が絡む事故が97.8%を占めています。自転車と歩行者による死亡事故は、たった3件にすぎません。逆に、自動車(自動二輪車等含む)と自転車の死亡事故は1,997件に及びます。
もし自転車の歩道通行を禁止することになれば、このたった3件の死亡事故を減らすために、1,997件の死亡事故を大幅に増加させるということになります。
警察庁の狙いは一体どこにあるのでしょうか? 警察庁にとっても交通事故を減らすことは大切な目標のはずですし、こうした統計もじっくり見ているはずだと思うのですが。
何のために歩道から自転車を追い出すつもりなのか、私には全く理解出来ません。いまのまま歩行者通行可の歩道を残したまま、そうした歩道では速度制限を厳しくするなどの対応をとれば良いのではないでしょうか。
もしくは警察庁は全ての道路から片側1車線を自動車用から自転車用に転換したりする予定なのですかね。それなら大英断ですが・・・
2010年12月5日日曜日
医薬品販売規制パブリックコメント
首相官邸IT戦略本部による『「一般用医薬品のインターネット販売及びテレビ電話等を活用した医薬品販売」に関するパブリックコメントの募集』に応募しましたので、パブリックコメントの内容をこちらに掲載します。
インターネットによる一般医薬品販売の規制については、こちらの記事などをご参照頂ければと思います。
インターネットによる一般医薬品の販売が厚生労働省の省令により禁止され、ケンコーコムなど既に事業を行っていた事業者が撤退せざるを得ないという異例の事態が生じたものです。それに対して、ケンコーコムは訴訟を提起し、ヤフーや楽天などの事業者はeビジネス推進連合会という業界団体を組織して、厚生労働省の動きに対抗しています。
私の意見としてはパブリックコメントに書いたとおり、理論的にも実際的にも対面販売よりもインターネット販売のほうが安全性が劣るという理由がなく、規制は不当であるというものです。
インターネットによる一般医薬品販売の規制は極めて不当な物です。厚生労働省の省令として、正当な理由もなく、一つの業界が完全に潰されたという異例の事態です。私には、対面販売によって安全性が確保されるという理由の一つも見いだすことができません。
法規制にも、どういった経緯により誰がどのように意思決定したのかという透明性、法規制を必要とする現状や将来に関するデータと予測、法規制によってどのように目的を達成するのかという論理とシナリオ、そういったことを説明する責任があるのではないでしょうか。
厚生労働省が新薬を認可するときには製薬会社にとほうもなく詳細なデータを要求しているはずですが、自分が何かをやるときは一つの根拠もなくてよいのですから、役人というのは良い商売ですね。
以下、パブリックコメント本文です。少し論点が整理不足気味で申し訳ありません。
(1)賛成する。
(2)理由1: 対面での医薬品販売時にくらべてインターネット販売が安全性で劣るという主張には根拠がない。
対面における一般用医薬品の購入時に薬剤師から説明や質問を受けることは実質的に行われていない。薬剤師は店頭には限られた人数しかおらず、通常の販売時に質問を受けたり説明を行うべく待機している状態ではない。実際に薬店薬局で調査してみればわかることだが、第一類医薬品であっても、単に薬剤師がレジを打って販売するだけという店も多い。
説明や質問が行われているとしても、購入時にレジで行われるのみであり、時間的に限られた中で、十分な質問や応答を行うことができない。顧客が質問や疑問を持っているとしても、限られた時間内であるので十分な質疑を尽くせることは期待できない。客の並んだレジでどのようにどの程度の説明を行うというのか。
かといって、処方箋医薬品の交付のようにカウンターなどで座って数分の説明時間をかけるとするのは経済的にも顧客の利便性の面からもあり得ない話である。問診を望む客は薬局ではなく診療所へ行くだろう。顧客は利便性と迅速性をもとめて一般用医薬品を買うのである。
すなわち対面販売では十分な説明が行われて安全性が確保されるというのは虚構である。
もし対面での医薬品販売時にくらべてインターネット販売が安全性で劣るという主張により規制を行うのであれば、実際の販売の実態を無作為に調査して、通常の利用シナリオにおいて、インターネット販売では情報提供等が有意に劣っており、かつ、その情報提供の不十分さにより実際の健康被害につながり、かつ、その予想される被害の大きさと頻度が許容できるリスクを超えている、という調査結果がなければならない。その証拠がなく規制をすることは不当である。
そもそも今回の規制において厚生労働省は、インターネット販売において具体的に実際の対面販売とどのように異なることによりどのような危険が予期されるのか、その根拠を提示していない。パブリックコメントで規制緩和の理由を聞く前に、まず厚生労働省が規制の根拠を提示すべきである。
理由2: インターネットでの医薬品販売では、対面販売に比べて優れた情報提供を行い、より高い安全性と顧客の利便性を確保することができる。
A.顧客に十分な情報提供を行い、選択肢を与えることにより、顧客自身が商品の購入判断を行うことが、最も安全性を高めるのに適した方法である。
現在の薬局薬店では、薬をレジの後ろの棚に隠すなどしており、顧客に情報や選択肢を与えない方針をとっている。それは顧客の情報へのアクセスを阻み、安全性を阻害する行為である。
薬剤師による対面の情報提供といっても、薬剤師は顧客の個別の健康情報を把握しているわけでもなく、顧客個別の健康情報を把握するのに十分な時間も権限も手段もない。患者に検査や診断などを行うことができる医師とは異なり、薬剤師は単に薬の一般的性質やリスクを説明できるに過ぎず、注意書きを超えた本質的な安全性向上策が講じられるわけではない。全ての顧客に対して個別の健康情報を聴取するというのは現実的に不可能である。
それどころか、薬局薬店の薬剤師は売っている個々の製品がどのような成分を含有しているかすら把握していない場合がある。
それに対して、顧客本人は自らの既往症、体質、服用している薬などについて、薬店薬局の薬剤師よりも多くの情報を持っている。そのため、薬剤に関する十分な情報が提供されれば、薬剤師よりも的確な判断を行うことができる。
B.インターネット販売では、詳細な添付文書を掲載し、禁忌条件などのチェックリストを作成してチェック必須とすることができる。
インターネットでは、その性質上、顧客に豊富な選択肢と詳細な情報を提供することができる。箱に記載された小さな成分表や注意書きとは異なる、安全性や効能に関する詳細な添付文書を掲載することができる。
また顧客も時間的制約などにとらわれることなく、購入前に詳細な文書を閲覧して、ゆっくりと比較・考慮・検討することができる。
それにより、上記Aの理由により、顧客により高い安全性と利便性を提供できる。
また薬によっては、服用禁忌条件のチェックリストなどを作成し、全ての項目にチェックした場合のみ販売できるようにすることができる。
さらにインターネットであれば、特定の薬に限らず、医薬品のカテゴリや疾病や健康などに関する詳細な情報提供を行うページを作成することも可能である。インターネット医薬品販売サイトにおいて、薬剤師が広く認められた学術的知見に基づき、情報提供のページを作成することが許可されるとすれば、安全な医薬品選びなどを助けることができる。
C.インターネット販売であれば、薬剤師に時間をかけて詳細な質問を送り、それにたいして十分な回答を受けることができる。
一般の薬局薬店とは異なり、インターネット販売店であれば薬剤師は顧客への情報提供に専念することが容易である。メールによって質問を受けるのであれば、顧客、薬剤師ともに時間を有効に活用して余裕を持って詳細な質問と回答を行うことができる。
以上の理由から、医薬品のインターネット販売を規制する省令には一切の根拠がなく、安全性を低下させ、薬局薬店の利益を保護するための極めて不当な規制であると言える。ただちに廃止するべきである。
(3)理由1で述べたとおり、インターネット販売が薬局薬店での販売よりも安全性が劣ることはないので、特別に安全を確保することは不要である。
それどころか薬局薬店での対面販売においても有害無益な規制を緩和すべきであると考える。高度な教育を受けた薬剤師を店でレジ打ちさせることは多大なムダである。
もしインターネット販売を、店頭よりも安全な販売手段として優位に位置づけるのであれば、理由2に述べた施策を全ての店舗が行うことにより、店頭よりも安全な販売手段となる。その場合は、第一類医薬品の販売を含む、全ての一般用医薬品の販売を可能とするべきである。また将来的には、処方された医薬品を通販で購入・受け取りできるようにすべきである。
また安全確保策は必ずしも個々の店舗で行う必要はなく、政府や業界団体によって一般用医薬品のデータベースや薬剤師へのメールや電話での相談窓口などを整備しておけば、全体のコストを抑えることが出来る。
インターネットによる一般医薬品の販売が厚生労働省の省令により禁止され、ケンコーコムなど既に事業を行っていた事業者が撤退せざるを得ないという異例の事態が生じたものです。それに対して、ケンコーコムは訴訟を提起し、ヤフーや楽天などの事業者はeビジネス推進連合会という業界団体を組織して、厚生労働省の動きに対抗しています。
私の意見としてはパブリックコメントに書いたとおり、理論的にも実際的にも対面販売よりもインターネット販売のほうが安全性が劣るという理由がなく、規制は不当であるというものです。
インターネットによる一般医薬品販売の規制は極めて不当な物です。厚生労働省の省令として、正当な理由もなく、一つの業界が完全に潰されたという異例の事態です。私には、対面販売によって安全性が確保されるという理由の一つも見いだすことができません。
法規制にも、どういった経緯により誰がどのように意思決定したのかという透明性、法規制を必要とする現状や将来に関するデータと予測、法規制によってどのように目的を達成するのかという論理とシナリオ、そういったことを説明する責任があるのではないでしょうか。
厚生労働省が新薬を認可するときには製薬会社にとほうもなく詳細なデータを要求しているはずですが、自分が何かをやるときは一つの根拠もなくてよいのですから、役人というのは良い商売ですね。
以下、パブリックコメント本文です。少し論点が整理不足気味で申し訳ありません。
(1) 一般用医薬品のインターネット販売及びテレビ電話等を活用した医薬品販売の規制緩和への賛否
(2) 賛否の理由
(3) 一般用医薬品のインターネット販売及びテレビ電話等を活用した医薬品販売を行った場合でも、安全が確保される仕組みがないか。また、もしあるとすればその具体的アイデア
(1)賛成する。
(2)理由1: 対面での医薬品販売時にくらべてインターネット販売が安全性で劣るという主張には根拠がない。
対面における一般用医薬品の購入時に薬剤師から説明や質問を受けることは実質的に行われていない。薬剤師は店頭には限られた人数しかおらず、通常の販売時に質問を受けたり説明を行うべく待機している状態ではない。実際に薬店薬局で調査してみればわかることだが、第一類医薬品であっても、単に薬剤師がレジを打って販売するだけという店も多い。
説明や質問が行われているとしても、購入時にレジで行われるのみであり、時間的に限られた中で、十分な質問や応答を行うことができない。顧客が質問や疑問を持っているとしても、限られた時間内であるので十分な質疑を尽くせることは期待できない。客の並んだレジでどのようにどの程度の説明を行うというのか。
かといって、処方箋医薬品の交付のようにカウンターなどで座って数分の説明時間をかけるとするのは経済的にも顧客の利便性の面からもあり得ない話である。問診を望む客は薬局ではなく診療所へ行くだろう。顧客は利便性と迅速性をもとめて一般用医薬品を買うのである。
すなわち対面販売では十分な説明が行われて安全性が確保されるというのは虚構である。
もし対面での医薬品販売時にくらべてインターネット販売が安全性で劣るという主張により規制を行うのであれば、実際の販売の実態を無作為に調査して、通常の利用シナリオにおいて、インターネット販売では情報提供等が有意に劣っており、かつ、その情報提供の不十分さにより実際の健康被害につながり、かつ、その予想される被害の大きさと頻度が許容できるリスクを超えている、という調査結果がなければならない。その証拠がなく規制をすることは不当である。
そもそも今回の規制において厚生労働省は、インターネット販売において具体的に実際の対面販売とどのように異なることによりどのような危険が予期されるのか、その根拠を提示していない。パブリックコメントで規制緩和の理由を聞く前に、まず厚生労働省が規制の根拠を提示すべきである。
理由2: インターネットでの医薬品販売では、対面販売に比べて優れた情報提供を行い、より高い安全性と顧客の利便性を確保することができる。
A.顧客に十分な情報提供を行い、選択肢を与えることにより、顧客自身が商品の購入判断を行うことが、最も安全性を高めるのに適した方法である。
現在の薬局薬店では、薬をレジの後ろの棚に隠すなどしており、顧客に情報や選択肢を与えない方針をとっている。それは顧客の情報へのアクセスを阻み、安全性を阻害する行為である。
薬剤師による対面の情報提供といっても、薬剤師は顧客の個別の健康情報を把握しているわけでもなく、顧客個別の健康情報を把握するのに十分な時間も権限も手段もない。患者に検査や診断などを行うことができる医師とは異なり、薬剤師は単に薬の一般的性質やリスクを説明できるに過ぎず、注意書きを超えた本質的な安全性向上策が講じられるわけではない。全ての顧客に対して個別の健康情報を聴取するというのは現実的に不可能である。
それどころか、薬局薬店の薬剤師は売っている個々の製品がどのような成分を含有しているかすら把握していない場合がある。
それに対して、顧客本人は自らの既往症、体質、服用している薬などについて、薬店薬局の薬剤師よりも多くの情報を持っている。そのため、薬剤に関する十分な情報が提供されれば、薬剤師よりも的確な判断を行うことができる。
B.インターネット販売では、詳細な添付文書を掲載し、禁忌条件などのチェックリストを作成してチェック必須とすることができる。
インターネットでは、その性質上、顧客に豊富な選択肢と詳細な情報を提供することができる。箱に記載された小さな成分表や注意書きとは異なる、安全性や効能に関する詳細な添付文書を掲載することができる。
また顧客も時間的制約などにとらわれることなく、購入前に詳細な文書を閲覧して、ゆっくりと比較・考慮・検討することができる。
それにより、上記Aの理由により、顧客により高い安全性と利便性を提供できる。
また薬によっては、服用禁忌条件のチェックリストなどを作成し、全ての項目にチェックした場合のみ販売できるようにすることができる。
さらにインターネットであれば、特定の薬に限らず、医薬品のカテゴリや疾病や健康などに関する詳細な情報提供を行うページを作成することも可能である。インターネット医薬品販売サイトにおいて、薬剤師が広く認められた学術的知見に基づき、情報提供のページを作成することが許可されるとすれば、安全な医薬品選びなどを助けることができる。
C.インターネット販売であれば、薬剤師に時間をかけて詳細な質問を送り、それにたいして十分な回答を受けることができる。
一般の薬局薬店とは異なり、インターネット販売店であれば薬剤師は顧客への情報提供に専念することが容易である。メールによって質問を受けるのであれば、顧客、薬剤師ともに時間を有効に活用して余裕を持って詳細な質問と回答を行うことができる。
以上の理由から、医薬品のインターネット販売を規制する省令には一切の根拠がなく、安全性を低下させ、薬局薬店の利益を保護するための極めて不当な規制であると言える。ただちに廃止するべきである。
(3)理由1で述べたとおり、インターネット販売が薬局薬店での販売よりも安全性が劣ることはないので、特別に安全を確保することは不要である。
それどころか薬局薬店での対面販売においても有害無益な規制を緩和すべきであると考える。高度な教育を受けた薬剤師を店でレジ打ちさせることは多大なムダである。
もしインターネット販売を、店頭よりも安全な販売手段として優位に位置づけるのであれば、理由2に述べた施策を全ての店舗が行うことにより、店頭よりも安全な販売手段となる。その場合は、第一類医薬品の販売を含む、全ての一般用医薬品の販売を可能とするべきである。また将来的には、処方された医薬品を通販で購入・受け取りできるようにすべきである。
また安全確保策は必ずしも個々の店舗で行う必要はなく、政府や業界団体によって一般用医薬品のデータベースや薬剤師へのメールや電話での相談窓口などを整備しておけば、全体のコストを抑えることが出来る。
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