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2017年5月1日月曜日

家庭用医薬品の世界の変化を予測する

日本では、なぜか家庭用医薬品は処方箋医薬品(医療用医薬品)よりもずっと高いという状態が続いています。もちろん医療用医薬品は保険で3割負担なのですが、10割負担だとしてもその薬価は家庭用医薬品よりずっと安いものが多いかと思います。

医師や薬剤師の時間を使ったあげくに薬が安く買えるという逆転状況は、資本主義の原理に反しており、日本の医療費を増大させる原因になります。

医薬品業界には「薬九層倍」という言葉があり、薬は原価の9倍で売れるなどと言われています。

これは家庭用医薬品の世界では、薬店などの流通業界が大きな権益を握っていることや、家庭用医薬品への参入が厳しく制限されていることがあると思われます。

現在は厚生労働省が、薬剤師や薬局薬店などの利益を重視しているため、このような無法がまかりとおっていますが、そのうちに財務省や政府から圧力がかかって状況が変わることでしょう。日本の財政状況を考えれば10年以内に劇的な変化があってもおかしくありません。

では、どう変わるのか。

まず家庭用医薬品への参入規制が緩められ、ジェネリック医薬品製造会社が大々的に乗り出してきて、通販などの流通手段で大幅に安い薬を売ることになると思います。抗アレルギー剤を90日分まとめて3000円とか、そういう世界になると思います。

もうちょっと医師による指導が必要なような薬では、いちど医師が診察して処方したら、あとは薬剤師とのやりとりだけで長い期間の処方が受けられるリフィル処方箋の導入もありえるでしょう。

処方箋医薬品の通販による販売も可能となり、さらに家庭用医薬品の通販もさらに進むでしょう。

ただし、これらの改革には日本医師会の強い反発があるので、政治的には実現するのはかなり難しくなるでしょうね。

厚生労働省は間違った日本の薬局制度を廃してバンコクの薬局を見習え | 日に以て親しむ-新井俊一ブログ 

以前もこのような記事を書きましたが、私は今は10年~20年のうちには変化があるかなという予想をするようになりました。日本の医療費は年間40兆円という恐ろしい水準になっており、もはや政治的圧力などをかまっていられる状態ではないと思いますので。

さらに踏み込んで、インド製ジェネリックを輸入して日本で正規販売できるようになれば、大幅に薬剤費を下げることが可能なのですが、日本政府はそこまでは踏み切れないでしょうね…。

2016年9月15日木曜日

疑似科学とどのように向き合うべきか

さて前の記事の続きです。

前の記事で長々言ったことをさくっとまとめます。

まず私は疑似科学を批判したり論駁したりすることは全く意味がないと思っています。

なぜなら、多くの場合、疑似科学を信じている人は科学的に正しいかどうかに興味を持っていないので、科学的に間違ってるとか合っているとかいう議論は意味がないからです。

さらに疑似科学的な言説は世の中にあまりに多すぎるので、一つ一つ批判していたらキリが無いどころか、社会的に抹殺されかねないとすら思います。

では、どうしたらいいか?

それには三つあります。


1. 批判ではなく教育をすること

全ての人が正しい科学的知識をもって正しい考えを持つなどということは現実的ではありませんし、そうなるように教育することなどは不可能でしょう。

しかし科学教育において重要なキーポイントとなる考え方というのは存在すると思います。

例えば「対照試験」という考え方は、水素水のような健康関連分野から、オーディオオカルトのような分野まで幅広く一刀両断にする知識を持つことができるだけでなく、実社会において仕事や学問などに役立てることができるという素晴らしい知識です。(対照試験は、科学研究や工学や医学の世界だけでなく、マーケティングの世界でも広く使われています)

このような優れた考え方を普及させるために全力を注ぐべきではないでしょうか? また、物事を適切に疑うような多面的な考え方の育成や、ディベートの授業なども役に立ちそうです。

また、もし疑似科学批判をするのでも、このようなキーポイントに的を絞った批判をしなければ、余計に議論を混乱させるだけと思います。

水素水を批判するのに適切なのは「適切な対照試験を経ていない」という一言だけです。「飲料水に水素を入れることなど不可能」みたいな言説は不適切です。じゃあ実際に飲料水に水素を入れちゃった人がいたらどうするのか?という話です。


2. どうしても批判する場合は、非科学性ではなく、言説を取り上げている社会的文脈を踏まえて批判すること

それでもどうしても批判しなきゃいけない場面というのもでてきます。例えば、反ワクチン運動だとかいうようなものは一切許容出来ない言説です。また新聞やテレビのような影響力の大きいメディアでは、健康や医療の偽情報がでることなどは許容出来ないでしょう。

私は、反ワクチン運動を広めるような発言であれば、facebook上の普通の友人であっても、必ず絶対に反論することにしています。それが友情を傷つけるとしても、反ワクチン運動だけは社会的に絶対に許してはならないからです。

しかし、そのときに「反ワクチン運動は科学的に間違っている」などということは全く意味がないことだと思います。そもそも反ワクチン運動を信じる人は、科学的正当性などに興味がないどころか、「何が正しいのか、何が嘘なのか」などということ自体に一切の興味をもっていないと思います。

だから私は「反ワクチン運動が広まれば、多くの子供達が苦しむことになる」ということに絞って伝えます。とにかく子供たちが苦しむ、というイメージを伝えることが大事です。その理由はあまり大事ではありません。

反科学性を批判するのではなく、その偽の言説が社会的にどういう悪影響があるのかを、その発言した相手だとか、記事を載せた新聞社だとか、そういうところに直接に伝えなければいけません。


3. なぜ疑似科学が生じるのか、その理由について考察する

僕は、この数年間、とても不思議に思っていることがあります。facebookで世界の友人の発言を見ていると、女性の間で、なぜか自然派志向みたいな不思議な宗教的な発言がとても多いということです。

○○という食品は自然だから良いとか、ヨガをして空気中の何とかパワーを取り入れようとか、○○という食品は化学成分が含まれているから悪いとか。

こういう発言は、世界のどこの女性にもかなり広まっています。そういう発言をおおっぴらにしない人でも、じつは化学調味料は健康に悪いと信じていたり、そのような価値観を持っている人が大勢います。

こうした考えは今に始まったことでもないでしょうが、なぜこうした発言がミームとなって世界中に広まるのか? なぜ疑うことをせずに、こうした発言を受容するのか? その点が私にとってとても興味深いと思っています。

なぜそうしたミームが強力に広まるのか、逆にどうしたら良いミームを広げることができるのか? そういうことを考えなければ対策は難しいように思います。

なぜ私は懐疑主義者が嫌いなのか - 水素水批判ブームを批判する

世の中には懐疑主義者と呼ばれる人達がいます。懐疑主義者とは、疑似科学、すなわち科学的であるかのように見せかけながら実際は科学ではないデタラメを批判するという活動をしている人達です。

もちろん間違っていることを間違っているというのは悪いことではありません。もちろん私も疑似科学のことは嫌いです。

しかし私は懐疑主義者のことも好きではありません。なぜなら彼らは批判のために批判するという状況に容易に陥りがちだからです。正しい知識を広めることではなく、批判すること自体が使命になってしまうのです。

端から見てると、懐疑主義者のほうがオカルト人間よりもよっぽどアホのように見えてしまいます。なぜなら懐疑主義者には物事の本質が見えていないからです。


例えば、最近は水素水なる商品が出回っているという話です。

私は、やたら多くの人が水素水批判を繰り広げるのを目にしました。その批判者の多くは、単に他の人が水素水を批判しているから、尻馬にのって批判している人達のように見えました。そういう発想は、本来の懐疑主義という精神から正反対のものであるように思います。

確かに水素水なるものが健康に効果があるということは明らかに誤りであり、詐欺であるように思われます。しかし残念ながら世の中にはそのような誤った言説は無数に存在しているのであり、それを一つ一つ否定していたら、まともに社会で生きていくことすらできないでしょう。

水素水が科学に反しているとして、それを科学的に説明することなど何の意味もありません。もしも、あなたが生理学者であり、新聞に記事を書く機会があるなら、水素水否定のような解説をすることにも意味はあるでしょうが…。

でも、水素水のようなものがいかに間違っているかを片端からあげつらっていても、それは単なる偏屈者であり、物事の本質が見えないアホでしかありません。

なぜなら水素水を買うような人々は、そもそも「水素水が科学的に効果があるかどうか」などについて1ミリも興味を持っていないからです。

水素水批判をする人は、神社に行って「お守りは科学的に効果がないから詐欺商品だ! 買うのをやめろ愚か者共め!!!」と叫んでいるようなものです。そう考えれば、水素水を買う人よりも、水素水批判をする人のほうがよほど愚かだということがお分かりになるのではないでしょうか。


現実において、全ての人が全ての物事に関して正しい考えを持つということはありえませんし、そもそも正しい考えとは何なのかという話になります。疑似科学批判者が、経済学や法律学や心理学や社会学などに関して全て完璧な知識を持っているのか? そんなことはありえないでしょう。自分は絶対に誤りを犯さないと思っているならとんでもないキチガイです。

私は、ものすごく物事を疑ってかかる人間だと思っています。そうしてみると、世の中の言説の99%くらいは、真っ赤な嘘か、正しいことが証明されていないか、掘り下げが足りないため実質的に多くの問題を抱えているか、そのようなものになっていると感じます。

でも現実的に人間は、限られた知識や時間の中で、考え、発言し、決断をくださなければならないのです。さらにそれを記事にするとなれば、文字数も厳しく制限されてしまいます。本ブログのようにいちいちだらだらと長く書いていたら読んでくれる人はせいぜい数人~数十人程度です…。

そのような誤りだらけの社会のなかで特定のタイプの間違った言説だけを取り出して批判することには何の意味もないと思っています。

かといって全てのタイプの間違った言説を批判していたら社会的に抹殺されるでしょう。全ての宗教の信者や、天皇制度の信奉者などに片っ端から喧嘩を売っていたら命がいくつあっても足りません。サウジアラビアにいって「アッラーは存在しない!」と叫ぶような人がいたら真の懐疑主義者ですが、すぐに死んでしまうでしょう。

だから疑似科学を批判する人の多くはナイーブなアホで、かつ自分の得意な領域で他人を批判して喜んでいるだけのクズだと思っています。

では、疑似科学とどのように向き合えばよいのか? それについてはあまりに長くなりすぎたので次の記事に続きます…。


ちなみに私も昔はこのような醜悪な懐疑主義者でした。たしか10年くらい前かな、インターネットで菊池誠という人とその周りの懐疑主義者連中を見て、疑似科学信奉者を嘲って喜ぶ姿のあまりの醜悪さにギョッとして、懐疑主義者批判者へと転向しました。

(とこの記事を書いてから、ふと思い立って「菊池誠」で検索したら「疑似科学批判批判」というジャンルの議論がすでにいろいろとあることに気付いてしまった。書く前に気付けばよかったよ…。この記事は自分でもあまりうまく書けたと思わない…。というか最近はブログの文章が全くうまく書けない…。)

2016年5月31日火曜日

選挙を改善するための2つの方法、標本抽出と順位付け投票

(このブログは古いサーバーで動いていたarai blog 05/24/2010からの再掲です。一部表現を分かりやすくするため修正しています。)

選挙や政治というのは、なんかうまく動いていないような感じを持つ人が多いのではないでしょうか。改善策は色々と提示されますが、その多くは非論理的であり、効果は不明確で、いわば思いつきにすぎないものだと思います。

選挙をよりよくする、ということは、すなわち民意をより正確に反映するということです。たとえば私は以下のような価値観を持っています。これは比較的、多くの方にとって受け入れやすい価値観ではないでしょうか。

  • 考えなしの投票よりも、よく考えておこなう投票の方がよい
  • 組織票の影響など、投票者(=棄権者)の偏りによる影響は少ないほうがよい (組織化された集団ほど投票率が高くなり、組織化されてない人の意見が反映されにくくなるので)
  • 似たような候補者間での票の食い合いによって当選者が変わることはないほうがよい

もちろん一票の格差などは正されるべきですが、それは社会の平等さの問題であり、より正確な選挙を実現するための技術的方法とは、また別かもしれません。

この数年間いろいろ考えていて、結果的に選挙を良くするために行える論理的な方法には、主に二つがある、ということに思い至りました。

一つは、抽選による投票者の絞り込み(標本抽出)で、もう一つは、順位付け投票です。


抽選による投票者の絞り込みとは、すなわち投票できる人を、ある選挙区で有権者の中から抽選で選ばれた数百名ないし数千名に絞り込むということです。

全ての有権者から抽選でランダムに選ぶならば、投票者数を絞り込んだとしても、全員が投票可能である場合と高い確率で同じ結果となるように統計学的に裏付けることができます。

これにより、一票の重みは限りなく重くなり、投票者は真剣に吟味して投票をすることが期待されるようになります。選ばれた人には投票を義務づけることも可能でしょう。

さらに追加で、投票者に対し、休暇を与えたり、もしくは強制的に図書館に拘束するなどして、調べたり勉強したりすることを義務づけることも可能になります。

もし社会が許すなら、選挙期間を長くして、その間は、投票者に定期的に勉強を受けさせたり、また候補者に説明を行う機会を与えたり、討論会をさせたりすることもできます。投票者は、候補者に自由に質問を行ったり、情報公開を命じたりできるようにするといいでしょう。

こうすることで、候補者は広く薄く働きかける必要が減り、資金力や動員力に頼らずとも、説得力のある主張によって当選することも可能になり、質の高い選挙を行うことができるようになります。

デメリットとしては、もし候補者による直接の説明の機会を与えるならば、買収や脅迫などが容易になったり、従来の選挙結果との差異が大きくなり社会不安を惹起する可能性があるということです。また投票者の人数を小さくしすぎると、選挙結果にばらつきが大きくなるので、適切な大きさを探す必要があります。


順位付け投票とは、投票するときに一人の候補者を選ぶのではなく、候補者のリストを提示して、それぞれに1位、2位などと順位をつけて投票する方式です。

これにより候補者が増えて票が分散してしまい、本来受かるべき候補者が落選したり、本来はAさんに投票したいのだが、当選の見込みが低いので受かりそうなBさんに投票しようなどといった事態を減らすことが期待できます。

本当に好きな候補を1位にして、次に好きな候補を2位にして、一番嫌いな候補を最下位にするというような投票行動が可能になることで、票の分散や、バンドワゴン効果を減らすことができるでしょう。

デメリットとしては、投票が面倒くさくなるので、投票率が下がったり、無効票が増加することが考えられます。その場合は、同列順位(一人が1位であとはすべて2位など)で投票できるようにすれば少し改善されます。

標本抽出で選ばれた有権者であれば、この投票法をきちんと時間を取って説明することもできますし、投票義務化もできますので、投票方法が複雑になることによるデメリットは完全に解消することができます。


このような選挙方法の変更を取り入れるだけで、選挙はよりよく民意を反映するものになるのではないかと私は考えています。皆さんはいかがお考えになるでしょうか?

2016年2月3日水曜日

日本人はなぜ社畜に甘んじるのか? 一人一人が戦わなければ何も変わらない。

私は日本を声高に批判する海外在住者をいつも苦々しい目で見ています。なぜなら世界中には色々な国があるが、どこにも天国などないと私は思うからです。どこの国にも一長一短があり、人によって住みやすい国や成長出来る国などは違うことでしょう。それを日本だけが劣っているようにあおり立てる海外在住者は卑劣だと苦々しく見ています。

もちろん日本にも悪い点や、直すべき点はいろいろあるでしょう。しかし政府が悪い、社会が悪いと言っていても何が変わるでしょうか? 日本に悪い点があるのなら、一人一人が直せる範囲でよくしていくしかないはずです。


世の中の人が、日本について最も不満を抱いているのは、その組織文化ではないでしょうか。とくに職場の劣悪な人間関係や労働条件などは誰もが苦痛に感じているようです。日本の労働環境を素晴らしいという人は見たことがありません。

しかし「なぜ日本の職場環境はそんなに悪いのか」「どうすれば改善出来るのか」について真剣に考えている人がいないのは不思議なことです。

私から見れば、日本の職場環境が悪い理由は自明です。

それは労働者が自分の権利を守るために全く戦おうとしないからです。

彼らはまさに「社畜」の言葉通り、従順に会社に従い、しばしば会社のために我が身を捧げて死んでいきます。それは小中高と奴隷養成学校で育てられた日本人の奴隷根性がそうさせているのです。

労働者や一般市民は、今の生活や権利を、権力者の思し召しで与えられたわけではありません。企業や政府と戦い、ときには血を流して、権利や待遇を勝ち取ってきたのです。みなが従順な社畜であったら、だれがわざわざ良い待遇を用意するでしょうか?

一人一人が、自分の持ち場で、声を上げて戦うことをせずに、なぜ政府や社会の批判ばかりするのでしょうか?

(ちなみに私は共産主義者でもなんでもなく、バリバリの資本主義者であり、経営者であり、複数の従業員を雇用している立場です。労働組合やストライキ権などは、あまりに強い権利を持ちすぎていると思います。それほどの強い権利をなぜ労働者が使わないのか、実に不思議です…)


社内で労働組合を旗揚げしろとか、共産革命に身を投じろとか、そういう無理難題を吹っ掛けるつもりはありません。各人が負担の無い方法で戦えば良いということです。

一番簡単なのは不当な待遇を受けた場合には全てそれをメモや録音などで記録しておき、会社を辞めたタイミングで、それを持って労働基準監督署に行くなり、弁護士の無料相談に行くなりすることです。もし勝訴して十分な賠償金を得られそうなら弁護士は訴訟を提案してくれることでしょう。

弁護士費用の捻出が難しい場合は、一人で加入出来る労働組合(ユニオン)に加入して、ユニオンを通じて会社と交渉したり、ユニオンを通じて労基署に訴えるという手があります。役所の常として労基署も仕事を増やしたくないので、なるべく追い返そうとするかもしれません。「ユニオン 労働組合」で検索すれば多数出てきます。(このパラグラフは2016/3/5に追記)

これを多くの人が実践すれば、会社は労働者に対して不当な扱いをすることを恐れるようになるでしょう。実際に勝訴出来るかどうかは案件によるでしょうが、未払い残業代などは証拠さえあれば勝ち取れるものと思います。さらに勝訴出来なくても労基署や弁護士が介入してくれば牽制球にはなるでしょう。

会社を辞めてから戦うなら何も怖いことはないですよね。

逆に零細企業経営者としては、めちゃくちゃ怖いんですけどね(笑)。日本では大企業以外では複雑な労働関連法規を完全に守って経営できているところはなかなかないと思うのですよ。とくに弊社の場合は、完全在宅勤務なども実施しているので、正確な労働時間の把握など、さらにややこしい点があります。


そして労働者にとって最も大事なことは、仕事のせいで精神や身体に不調を感じたらすぐに辞めるか休職するということです。

元気があり、すぐ転職できそうなら辞めればいいでしょうし、心身の不調で休養が必要であれば休職して健康保険の傷病手当金を受け取るのが良いのでしょうね。病気等で一度辞めてしまうと手当などが受けられないこともあると聞きます。(私も詳しくないので、ここはどなたか詳しい方にコメントなど頂ければと思います)

精神や身体に不調を感じているのに、それが重病になってしまうまで働き続ける日本人は本当に愚かだと強く思います。それも家族がいて、給料の良い大企業に勤めており、転職すると給与が大幅に下がってしまう人ならともかく、若くていくらでも仕事があるような人が身体を壊すまで働く理由がありません。

うつ病は、多くの人がかかる病気なのに、一度罹患すると数年間働けなくなることもざらにあり、さらには一生後遺症を残すことになったり、最悪の場合は死にも至る恐ろしい病気です。

とくにデスマになったら即座に逃亡することを強くお勧めしますね。いくら養うべき家族がいると言っても、お父さんが過労死したり、うつ病になったりするよりは退職する方がマシでしょう?

私の知人で、格闘技などをやっていて、タフさには自他共に自信があった人も、うつ病になってしまいましたからね。デスマの危険というのは恐ろしいものです。


「すぐ逃げるような奴は何をやっても駄目だ」とかいう人がいますが、私はこれまで逃げて逃げて逃げて人生を送ってきましたが、いまは事業をいくつか立ち上げて成功して、わりと悠々自適に暮らしています。

逃げていても、ちゃんと自分の進むべき道をきちんと考えて頑張って生きていれば、それで能力が無くなるとかいうことはないと思いますよ。嫌な仕事から逃げて、楽しい仕事だけ全力でやればいいんじゃないですかね…。

ただ日本人は、嫌な仕事から逃げるというと、すぐに資格勉強とかに走ったりする訳の分からない行動を取る人がいるのですが、そういうのはやめたほうがいいですね。嫌な会社や顧客などから逃避するのが大事であって、自分の人生や本業から逃避してくだらない夢物語に生きるべきではありません。


日本人はあまりに従順であることから会社に舐められています。

サービス残業は明確な犯罪です。

自分が犯罪の犠牲になって黙っていることが美徳ですか? そういう考えの人が増えれば増えるほど、会社はつけあがり、他の多くの労働者が犠牲になります。誰かが我慢して低い待遇に甘んじれば、他の人が犠牲になるのです。

もちろん日本社会自体の構造問題もあるので、一人一人が戦えることには限界もあり、戦うという手段は個人にとっての特効薬ではありません。

しかしもし大多数の日本人が戦うことを選ぶとすれば、社会は一夜にして変わるでしょう。戦わないということは、多くの人々を巻き添えにするということなのです。戦わないで社畜に甘んじるということは、社会を駄目にする許しがたい悪徳だと私は考えます。

さらに言うと、徹夜をしてでも納期に間に合わせて残業代は請求しない、そのような社畜プログラマーがいるから、この業界は良くならないし、まともな経営をしている会社に迷惑をかけていると思いますよ。

社畜プログラマーを雇って顧客の無理難題に安く応えるような会社がいれば、真面目に社員の労働環境を守ってきちんと残業代も払う会社は不利になりますよね? さらには安いIT奴隷工場があれば、パッケージやクラウドや新技術などを活用してまともに生産性向上の努力をする会社の足を引っ張る恐れすらあります。

すなわち社畜は、日本で真っ当な権利を主張する労働者達の敵であり、さらには日本でまともな経営をする会社の敵であり、日本経済の足を引っ張る非国民なのです。

社畜は日本の癌細胞であり、一日も早く撲滅せねばなりません。


追伸: あと日本の組織の人間関係を悪くしているものに日本人のコミュニケーション力不足が根底にあるかと思います。議論や指摘などがまともにできないのね。でもそれはまた別の話だし、解決は難しそう。

2016年1月4日月曜日

今話題のブロックチェーンとは何なんだ? 部外者の技術者として考察してみる。

一行でまとめ: 暗号通貨は面白いけど、ブロックチェーンはそれ以外には使い道がないだろうと僕は思ってるよ。暗号通貨はダメでブロックチェーンは有用という奴らは何も分かってない。


最近、IT業界を取り巻くメディア(日経BPとTechCrunch等)ではブロックチェーンなる技術が話題です。

ブロックチェーンとは、bitcoinを構成する技術であり、それ自体が金融システムを変革するものなどと言われています。しかしメディアではブロックチェーンの本質について説明しない記事が目立ちます。

現状の大きな問題として、ブロックチェーンやbitcoinについて解説する記事の多くは、bitcoin関連の仕事をしている起業家や研究者などの利害関係者による記事が多いというバイアスがあります。また技術者ではないジャーナリストが書いた記事も、技術的な本質に突っ込めていないものが目立ちます。

本記事では、bitcoinに関して利害関係を持たない一技術者として、ブロックチェーンに関して考察を試みようと思います。私はbitcoinの専門家でもなんでもないので、認識等は間違っているところも多々あるかもしれませんので、ご指摘頂ければ幸いです。

ブロックチェーンとは何を実現する技術なのか


さて、まずブロックチェーンとは何なのかですが、bitcoinを構成する技術であり、具体的にはbitcoinの取引履歴を記録した巨大な台帳ファイルのことを指します。

しかし、一般記事ではブロックチェーンという名称で、bitcoinを可能にしている分散P2Pトランザクションなどの幅広い技術を指すことが多いようですので、以下、本記事でもブロックチェーンという場合は、幅広くbitcoinの技術全般を指すことにします。

さて、そもそもブロックチェーンとは、科学的に見て何が新しいのでしょうか?

ブロックチェーンは、中央の特権サーバが決済履歴を管理することなく、さらに特殊な電子機器を用いることなく、決済(トランザクション)の二重実行防止を実現した点で画期的な技術と言えます。

電子マネーというのは、通常、支払を行うのに中央のサーバと通信して支払を指示する必要があります。なぜなら電子マネーを持っている人が、直接に他の人に支払を行った場合、その裏付けとなる電子マネーを二重に支払いに使っていないかどうか確かめる手段がないからです。(電子データは複製が自由に可能なので、二重支払が自由にできてしまう)

通常の場合は、サーバが決済データを一元管理して、同じマネーが二回支払われていれば拒否するようになっています。これが通常の電子マネーの実現方法です。要するに銀行振込と同じですね。

場合によっては、電子マネーは特殊な電子チップに格納され、支払を行うと、電子チップの中の電子マネー情報が消去されることにより、二重支払を防止する場合もあります。この場合は、電子チップが正しく製造され、第三者が改竄出来ないことを前提にしています。

この二重支払の防止を、中央サーバも特殊な電子機器もなく実現したのがブロックチェーン技術です。

(ちなみに単なる電子契約を行うのにブロックチェーンは不要です。契約書は裏付けとなる資産を保証するものではありませんから、公開鍵暗号方式を使えば普通に実現出来ます)

ブロックチェーンはどうやって二重支払防止を実現するのか


ブロックチェーンの二重支払防止技術は、基本的に多数決による認定に頼っています。多くのbitcoin参加者が取引を監視し、その結果として、二重支払がもし行われた場合であっても、取引を監視している人の採択結果により、どちらが正しい決済として認められるかが決まります。

そのさいbitcoinでは不特定多数の人が市場に参加出来ますので、多数決をする場合の投票権を持つ母集団が定められません。そのためbitcoinでは、コンピュータによる計算量を投票権として採用し、採決をした人に報酬を支払うというルールにより、多くの人が監視して正しい採決が行われるような仕組みにしています。

(IPアドレスごとに票を持たせるような仕組みでは、IPアドレスを多数持つ人が有利になってしまうので、特定の人に投票権が偏らない仕組みとして計算量を採用している)

この「計算量」により投票権が決まるという仕組みがブロックチェーンの肝といえる技術です。これは暗号学やP2P分野の研究において大きな新発明と言えるでしょう。

但しブロックチェーンの大きな弱点として、計算量によって投票する仕組みなので取引ごとに膨大な計算量が無駄にされるという点と、採決が複数回繰り返されることによって決済が確定するので、決済が確定するまでに10分以上の時間を要してしまうという点があります。

この計算量が無駄にされるという性質はかなり致命的なものです。なぜなら計算を行うにはサーバ機器代と電気代がかかるのであり、貴重なエネルギーやサーバなどの資源を無駄に浪費していることになります。これは非常に困った性質です。

ではP2Pのメリットとは何なのか


bitcoinはそれほどまでに特殊な技術を用いて、中央サーバが存在しないP2Pトランザクションを実現していますが、そのメリットはなんなのでしょうか?

じつはbitcoinは匿名性を実現するためにP2Pにしているわけではありません。取引の履歴は全て公開されており、誰でも取引の履歴を追っていくことが可能なのです。これは通常の中央サーバを用いても実現可能です。

中央サーバがないことによるメリットは、主に規制に従う義務を負わなくなるということの一点に尽きると思います。

中央サーバがある場合、その運用者は、電子マネーの運用主体であると見なされ、様々な法的義務を負うことになります。すなわち規制にがんじがらめにされ、もし何か政府とトラブルになった場合には、最悪サーバが差し押さえられる危険があるということです。

しかし中央サーバがなく、さらにソフトウェアの開発もバザール方式で行われていれば、電子マネーの運用主体が存在しないということになりますので、法的規制を受けなくなります。事実、日本でもbitcoinビジネスを行うことは2016年1月現在では法的に自由のようです。

ここがbitcoinのとても面白い点ですね。開発者は無政府主義的な思想を持っていることが伺われます。実際にTorという暗号化インターネットの中では、bitcoinを使ったアングラ通販サイトが存在し、ヘロインの塊1kgなどを通販で売っているのを目にしました。

で、ブロックチェーンは金融機関などの一般社会で使えるの?


最近では、ブロックチェーンが金融機関や一般社会での取引に使えるという説を唱える評論家が数多くいます。しかし私はそうした説に極めて懐疑的です。

まず金融機関や一般社会での取引には、中央サーバがあってはいけない、P2Pが望ましい利用場面というのが全く存在しないというのが最大の理由です。

中央サーバによる決済は、ブロックチェーンを使った決済よりも圧倒的に速く安く確実かつ簡単に実現できます。

ブロックチェーンにより、決済システムがより安く高速に実現出来るという論を唱える評論家がいますが、そういう人が技術的根拠を提示しているのを一切みたことがありません。

そもそも、単純に通貨の価値を他に移転するだけのトランザクションなど極めて低コストであり、最近のサーバ費用を考えれば、わざわざコストを下げるような必要など一切ありません。

銀行のシステムが高額なのは、極めて複雑なビジネスロジックを実現しているからであり、bitcoinのような単純な価値移転とは比べものになりません。

P2Pや分散技術というのは、基本的に極めて高度な技術を必要とするものであり、それによる性能へのオーバーヘッドも多くあります。どうしてもP2Pや分散が必要となるやむをえない理由がなければ、単一のサーバで処理するほうがずっと楽に行うことができます。

とくにP2P技術(多数の信頼出来ないコンピュータが協調するもの)は、ほぼ現実社会で使い物になる技術ではないと私は考えます。あまりに複雑すぎて構築も運用も極めて難しいだけでなく、性能へのオーバーヘッドが大きすぎるからです。

一時期はWinnyなどのP2P技術が持てはやされましたが、今でも実際に使われているものはBittorrentくらいではないでしょうか?

残念なことに大学や研究所などの研究者にとっては、複雑で実現困難な技術であるほど、自分たちの研究論文を書きやすいので、往々にしてこういう「筋の悪い」技術をあえて推奨する研究者が多くいるのです。筋が良くて簡単に実現出来る技術はいくら優れていても彼らの飯の種にはならないのですね。

でもブロックチェーンはbitcoin形式だけじゃないのでは?


※本章で主に批判している対象はこちら → ブロックチェーンの正体 | TechCrunch Japan

ブロックチェーンの本質は「分散型台帳」であり、bitcoinとは違う使い方が出来るなどという人が最近増えていますが、それは全く計算機科学について知らない素人の妄言に過ぎません。

まず第一に分散型のデータベースに関して言えば、計算機科学においてこれまでもずっと研究されてきています。

分散型トランザクションにおいても、参加者が信頼できるのであれば、quorumなどという多数決による投票のアルゴリズムが昔から存在します。AmazonのDynamoDB分散データベースのようにquorum的な多重化で故障を防ぎ性能を向上しているシステムは既に存在します。[論文]

ブロックチェーンがこうした技術について新たに付け加える点は何一つありません。


で、参加者を中途半端に信頼して、弱い計算量のブロックチェーンを導入するということを提案する人もいますが、それはセキュリティの観点から見れば愚の骨頂です。

計算量を投票に使う方法は、あくまで不特定多数の参加者が、報酬につられて膨大な計算量を投入しているからできる方法なのです。特定少数のノードが中途半端な計算量を投じても、何の保証にもなりません。誰かが不正をする気になれば、そんな計算量など一瞬で破ることが可能でしょう。

もしどうしても特定多数の100%信頼出来ないノードで投票を行うのであれば、一人一票方式の方がずっとマシなのではないでしょうか。中途半端な計算量ならその気になればいくらでも投入可能ですが、特定のちゃんと身元が割れた参加者であれば一人一票以上を手にすることはできないのですから。わざわざ計算量を投票権に使う意味は全くありません。

(それでも不正のインセンティブがあれば、LIBOR不正事件のように結託して不正を行う場合もあるでしょうから、きちんと管理された中央サーバを使う方がずっと安心だと思いますが・・・)

ブロックチェーンというのは計算機科学における一つの基礎技術を指すのであり、それを専門外の評論家や弁護士などが表面上の点だけを捉えて、間違った情報を流布するのは良くない傾向だと思います。

ITについて専門外の人が論考する自体は良いことだと私は思いますが、計算機科学について知識のない人が、科学技術上の観点について憶測で論考するのは望ましくないですね。

とくにセキュリティに関わる場合は、致命的な事故を招く場合もあるので危険です。

IT技術者が立場にとらわれずに技術的な論考を表明をすることがもっと求められているかもしれませんね。


参考リンク:
  1. ブロックチェーンをもう一段深く理解する
  2. Busting 7 Blockchain & Bitcoin Myths - Crowdfund Insider 
  3. BitCoinとBlockChainにまつわる誤解ーそんなことはできない - Qiita (2016/1/10追加)
  4. なんでもかんでもブロックチェーン?何をもってブロックチェーン?ブロックチェーンの用語の混乱を整理してみる(議論たたき台) | ビットコイン&ブロックチェーン研究所 (2016/2/15追加、大変優れた整理なのでお勧めします。私はこの整理でいうとフルコンボのブロックチェーンは面白いと捉えますが、他のものには極めて懐疑的です)
  5. ブロックチェーンという言葉に騙されないために - いもす研 (imos laboratory)  (2016/12/10追加)

この記事が広まったので補足: (2016/1/7 15:45 バンコク時間)

私はブロックチェーンやbitcoin自体を否定するつもりでこの記事を書いたわけではありません。世の中で、技術的裏付けを全く提示せずにブロックチェーンが「ゼロダウンタイムのトランザクションを低コスト」で実現する技術だとか言うようなジャーナリストなどが目立つので、それに対して疑問を呈する意味で書きました。

一般的な(bitcoinに詳しいわけではない)技術者として見ると、bitcoinやそれに関連する技術が「ゼロダウンタイムのトランザクションを低コスト」で提供するような技術とは、そもそも目的からして全くかけ離れており、そうした紹介がされることには強い違和感があります。しかし世の中の記事では、その違和感を埋めてくれるような技術的説明が全くありません。それに一石を投じたかったということです。

ただし、現時点で技術的に説明されてないとしても、ベンチャー企業などがその技術を開発中であり開発成功する可能性はありますし、そうした可能性を否定する意図は全くありません。

ましてやbitcoin関連技術やブロックチェーンが単なる分散データベース以外のもっと新しい用途で使われることを否定する意図はありませんし、そのような記述をしたつもりもありません。私の筆の滑りもあるでしょうが、その点については、慎重に読んでいただければ理解していただけると思いたいところです。

2015年12月29日火曜日

韓国とタイの空港鉄道が全く同じ大失敗。どこの国も政府はアホだ。

本ブログはなるべく良質の記事だけをお届けしようとした結果、あまりに記事が減りすぎてしまったので、ちょっと気軽に書ける雑な記事を増やしていこうかと思います。

さてソウルの仁川国際空港と、バンコクのスワンナプーム国際空港は、どちらも古くなった旧空港から新しい場所に移転した空港です。いわば成田空港のようなものでしょうか。仁川空港は成田空港と同じく、かなり離れた場所にあります。

仁川国際空港にもスワンナプーム国際空港にも、わりと最近になって待望の空港連絡鉄道が完成して運用されています。どちらもタクシーやバスに頼らないで済むので、旅行者にとっては安心して利用出来る乗り物です。

しかしどちらも致命的な運用上の欠点のせいで、空港への到達時間を短縮することには完全に失敗しています。それどころか仁川空港への空港鉄道は深刻な経営危機に見舞われています。


この二つの空港鉄道には、どちらも急行と鈍行があり、鈍行は頻繁だけど、かなりゆっくり走ります。急行はたまにしか来ないけど、わりと高速に走ります。

困った問題は、鈍行と急行で料金が違い、さらに改札口やプラットホームまで違っているため、ホームにいって急行が来たらそれに乗るということができないのです。そのせいで、たまにしか来ない急行を当てにして急行ホームに行く人は誰もおらず、急行はガラガラどころか乗客がほぼゼロの状態です。

ついにはバンコクのエアポートレールリンクでは急行の運行を取りやめてしまいました。

どちらも京成スカイライナーなみの160km/hの設計速度を持っており、本来は空港への到達時間を大幅に短縮するはずなのに、なぜこのような事態になってしまったのでしょうか?

推測出来る理由としては、韓国もタイも、日本のような郊外鉄道網を一切持っておらず、地下鉄のような都市内鉄道と国鉄の二系統しかないために、郊外高速鉄道の運営経験が全くないということがあります。

そのためアホなコンサルタントか誰かに騙されて、急行と鈍行の料金を変えようという、馬鹿な価格差別化を設定してしまったのでしょう。しかし一体誰が、10分~20分程度の時間短縮のために、たまにしか来ない急行列車を待って、わざわざ高い運賃を払うというのでしょうか? あまりにもアホすぎます。鈍行に乗った方が普通は早く着くんですから。

その結果、仁川空港鉄道の急行は一日2000人しか乗らないのに、ガラガラの列車を意味もなく運行しつづけているというアホ状態です。せめて失敗を明らかに認めただけバンコクの方がずっとマシです。


この話はアホ過ぎてビジネスの教訓にはならないかもしれませんが、政府や公共部門が本当に愚かな振る舞いをするのは日本に限らず、どの国も一緒ということです。

政府公共部門や大企業などの大組織において、どのようにガバナンスを効かせて、まともな意思決定や組織運営が行われるようにするかというのは、21世紀における最も重要な問題ではないかなと思います。全てのニーズが自由市場だけで解決するわけではありませんから。

また、世界における貧困問題や紛争などの問題は、99%は政府部門がアホすぎるせいで発生しています。べつに空港鉄道が多少アホでも人が死ぬわけではないので、まあ、大した問題ではないのです。しかしこの地球上の多くの領域では、政府がアホすぎるせいで、多くの子供達が飢えや病気や戦争で死んで行っています。

政治と経済という領域が21世紀の最も重要な課題であると私は信じます。ですが、残念ながら政治学も経済学も完全に停滞しており、それを解決する方法はまだ全く見つかっていません。

あれ、なんかタイと韓国の空港鉄道を気軽に馬鹿にするだけの記事のはずが、なんか偉そうになってしまったので、ここで筆を置きます。まあ、世の中、どこの国にも、理不尽なことや愚かなことは沢山ありますねと。


余談: ちなみに成田空港のようにそもそも空港自体がとてつもない大失敗である件に比べればずっとマシな話です。成田空港は悲惨すぎて馬鹿にする気にもならないですね。考えると気分が暗くなってしまうので。逆に空港と空港鉄道が模範とすべきなのは香港国際空港ですね。あれは素晴らしい。

2014年8月26日火曜日

悪徳を擁護する ― 私は今日をもって児童ポルノ擁護派に転じます

これまで私は、児童ポルノ規制反対という明確な立場ではなかったけれど、ここ数日の以下のニュースを見て、「児童ポルノ規制」というのは現代の魔女狩りであり、ナチスや北朝鮮を超える恐ろしい超監視社会の全体主義国家を誕生させる契機ともなりかねないと感じ、児童ポルノ擁護派に転ずることにしました。

MicrosoftのOneDriveに児童ポルノを保存していたら通報されて逮捕 - GIGAZINE

Gmailで児童ポルノを送信したと判断してGoogleが当局に通報、送信者逮捕 - GIGAZINE


2001年の航空機テロ以来、アメリカ合州国を中心として、自由社会や自由主義へのアンチテーゼとも言える動きが見られるのを目にしてきました。

テロとの戦いで、市民のプライバシーを侵害したり、空港で全裸スキャナーを稼働させたり、無駄な手荷物の規制などを導入したり、無関係な国に戦争を吹っ掛けたり、多くのことが起こりました。

動物愛護団体は、自分たちの主張を多くの人に信じ込ませ、単なる道徳的信条を法律による規制として他者に押しつけようとしています。それどころか日本がクジラを食べる自由を侵害するなど、内政干渉にまで及んでいます。

そして児童ポルノ規制は、欧米では魔女狩りじみた狂った状況になりました。児童ポルノは、ヘロインのように所持しているだけで重罪となるだけではなく、そのためならインターネットの大企業まで協力して、市民のプライバシーを完全に無視して行動しています。

現代のIT技術では全てのコンピュータはインターネットにつながり、極めて複雑なソフトウェアにより制御されています。そのため自分のコンピュータであっても、完全なコントロールを得ることは、ほぼ不可能です。

そうした状況下で、犯罪対策のためといえども、ITの主要な部分を握る大企業が、市民のプライバシーを自由に侵害できるとしたら、どんな社会になるでしょうか?

そして、もしそのプライバシーの侵害を、狂信的な政府が悪用するとしたら、どんな恐ろしいことになるでしょうか?

政府の許容する以外の一切の思想は取り締まられ、思想を持った瞬間に処刑されるような世界のできあがりです。


なぜプライバシーや自由を守るために、児童ポルノを擁護する必要があるのか? と思うかもしれません。単にプライバシーや自由の侵害だけに反対すればいいじゃないか、と。

しかし私は気づいてしまったのです。人間社会はしばしば抑圧的な社会を自ら作り出そうとするということに。

抑圧的な社会を作り出すために、「児童ポルノ」だとか「動物虐待」だとか「テロリズム」だとかいった悪役を生み出して、それを叩くという名目で抑圧を生み出すのです。

人々の怒りや善意の感情を巧みに動かして、抑圧を生み出します。

悪役への抑圧があるときに、単に個別の人権侵害事案にたいして立ち上がるだけでは、「抑圧を生み出す本質的構造」と戦うことができないと思うに至りました。悪役への憎悪や恐怖を生み出す構造自体と戦わねばならないと思います。

多くの人にとって児童ポルノは不愉快かもしれないが、それでも児童ポルノを所持して鑑賞することは犯罪にすべきでないと私は思います。配布することも犯罪にすべきではないかもしれないとすら思います。感情的になんでもかんでも違法にするのは間違っています。

たしかに、児童を使ってポルノを撮るなど言語道断でしょう。例えば、意味も無く動物を虐待する行為は、多くの人が不愉快に思うでしょう。ましてや飛行機を乗っ取って高層ビルに突っ込むなど、いかなる弁護の余地もありません。

しかし、だからといって、そうした行為への憎悪や恐怖が、独裁や抑圧へのフリーパスとなってはいけません。「児童ポルノなんて擁護することすらも許されない」というような考え方が蔓延することは、市民の権利にとって最も恐れるべき状況です。

どんなに憎むべき行為であっても、頭を憎悪に燃やし、怒りの余り何も考えられなくなるのは極めて危険です。

本当に規制されるべきものは何なのか、保護されるべき対象はなんなのか、冷静にそれを明確にしなければ、際限の無い抑圧を招くばかりです。

それを防ぐためにも、誰かが「擁護できないものこそを擁護する」立場に立つ必要があるのです。


テロリズムに関して言えば、飛行機を乗っ取られたり爆破されたりすることが防げればいいでしょう。しかし100%の安全性などというものは実現不可能なのですから、現実的な線で妥協をしなければならないのです。

多くの人が自動車の交通事故で死んでいきます。それに対して、飛行機は圧倒的に安全です。それを飛行機に余分な安全対策を課したがために、自動車に乗る人が増えれば、より多くの人を殺すことになります。

動物愛護に関して言えば、動物の残虐な取扱を禁止する倫理的根拠は極めて薄いように思います。「動物を愛護すべき」というのは、あくまで動物愛好家の信念にすぎないのですから、それを「動物を愛護したくない」という人にまで押しつけるのは、自由を不当に奪うものであると考えます。

もちろん現代では多くの人が動物を愛好していますから、動物を扱う産業などには動物の倫理的な取扱を定めるようなことは、それほどひどい自由の侵害とは言えないかもしれません。しかし「動物愛護」を金科玉条として、人間の価値を下に見て、医薬品の動物実験を規制するようなことがあれば、恐ろしい被害を人類にもたらすでしょう。

児童ポルノも同様です。

児童ポルノを所持して鑑賞したり、それを配布したりすることで、児童にどれほどの害が及ぶというのでしょうか? 児童ポルノを製造したり販売したりすることに比べれば、圧倒的に少ない害しか及ばないと言わざるを得ません。

私はリバタリアン(自由至上主義者)ではないので、「児童が自由意志において経済的対価をもらってポルノに出るのは自由じゃないか!」とまで主張するつもりはありません。

児童ポルノや児童買春は、児童の自由意志が十分に確認できないという点で、ある年齢以下は禁止して一定の罰を与えることはある程度の合理性があるとは思います。児童ポルノ製造も販売も禁止する合理性はあるでしょう。販売は製造のインセンティブになるので。

しかし児童ポルノの製造といえども、現状ではあまりにも幅広く捉えられすぎています。児童が自分のヌードを友人に送るだけで児童ポルノ製造罪と捉えられる恐れがあります。そのような間違った立法は直ちに是正すべきです。

また英米で児童ポルノ製造や児童買春が、大量殺人のような重大犯罪と捉えられるのは、あまりにも行き過ぎであると言わざるを得ません。日本がそのような社会にならないことを切に願います。


自由を制限する動きは、善意を装ってやってきます。

悪徳こそが自由にとっての炭鉱のカナリアです。悪徳にも寛容な社会こそ、普通の人にも寛容な社会であるのではないでしょうか。悪徳を擁護することが、自由社会を守ることだと思います。

だから、私は大手を振って自分の悪徳を認め、悪徳を擁護していきたいと思います。

こんなことを堂々と書いたらアメリカ合州国に入国できなくなりそうですけどね・・・

2014年6月13日金曜日

コンドーム以外のHIV感染予防法 (PReP等)

【免責事項】本稿の著者は医師や医療関係者ではなく、本稿には間違いを含む可能性があります。本稿に従ったことにより受けた一切の不利益について著者は一切の責任を負いません。

HIV(エイズウイルス)の感染を防ぐ方法としては、これまではコンドームだけが有効であるとされてきました。

いまでもコンドームが最も高い予防効果を持っていることは変わりありませんが、それ以外にもいくつかの予防方法が出てきています。

こうした予防方法は、たとえばHIV陽性のパートナーを持つ人がコンドームと併用することで予防効果を高めたり、もしくは何らかの理由でコンドームが使えない/使いたくないのに複数の人と性行為を続けたりする場合に使うことができます。

先日、日本でのHIV新規感染者数が過去最多になったというニュースが報道されました。

とくに日本では男性同性愛者の感染が多いので、そうした高リスクにある方は、本稿の方法によってリスクをさげることができます。

日本では性感染症対策は遅れています。とくに性風俗店などは、警察の管轄にあり、きちんとした規制が行われていないために、性感染症対策や労働法規の適用などの労働者の保護や公衆衛生の管理が行われていません。政府はこの状況をすぐに変えるべきです。


HIVをコンドーム以外に防ぐ方法としてこれまでに成功しているものには、HIV治療薬による予防内服と、男子割礼(いわゆる包茎手術)によるものがあります。

男子割礼は臨床試験の結果からは、ある程度の効果があると考えられ、アフリカで実際に多くの人を割礼するプログラムなどが実施されています。先進国では今のところHIV予防手段として認可はされていないようです。陰茎のうち感染しやすい部分が除去されることで感染が減ると推測されています。

現在試験されており、今後が期待されるものとしては、HIV治療薬のジェルを膣に塗布する方法と、HIVワクチンがあります。

残念ながら、どの方法も100%の効果があるわけではないので、コンドームなどと併用しながら、徐々にHIVを追い詰めていくということになるでしょう。

HIV治療薬の予防内服はアメリカのFDAにより認可され、正式な予防方法となりました。本稿ではアメリカのガイドライン(注1)に基づいてHIV治療薬の予防内服(PReP)について説明をしていきます。


予防内服は、一日一回テノホビル(300mg)・エムトリシタビン(200mg)の合剤(ツルバダ配合錠)を服用するだけで、安全かつ効果的にHIV感染のリスクを減らします。

そのため予防内服は、性的に活動的な男性同性愛者、異性愛者の男女、注射で麻薬を利用している人などのうち、HIV感染のリスクが高い人に推奨されます。

HIVに感染している人は予防内服を開始してはいけないので、予防内服を開始する前に、検査を受けてHIVに感染していないことを確認しなければいけません。

予防内服はきちんと毎日継続して飲む必要があり、性交渉のときだけ飲むとか、飲んだり飲まなかったりしてはいけません。

予防内服をしている間は、開始時とその後6ヶ月ごとに腎機能の検査が推奨されます。


HIV感染のリスクが高い人とは以下のような人のことです。
* HIV陽性の性的パートナーがいる
* 最近、他の性感染症にかかった
* 性的パートナーの数が多い
* コンドームを利用しないことが多い
* セックスワーカーである
* HIVが流行している地域にいる
* 麻薬の注射器を共有している


予防内服の効果は、これまでの臨床試験の結果によれば、HIV感染のリスクを50%程度減らします。ただし、90%以上の日にきちんと服用していたと申告した人に限れば、73%のリスク低減効果がありました。

血液中に薬剤が検出された人に限れば、92%程度のリスク低減効果がありました。

統計的にみると、毎日確実に飲み続ければ、体内に薬剤が行き届いてからは、99%の予防効果があると推測されるそうです。

このように、きちんと毎日飲み続けることができれば、かなり優秀なリスク低減効果が得られることが分かります。もし日本の性的に活動的な男性同性愛者の全てが予防内服の恩恵を受けることができれば、日本のHIV新規感染者数は大きく下がるでしょう。


予防内服を行うことの障壁は二つあります。一つには、日本ではツルバダ配合錠は予防用には認可されておらず、おそらく予防内服を提供してくれる医師がまだいないこと。もう一つは、ツルバダ配合錠の薬価は一日当たり3863.60円と、きわめて高価なことがあります。(一ヶ月あたり11.5万円!)

「ジェネリック ツルバダ」などで検索して、海外の怪しげな闇薬局からジェネリックを買うという方法もありますが、悪い業者に引っかかれば、どんな偽薬を掴まされるか分かったものではなく、その方法には一定のリスクを伴います。

もし、あなたが高リスクで、かつ、予防に使えるお金があるのであれば、日本国内のHIV専門医を口説き落として、予防内服プログラムを実施してもらうのが一番ではないでしょうか。

副作用や安全性についてはツルバダ配合錠の添付文書を参照して下さい。


まだよく分かっていない点として、「どれくらい飲み続ければ効果がでるのか」という点があります。まだ良く分かっていませんが、体内で十分に薬剤が行き渡るまでには20日はかかるのではないかと考えられています。また危険な行為をやめてから飲むのをやめるまで、1ヶ月くらい飲み続けたほうがいいと考えられています。

そのため、飲んだりやめたりするのは現実的ではなく、基本的には常時ずっと飲み続けることが前提になっています。中途半端に飲んだりやめたりすると、中途半端になり、薬剤耐性ウイルスを生じさせてしまう危険性があります。


【免責事項】本稿の著者は医師や医療関係者ではなく、本稿には間違いを含む可能性があります。本稿に従ったことにより受けた一切の不利益について著者は一切の責任を負いません。

参考文献:
1. US Public Health Service, Preexposure prophylaxis for the prevention of HIV indection in the United States - 2014, A clinical practice guideline. http://www.cdc.gov/hiv/pdf/guidelines/PrEPguidelines2014.pdf

2013年12月16日月曜日

Softether VPNを使って中国でインターネットを使う

【注意】たぶん中国で個人がVPNを使ってアクセスするのは犯罪です。(よくしらないけど)

さて中国に数日滞在してきたのですが、いつも中国で困るのはネットにアクセスできないということです。

日本人が日頃よく使うようなfacebook, twitter, google, gmailなどは金盾と呼ばれる国家ネット規制システムでブロックされており、全くアクセスできません。これでは友人と連絡もできないし、調べ物もできないし、仕事の連絡もできないし、大変困ってしまいます。

そこで今回はSoftether VPNを使って、VPN(仮想専用線)で日本のサーバー経由でインターネットにアクセスしてみることにしました。

VPNにはPPTPなど他のプロトコルもありますが、Softether VPNは高速で、かつSSLプロトコルを使うのでVPNを使っていることが判明しにくく、そのためブロックされにくいという利点があります。

以前は中国からPPTPで日本のデータセンターに接続を試みたことがありましたが、かろうじてつながるものの、速度が遅くて使い物になりませんでした。

Softether VPNは、他にも信頼できないネットワーク(公共のWiFiなど)からアクセスするときなど、幅広く使えますので、設定しておいて損はない製品です。Windowsに予め入っているPPTPと異なり、ソフトのインストールが必要になるのが難点ですが。

中国はネット利用者の情報を収集していると思われますので、セキュリティ上もVPNを使うことが望ましいでしょう。


結論から言うと、Softether VPNを使えば、2013年12月現在では中国でもある程度の自由なインターネット通信が可能です。facebookにもtwitterにも接続できます。なぜかGoogle社の運営するサイトはVPN経由だとアクセスが遅いように感じました。なぜでしょう。

但し、数日間なんども利用しているうちに徐々に速度が遅くなるようにも感じましたので、動的に通信制限などが行われている恐れもあります。ずっと同じサーバーを使い続けることはできないかもしれません。


Softether VPNの利用には、常時接続状態にあるサーバーまたはパソコンが一台必要です。可能な限り、固定IPアドレスを持つ物が良いでしょう。なぜなら信頼できないネットワークでは、DNSによって名前解決ができるかどうか、そもそも怪しいからです。

簡単な方法としては、ホスティングサーバーなどを一時的に借りてセッティングする方法があるでしょう。

インターネット上には他人が設置している自由に利用できるVPNサーバーなどもありますが、そういうものを利用すると全ての情報を盗み見られたり、不正ソフトを仕込まれたりする可能性がありますので、決して他人が設置したVPNサーバーは利用しないでください!

Softether VPNの設定には、GUIからリモートで行うことができる優れた仕組みを採用されていますので、ネットワークに詳しい人ならば誰でも設定が可能です。但し、ネットワークの基礎知識が無い人は、手引きなどがないと設定は困難でしょう。

パスワードなどをきちんと設定して、他人に勝手に使われないよう注意しつつ、設定を行って、まずは日本にいるうちに正しく通信ができるか確認してください。

「サーバー証明書を必ず検証する」という設定は必ずオンにして、サーバー証明書の仕組みを利用して下さい。さもなくば、中間者攻撃という方法によって通信が乗っ取られる危険性が多分にあります。中国政府くらいの能力を持つ組織であれば、それくらい簡単なことでしょう。


これで中国でも数日間なら何とかネット通信が可能になります。

私は中国語を習っていますので、中国に住めれば良いと思いますが、このようなネット規制の行われている国に住むのは難しいですね。正直言って、よく外国人がこんな国に住むよなあ、と思います。このような規制を続けたまま、中国が発展することは可能なのでしょうか?

中国という隣国が、強権的な政府を持っていることを残念に思います。早くもっと民主化してくれれば良いのですけれど。でも、もし中国が自由な民主主義社会になったら、中国はさらに発展して、日本やアジアはすぐにそのパワーに取り込まれてしまうでしょうね。

このような独裁強権国家である中国で検閲に協力してビジネスをするような外国企業は恥ずべきですし、そのような企業の行いを日本国民は許すべきではありません。Googleが中国政府の検閲を拒否して、中国市場から撤退したことは、まさに全世界の企業が手本として見習うべき行動です。

中国政府の検閲に協力することは、独裁国家の人権弾圧に協力することです。北朝鮮やシリアに武器を売ったりすることと大差ありません。将来的にはそのような人々は、国際刑事法廷で裁かれて投獄されることになる日が来ることを祈ります。

【注意】たぶん中国で個人がVPNを使ってアクセスするのは犯罪です。(よくしらないけど)

【免責事項】この記事に従った結果、公安に踏み込まれて銃殺刑になっても私は責任を負いかねますので、ご自分の判断でリスクを取って実行して下さい。

2013年11月26日火曜日

なぜ日本でカジノ解禁なのか? 政治経済的に必要な配慮を考える

日本では最近、カジノを解禁しようという動きが盛り上がっています。

私は自由主義者であるので、ことさらに他人が賭博するのを咎め立てしようとは思いませんが、現在のカジノ解禁に向けた議論には多くの穴があると考えられます。

まず広く認識されていることとして、賭博は社会にとってはマイナスの働き(負の外部性)を持っていると考えられます。賭博は、困窮者を増やしたり、それによって犯罪や福祉費を増やしたりすることで社会に負の影響を与えます。要するに他人を困らせて利益を得ているということです。

また賭博はしばしば暴力団の資金源になったり、汚職官僚や汚職政治家や政治後援者の資金源となり、社会に腐敗をはびこらせます。新設されるカジノがどのような運営形式を取るとしても、警察の天下り先を増やすことは間違いないでしょう。

とくに現在、新聞などで報じられているように、特定の企業などに特区を作らせてカジノを運営させる方式だと、そうした企業に大きな利権を認めることになり、腐敗の原因となります。もっと広い層が参入できて利益を得られるようにすべきではないでしょうか?

賭博は先に述べたように社会悪ですので、賭博の胴元が得る利益の多くは税金などの形で社会に還元させるようにせねばなりませんが、そうした議論が不足しています。

もし賭博事業者が大きな利益を得るようになれば、その利益を使って新規出店やマーケティングを繰り返し、賭博利用者が増えすぎて、困窮する人も、悪事で儲ける人も増えすぎることでしょう。

そうしたことを考えると賭博事業者が胴元となって賭博ユーザーの負け分を利益として青天井に儲けることを許すべきではありません。

あくまで時間あたり少額の場代(遊戯料)を利益として取れるのみにするべきです。プレイヤーがそれ以上負けた分は税金として公の取り分にするか、他のプレイヤーの取り分にするべきです。

遊戯料を取るだけの事業を広く許すことにすれば、既存の賭け麻雀のような文化も合法化することができますし、腐敗官僚や政商の取り分も少なくすることができます。自由主義の観点から言っても良い手段です。

また既存のパチンコのような社会問題にしても、彼らも少額の遊戯料のみを得られるような規制を適用すれば、公平な観点から社会悪を規制することができます。

これは現在のように腐敗警察官僚によって運営される脱法行為である三店方式よりもずっと公正で透明な制度です。

場代を取るだけの賭博のようなことは株式や外貨取引を利用すればいくらでも合法的に行うことができるので、それに比べて社会悪を大きく増やすわけではありません。


さて、とりわけ「カジノを解禁して海外旅行者を誘致しよう」みたいな議論には、いくつもの大きな陥穽があることに注意すべきです。

カジノで本当に海外旅行者を誘致するだけなら、日本居住者は遊べないような制度にすべきです。そうすれば社会悪の影響を減らして、海外旅行者を誘致することができます。「海外旅行者を誘致する」といったお題目で日本人も入れるカジノを建設するような甘言に騙されてはなりません。

カジノで海外旅行者を誘致するなどといっても、日本の近くだけでもマカオ、韓国、フィリピン、シンガポール、カンボジアなど数多くの国にカジノがあります。このような状況下で、カジノを作っただけで本当に海外旅行客が誘致できるのでしょうか?

「カジノを作って海外旅行客を誘致」という砂上の楼閣のようなプランに、政治家がのせられて貴重な政治能力を浪費するべきではありません。

ましてや、そのような甘言を弄して日本人を危険な賭博に誘い込み多額の金を巻き上げようとする政商どもに甘い蜜を吸わせるべきではありません。

政治家がやるべき仕事はもっと他に重大なものがたくさんあるのではないでしょうか?

2013年11月23日土曜日

反ワクチン運動という極めて悪質なデマの流布と戦おう

いま世界的にワクチン反対の運動というものが盛んになっています。

ワクチンは危険であるとか、効果が無いとか、とにかくワクチンが有害無益であると主張して、ワクチンの接種を拒否するようにそそのかしたり、ワクチン自体の開発や普及に反対したり、悪質なデマを流布する人々が増えています。

もちろんワクチンにも副作用はありますし、過去には危険性の高いワクチンなどが使用されていたこともありました。今後もワクチンの副作用などで問題が起きることはあるでしょう。

たしかに日本の厚生労働省は極めて怠惰で悪質な官僚集団であることは間違いありません。彼らは古い危険なワクチンを平然と使い続けたり、有用な新しいワクチンの普及をためらったりする、日本の官僚の中でも最悪の既得権集団です。彼らを擁護できる理由は何一つありません。

しかしワクチンにはそうした問題を考慮したとしても、それを大幅に上回る有益性があることは間違いの無い真実です。


ワクチンの有用性は、歴史的にも科学的にも完全に実証されています。

ワクチンが天然痘を撲滅したことはどんな教科書にも載っています。ポリオもいままさに根絶に向けた最後の一押しが進んでいます。10年後、20年後にはポリオも根絶された病気となることを期待します。

新しいワクチンの採用に関しては各国で厳密なテストが行われ、副作用などが最小で済むように、そして有用性がリスクを必ず上回るように厳格に管理されています。

ワクチンは100%安全でもありませんし、100%有益なものでもありません。しかし正しく使えば、接種を受けた人にとって極めて有益であり、人類社会にとって病気と闘うための最強の武器でもあるのです。

もちろんワクチンには一定の問題や危険性もあります。

しかしワクチンを否定する論には、極めて多くのデマが含まれており、さらにはワクチンを一律に有害無益として、接種を拒否するように煽動するなど、悪質な論者が多いのが問題です。

ワクチンを拒否する人は、自分の子供を危険な感染症の被害にさらすだけではなく、社会全体に感染症を流行させて、周りの人々をも危険にさらしているのです。

世の中には免疫不全症患者や卵アレルギーの人など、ワクチンを接種することができない人もいます。そうした人であっても、もし社会全体で多くの割合の人がワクチンを接種していれば、そうした弱い立場の人々も病気から守られるのです。これを集団免疫(herd immunity)と呼びます。

ワクチンを否定する悪質なデマは、健康食品やスピリチュアルなどの愛好者から世界的に広まっており、狂信者といっても良いほど強く信じ込む人々を増やしています。そして、いままさに日本にどんどん上陸してきている状況です。

こうしたデマによる子供や弱者への健康被害を、われわれはなんとしても防がなければなりません。


個々のワクチンを誰がどのように接種すべきかについては、医学的な議論の余地があります。

ワクチンの有益性の評価や、安全で効果の強いワクチンを安定して供給することには、技術的な難しさや、コスト面での課題も多く、まだまだ改善の余地のある分野です。そうした点について議論をすることは大変有益です。

こうした議論はワクチンを一律に否定する悪質なデマとは全く別の物です。しかし、ときとして悪質なデマが、正しい議論とまぜこぜにされて表現されているので注意が必要です。

たとえばインフルエンザワクチンは幼児には絶大な効果を発揮し、幼児の健康リスクを大幅に低減させることが確実に実証されています。しかし高齢者においては、インフルエンザワクチンの効果はそれほど確実に実証されているわけではありません。

最近開発されたコレラワクチンは、まだ効果や有用性があまり実証されておらず、WHOなどもあまり強く推奨していない状況です。新しいワクチンの有用性が実証されるには、時間がかかるでしょう。

2012年8月まで長い間利用されていた生ポリオワクチンは、ごくまれにポリオを発症させるという極めて危険な副作用を持っていました。そして日本では野生型ポリオウイルスに感染するリスクは極めて低いというか、ほぼゼロに近い状態でした。それにも関わらず、アメリカでは1987年に認可された安全な不活化ワクチンに早期に切り替えなかった厚生労働省は未必の故意による薬害犯罪者であることは間違いありません。

それに対して、HPV(ヒトパピローマウイルス)のワクチンの有益性は極めて高いものであり、こうしたワクチンの普及を渋っている厚生労働省は、ここでもまた多くの病気の犠牲者を生み出している不作為による殺人者と言っても良いでしょう。

また麻疹や風疹などのワクチンについても有益性は極めて高いと考えられていますが、日本では長い間、おたふく風邪ワクチンによる三種混合ワクチンの副作用の問題が発生して接種が中断していました。これももっと早期に解決することができたと考えられますが、そうしなかったのは厚生労働省の怠惰です。

しかし、こうした科学的で有益な議論と、反ワクチン運動の悪質なデマは、厳しく峻別されるべきであります。


私は、必ずしも反科学主義や反知性主義を片っ端から攻撃することが科学の普及のために役立つとは思っていません。それどころか、あまりに攻撃的な姿勢は科学の普及を妨げると思っています。

しかしながら反医学主義や反薬剤主義のような主張で利益を得ている人々や、イカサマ健康食品などは、多くの患者を苦しめている詐欺師・偽医療家集団であり、もっと強い規制が行われるべきであると思います。

そのなかでも、反ワクチン主義は、自分で自分を守ることができない弱い子供を犠牲にし、社会全体に病気を蔓延させ、ワクチンという最も有益な道具の普及を妨げる、デマのなかでも最も悪質なデマの一つと言っても過言ではないでしょう。

人種差別発言などと同じく、最も憎むべきデマであり、社会から徹底的に排除されるべき煽動行為です。

そして反ワクチン活動で利益を得る"自然療法家"や健康食品メーカーなどの人々は、危険かつ有害な偽医療家として投獄されるのが当然と言えるでしょう。

私は、反ワクチン運動を強く憎みます。なんとしてもこの愚かな運動が大いなる悲劇を引き起こすことを食い止めなければなりません。

2013年11月9日土曜日

関税は日本の庶民を貧しくさせ、不健康にし、海外の農民をも貧しくしている

日本では農作物などに多額の関税や輸入制限がかけられています。

これは日本や日本国民にとって大きな害をもたらしています。

なぜなら食料品にかかる関税は、日本国民が安価な野菜などを購入することを妨げており、そのせいで庶民の生活は苦しくなり、庶民は安価な野菜が購入できないことにより不健康な食生活を強いられることになるからです。

関税というのは、直接徴収されるわけではないので、市民としては払っている実感の薄い税金です。しかし、実際には高い日本の農作物を買わされたり、海外の食料品が関税によって高くなるなどといった形で、市民から徴収されている税金の一種なのです。

目に見えない、厄介な税金です。


経済学的には関税は極めて厄介な存在です。

例えば、日本で米を作るのをやめて、タイやカリフォルニアで日本米を生産すればずっと安く上がるでしょう。そして日本では、その分の労働力で精密部品などを作れば、ずっとお金を儲けることができます。

関税は、そうした経済原理が働いて社会をより豊かにすることを妨げる存在です。

やはり日本の美味しくて安全なお米が食べたい、という人もいるかもしれませんが、今の日本の商社などは海外でも手広く事業を展開していますので、契約農場でこしひかりなどの日本の品種を安全に育てることが可能です。タイあたりでは有機栽培農場も徐々に登場しつつあります。


関税は、たしかに日本の農民を保護することにつながります。日本では東京に比べて地方や田舎の所得は低いので、農民には何らかの保護が必要なのは確かです。

しかし日本の農民を保護する方法としては、他にも農作物への補助金、所得補償や、都市への移住・教育補助など、さまざまな支援方法があります。

日本で零細農家をそのままの形で保護する以外にも、そうした人が都市へ移住して新しい仕事についたり、もしくは農業でも国際競争力のある日本でしか作れないような特化した農業や、大規模農業などに転業するなど、さまさま競争力を高める方法があります。

関税という縛りがなければ、自治体や政府は、補助金をさまざまな形で投入することができます。

たとえば農業のかわりに工場を誘致すれば、農業をやっているよりも収入が上がるかもしれません。高付加価値の作物に転作を促すことに使えるかもしれません。

また日本には農家以外にも多くの困窮している人がいますが、飲食店などのサービス業に勤めるような人はこうした保護を一切受けることができません。関税という支援策は、不公平であると言えます。

さらに「関税の聖域」があるせいで、日本は海外との自由貿易協定などの締結で不利な立場に立たされます。日本の自動車や電子部品などは、より不利な貿易条件を強いられることにもなるのです。これは国益を著しく損ないます。


関税がなければ、海外の農民、たとえばミャンマーやカンボジアなどの農家は日本に米を輸出することができて、より多くのお金を得られるようになります。

農業国には貧しい国が多く、こうした国を支援しようという志を持った人は日本にも大勢いますね。しかしNPOなどとして現地に渡って小学校を建てるなどしても、救える人はごくわずかです。

関税を廃止することは、NPOだのが援助するよりも、よほど効果的に農民を貧困から救います。


関税は、日本の庶民を貧しくし、不健康にし、農家を不効率な農業に縛り付け、日本の産業競争力を損なう諸悪の根源です。

関税は、農協のような既得権者が、地方住民や一般市民を犠牲にして既得権を守り続けるための施策です。

関税の廃止のために声を上げましょう。

2013年10月15日火曜日

いまごろになって原発問題をまとめるよ

わたしは現在のところ、原発反対派でも賛成派でもないですし、議論が過熱している間は、議論に参加する気もありませんでした。

そろそろ議論も収まってきたようですが、単に皆が飽きてしまっただけで、議論の質が高まらないまま関心が薄れたなぁ、と危惧しています。こないだCourseraでA Look at Nuclear Science and Technologyという授業を受講したりしたこともあり、ちょっと論点を整理してみようかと思いました。

まず原発の議論のうち、主要な論点は以下のようなものになると思います。

  1. 原発は地球温暖化対策としては現在、最も有力である。
  2. 福島原発事故は、日本社会や地域社会に対して、深刻な経済的・精神的な打撃を与えたし、同じようなことが二度と起こってはならないのは間違いない。
  3. 既存の原発は、多かれ少なかれ福島第一と同じようなリスクを持っているであろうし、それがどれくらい対処可能なのかどうかよくわからない。
  4. 既存の原発は、多額の建設費をかけて作られたものであり、それを廃炉にすれば、日本社会は何らかの形でその膨大な費用(償却損・それを一時的に代替する低効率の火力の燃料費・廃炉費用・温暖化対策費用など)を負担することになる。
  5. 使用済み燃料の最終処分や、廃炉費用がどれくらいになるのか、いまいちよくわかっていない。
一つ目の点ですが、原発は温暖化対策として現時点では最も有力であることは間違いないと思います。どこにでも建設することができ、膨大なエネルギーを生み出すことができます。太陽光発電、風力発電、地熱発電などは、まだそれだけの発電能力を持っていないと思います。

将来的には太陽光発電や地熱発電はかなり有望だと思われますが、まだいつごろ物になるのかよくわかっていません。今から新エネルギーの実証実験や研究開発への力強い投資を行っていくことは望ましいと思いますが、それを実用の発電手段とするのは時期尚早のように思います。

またそうした新エネルギーが物にならなかったときのリスクを考えれば、原発技術の研究開発や実証実験が止まることがあってはなりません。地球温暖化による災禍は、科学者たちの発言が正しいのならば、原発事故よりも大きなものになることでしょうから。

二つ目の点ですが、福島原発事故では幸いにして放射線障害により多数の人が死ぬようなことはありませんでしたが、避難による間接的な健康被害や、経済的被害、精神的被害などを考えれば、損失は膨大であり、決して二度とこのようなことが起こってはならないのは明白です。今になって、あの日の衝撃を忘れて、事故を矮小化するような態度は決して正当化されるものではないでしょう。

3点目ですが、既存の原発は多かれ少なかれ、福島第一事故のようなリスクを持っていることは確実でしょう。それがどれくらい対策が可能なのか、十分なリスク低減が行えるのか、私には良く分かりません。電源喪失はある程度の対応が可能としても、冷却剤喪失など他にもリスクはあるように思います。

これに関しては、多方面の科学者などが様々な立場から検証に当たるべきであろうと思います。とくに旧式の炉に関しては、厳しく安全性が検証されるべきでしょう。

これから新設する原発であれば、安全基準を高めて、リスクを数桁減らすようなことは可能と思いますが、そのような原発が経済的に見合うものなのかどうかの疑問があります。

4点目ですが、既存の原子炉を停止したり、廃炉したりすれば、その原子炉の持っている生産能力は無駄になることになり、膨大なコストが生じます。そのコストを一次的に誰が負担するとしても、最終的には国民全員にツケが回ります。

そのツケが回る額がどれくらいになるのか、それを踏まえた上でなければ、原発再開または廃止に向けた議論は空論となるのではないでしょうか。

最後に5点目ですが、原発のコストを新エネルギーなどと比較する上で、原発の放射性廃棄物や廃炉の最終コストがどれくらいになるのか良く分かってないのは、大きな問題であると思います。

早期に最終処分場を完成させ、試しに旧式炉を一つ二つ廃炉にしてみるべきでしょう。そのデータがなければ、議論が成立しませんから。


原子力科学の授業を受けて思いましたが、原発は非常に複雑なシステムですし、社会的にみてもその安全性や経済性の議論もなかなか複雑であるように思います。

しかし基本的な論点はこの5つに絞られるのではないでしょうか。こうした論点を踏まえた上で、建設的な議論ができれば良いですね。

2013年7月13日土曜日

学校を解体せよ ― 日本の学校は奴隷生産工場だ ― 教育の未来を想像する

CourseraのようなMOOCs (Massive Open Online Courses)と言われる無料オンライン授業が日本でも話題になりつつあります。先日の東京でのmeetupでは朝日新聞の記者の方が来て、記事にもなりました(僕も載ってますよ!)

私は、この数ヶ月でマクロ経済学のコースを修了しましたが、マクロ経済学のような抽象的でつかみどころのない学問は、独学だけでは学べず、授業を受けることが欠かせないなと思いました。私は、クルーグマンのマクロ経済学の本を読んでいるのですが、それだけでは深い内容は全く理解できていなかったと痛感しました。

私は学校教育が苦手で、ずっと独学で生きてきた人間ですが、書籍だけでなくビデオや宿題などから多面的に学べる講座というのは、独学よりもずっと有意義であるなー、と思いました。


しかしながら、このようにオンラインで学べる時代になると、もはや既存の学校という制度は必要ないことが明らかになってきたと言えます。

たしかに学校という大きな箱に子供を押し込めて教育する方法は、安価に幅広く教育を与えることができるという点で、人類の進歩に大きく貢献してきました。

いまや国民のほぼだれもが高校へ行く時代ですが、高校の教科内容というのは、改めて考えると、かなり高度な内容です。複素数、指数対数、微積分と言った内容を誰もが学ぶ時代などというのは、過去には想像もできなかったことでしょう。

しかし、もはや学校は過去の遺物です。

・学校教育の弊害

学校教育は、その弊害も明らかです。

まず「いじめ」という問題は、学校という狭い集団に人を縛り付けておけば、発生するのは必然と言えます。刑務所のように人を同じ狭い集団に縛り付けておくのは弊害があります。

優秀な教師を多く確保することは難しいですし、包括的に教育サービスを購入するという制度上、良い教師にインセンティブを与えることも困難です。

画一的なカリキュラムで集団に教えるため、人によって躓く点などが異なる点にも対応できません。

* 試験のために詰め込むプッシュ型教育から、実用のために必要な知識を学ぶプル型教育へ

いかに指数対数などが有用な概念であっても、一生それを実際に使うことがない人もいるでしょう。現在の教育課程というのは専門の研究者や技術者を育てるために有用な教育に偏重しているように思います。

また生徒が必要性を感じていないスキルを無理に詰め込むよりも、実際に必要性に駆られてから学ぶ方が、ずっと学びが大きく、知識として良く定着するのではないでしょうか。基礎的スキルを無理に詰め込むプッシュ型教育から、応用を意識したプル型のリーンな教育にすべきです。

すべての人をその画一的な基準で評価して、その点数によって良い教育が受けられたり、良い職に就けたりするというのが、フェアでしょうか? そのような制度があることで、損なわれる貴重な社会的価値があるのではないでしょうか。

日本人は「役に立たない知識を試験のために学ぶ」ということに慣れすぎてしまい、実際にリアルに使うために学ぶための能力が著しく低いように思います。

スタバやアカデミーヒルズでは勉強している人が多くいますが、ほぼすべての人が何らかの試験の勉強をしています。英語を学ぶ人はTOEICを、医学を学ぶ人は医師や看護師の国家試験を、会計を学ぶ人は税理士試験や簿記の試験の勉強をしています。

このような勉強法をやっていると、スキルを実際に使うために学習する能力が落ちてしまうことを憂慮します。試験で良い点を取ることと、スキルを実用することには、大きな違いがありますから。

* 奴隷を大量生産する日本の教育

なにより21世紀の日本での問題として、教師と生徒という権威主義的な絶対服従の人間関係の中で、ルールにがんじがらめにされて教育を受けることで、想像力や発明力のみならず、自主性や責任感や向上心を失った、奴隷のような魂の無い人間を生み出してしまうという問題があります。

自主性や発明力やリーダーシップが要求される知識社会において、日本の教育が隷従人間を大量に生み出していることは、日本の繁栄を大きく損なう事態です。

・学校の解体 ― 学校を自由化せよ!

教育制度改革などのアイデアをいろいろと投げかける人が大勢いますが、僕から言わせれば日本の学校教育というのは腐りきった奴隷生産工場であり、完全に解体するしかないです。小手先の変革など無駄です。

(他国の教育がどうなのかはよく知りませんので、他国と比較して日本が悪いと言っているわけではないです。絶対値として悪いということです。)

とにかく基本的には、学校にバウチャー制度と自由な市場競争を導入し、好きなときに好きな場所で好きな授業を受けられるようにすべきでしょう。

同じ学校に数年間行くことが前提ではなく、気に入らなければいつでも違う学校に行けるし、それどころか教科ごとに違う学校に行っても良いという世界です。

オンラインで完結しても良いことにすれば、僻地や病気の子供でも優れた教育が受けられるようになります。

それによって教育格差が拡大するのではないか、という声もあるかもしれませんが、現状では私立学校や塾などに行ける人が有利になっています。全体に市場競争を導入すれば、オンライン教育や反転授業などを利用することで、良質で安価な教育が提供可能です。

いまは定員や授業料などの問題で、優れた教育を受けられる人は限られていますが、CourseraなどのMOOCsが証明しているように、オンライン教育であれば、同じ授業を何十万人でも受けることができます。MITの超人気教授の授業を、モンゴルの高校生が無料で受けられるなんて時代を誰が想像したでしょうか。

本来は高卒などの認定をするカリキュラムや試験にも科目選択の柔軟性を認めるとよいのでしょうが、あまり他国の制度と違いがあると留学などに不利になるので、そこは制度設計の難しいところです。しかし自由化すれば、任意の科目などは増やせるので、いまよりはだいぶ自由になりますね。

オンラインで好きなときに授業が受けられる世界が到来すれば、ギャップイヤーなどの問題も自然解決します。中学や高校を出たら、まず働きに出て、それから足りないスキルを学ぶなどのプル型な学びも実現するでしょう。

英語教育なども当然すぐに問題解決ですね。英語圏をベースに集中的なオンライン教育する優れた教育ベンチャーなどが現れれば、英語教育の質など、すぐにでも十倍、百倍になるでしょう。

自由化さえすれば、教育問題は80%解決したも同然です。

なぜ世界でも教育の自由化に踏み切っている国が無いのか、不思議で仕方ありません・・・

2013年1月23日水曜日

学習の方法 / Courseraと拡大する格差


いま私の東京の友達の間ではCourseraというオンライン学習サイトが小さなブームになっています。これは、米国のトップ大学のトップ教授たちの講座が無料で受けられるもので、すごい面白くて役立つ授業がたくさんあります。

Courseraや学習について、とりとめのない話をいろいろと書いてみます。本当にとりとめがない随筆なので、軽く読み飛ばしていただければと思います。つまらなかったらごめんなさい。


私はCourseraでは、Machine LearningとAlgorithms: Design and Analysis Part1の授業を修了し、いまはPart2に取りかかっています。そこまでの感想などをまずお話しします。

Courseraは真に革新的なオンライン授業を提供していると思います。画期的である理由は以下の通りです。

1. (これらのコースでは)教授がものすごく教えるのが上手であり、熱意をもって、素晴らしい講義や教材を提供している。
2. 適切な試験や課題などを提供することで、講義を聞くだけにとどまらず、きちんと手を動かして学ぶためのコースとして成立している。
3. 修了するとpdfで修了証がもらえるので、ちょっと頑張ろうかなという気になる。
4. 授業のスケジュールが決っているので、いちど登録したらスケジュールに沿って学ばなければならない。そのため独習とちがって、ペースが遅くなりすぎて投げ出してしまうことが少ない。

私がとったコースは本当に素晴らしい授業内容であり、こうしたものが提供できるのであれば、大学で教授がライブで講義する必要というのはゼロですね。講義はすべてビデオにして、わからないところだけ教えてあげたり、試験や課題だけ大学においてチェックするような仕組みになっていくのではないでしょうか。

私は中卒で独学でプログラミングを学んだので、計算機科学もわかりませんし、数学もちんぷんかんぷんです。それが、これらの授業を受けたことで、プログラマーとしての可能性が大きく広がったと思います。弊社の事業にもいろいろと活かす方法が思いつき、とにかくわくわくします。

ただし、ビデオ講義だからといって優れているとは限らないのですよね。日本の放送大学は長年にわたってビデオ講義を提供していますが、その品質は「悲惨」の一言です。どの講義も、あまりに退屈で意味不明すぎて、とてもじゃないですが見られた代物ではないですね。なぜこれほど品質に差がでるのか、正直いって不思議です。Courseraでも、今後、コースが増えてきたら品質が下がってしまうのではないかと不安です。

もしCourseraがこの水準の授業を数百~数千コース提供できるとしたら、高等教育は完全に変わってしまうでしょう。英語圏の大学はすべてCourseraによる授業に切り替えるのではないかと思います。そうなれば、日本も政府が予算をとってCourseraを翻訳提供するなどの措置が絶対に必要になるでしょう。それほどレベルが高い授業です。

ちなみに社会人がCourseraを受けるなら、一度に一つの授業を受けるのが限界だと思います。一つに絞って、なんとしても修了する気概で食らいついてください。正直、Algorithm Part2は終盤かなり難しくなってきて、かなり苦労しております・・・


今月、東京でCourseraユーザーの小規模なオフ会を開きました。日本では、どういう人がCourseraをやっているのか、何の目的でやっているのか、興味があったからです。

結果から言うと、参加者は外資系超一流企業のエリートの方ばかりでした。

まぁ英語で大学レベルの授業を自主的に受けようという人は、そりゃエリートに決っているかもしれませんが、ちょっと厳しい結果だなと思いました。ちなみに、オフ会自体も英語でやったので、その点でもバイアスはあるかもしれません。

私のように高校にも大学にも行かなかった人間にとって、Courseraのような無料オンライン教育というのは、素晴らしい機会です。それによって社会の格差が縮まれば素晴らしいなあ、と思っていました。

しかし現実には、日本においてCourseraは格差を拡大する方向につながってしまいそうです。エリートほどCourseraの恩恵を受けて、スキルを強化していくでしょう。

残念ながら日本の中卒・高卒および二流大学卒の人の多くは、大学の授業が受けられるレベルで英語ができたりしないでしょうし、高校レベルの数学の知識なども欠いているでしょう。

なによりも、多くの非エリートの人に欠けているのは、自分の知識と学力でもって社会で成功してきた成功体験ではないでしょうか。

日本の教育制度や学習者の姿勢というのは、とにかく学歴と資格の二つに集中しています。学ぶことによって、それがどのような役に立つかということは二の次で、とにかく試験勉強ばかりです。

試験は「何を学べば良いか」「どれくらい達成できているか」について、大まかな枠組みを与えてはくれますが、やはり「どんな知識が得られるか」「どう社会で役立てるか」に比べれば、ずっと些末な達成目標です。試験勉強に偏重した日本の勉強法はいまの時代にそぐわないと感じます。

Courseraをいくら学んでも資格はもらえませんので、Courseraで学ぼうという人は、資格にもならない勉強を自力で学ぶだけの意欲があるということです。このような姿勢がこれからの社会ではとても大切になると思います。


じゃあ、エリートでもない人間が具体的に何をどう学べば独力で成功できるのか?

いま間違いなく役に立つのはプログラミングではないでしょうか。プログラミングができれば、中卒で地方在住でもなんとか家族を食べさせられるくらいの給与は得られますし、仕事に困ることもないでしょう。

そこそこの学歴と何らかのスキルがあるなら、英語もすごく役立ちます。大卒以上で英語とプログラミングが上級なら、東京ではすごく良い仕事が得られます。学歴やスキルがない人は、英語ができても良い仕事にありつくのはちょっと難しいかもしれませんね。残念ながら地方では英語ができても、まともな仕事はないでしょう。

ま、仕事に役立たなくても英語は学ぶ価値があると思います。英語ができなければ、文盲と同じですから。世界の99%を見ることも知ることもできずに生きていくというのは、あまりにむなしい生き方だと思います。井の中の蛙でよいのですか。

Courseraのようなものが、これからどんどん発展して、それが日本語に翻訳されないとするならば、英語を学ぶことは誰でも必須になってくるでしょうね。それくらいCourseraは画期的です。

学習法についてうだうだ書くつもりはありませんが、とにかく気合いをいれて学ぶしかないでしょうね。いまどき英語やプログラミングくらい誰でもできて当たり前という心構えで臨んでください。時間も根性も必要ですが、やるしかないのです。

2012年12月29日土曜日

いまこそ日銀法改正でデフレ脱却のとき

自民党の安倍内閣に変わりましたが、彼らに期待することはとにかくデフレ脱却により経済を回復させることです。

ウェブ上では、10年くらい前から山形浩生らのリフレ論者が、インフレターゲットによるデフレ脱却を主張してきましたが、リーマンショック以降、英米欧がリフレ策を取り始めたことにより、ようやく日本でもインフレ目標が真剣に検討されるようになりました。

デフレとは持続的に平均物価が下がっていく現象のことです。すなわち現金の価値があがっていくということです。

平均物価がさがっていくと、以下のような弊害が起こります。

1. 現金の価値があがっていくということは、来年の1万円は現在の1万円よりも価値があるということです。1万円を借りて来年に1万円を返す場合には、金利を払っているのと同じことになります。この場合は名目金利は0%ですが、実質金利はデフレ率と同等になります。名目金利は0%以下にはなりえないため、デフレ下では実質金利が高止まりするために、企業や消費者は現金を持ちたがり、設備投資などを手控えることになります。そうなると現金は死蔵されて使われなくなり景気が悪くなります。

2. デフレによって物価が下がっても、正社員の給与などは急には下がりません。そうすると、相対的な人件費が高くなり、人件費負担が大きくなるために利益が逼迫されます。そのために全体の人件費を抑制する必要が生じて、失業者や期間労働者などにしわ寄せがいきますし、企業の投資が手控えられたり、正社員の解雇が行われたりすることになります。逆に安定して高給与を保証された正社員や、現金を主に所有する資産家には有利になります。失業者やローンを抱える弱者にしわ寄せがいくという点でデフレの弊害があります。

3. デフレ下では総供給にくらべて総需要が少なく、設備や人材などの生産力が遊休状態にあります。これは産業の効率を下げたり、失業の原因となります。すなわち本来なら働けるのに、無駄にされる生産力があるということです。生産力がすべて使われた状態に比べて、経済の成長力が阻害されることになります。高齢化して社会保障費が増大する日本にとって、経済成長することはきわめて大事なことです。

4. デフレであれば、通貨の価値が上昇するので、他国に比べて通貨高となります。通貨高は輸出企業の業績を悪化させ、輸入を増大させるので、日本の経済を悪化させ、総需要は一層低下します。

そのため経済にとっては、年率2%程度物価が上昇する、ゆるやかなインフレが望ましいと考えられています。

デフレの原因については、バブル崩壊やリーマンショックなどの資産価格下落により需要が一時的に下落すると、それによりデフレが生じて設備投資や消費などが手控えられます。それにより需要が下がり、さらなるデフレを引き起こすというデフレスパイラル論がよく言われます。

原因がどうであれ、デフレやインフレなどの物価水準の変動をちょうどよい水準に保つことは日銀などの中央銀行の責務です。

日本ではデフレが20年も続いており、それが深刻な不況や失業や円高などの原因の一つと考えられています。

デフレを退治する方法はシンプルであり、インフレ目標に従って、日銀がお金を刷って様々な資産を買い続ければよいのです。それは物価がほどよく上昇する程度でやめるのですから、それによってハイパーインフレになる恐れもありません。

日本のようにデフレ下で債務が大きい状況では、公共事業の増大などの財政政策の効果は限定的であると考えられます。公共事業の増大は、増税や、債務を増加させ将来の増税をもたらしたりするため、それだけ企業や消費者の需要を低減させるからです。公共投資を行うなら、老朽化したインフラの更新など、将来の税負担を先食いするようなものが良いのではないでしょうか。

またデフレ不況下で増税を行うことは絶対に避けるべきです。増税した分だけ需要が低減して、税収の低減を招くために、政府財政の改善につながりません。

デフレを退治するためには、日銀法改正が一番です。

政府が政治的圧力で日銀を脅かして従わせたように見えても、実際には日銀は裏で舌を出して、金融緩和策を骨抜きにするでしょう。自主的にインフレ目標らしきものを設定したとしても、実際にはそれを達成するための行動はとらず、デフレが続いても何の責任もとらないのではないでしょうか。これまで日銀はずっとそのような行動をとってきましたから。

日銀をきちんと従わせるためには、日銀法を改正して、インフレ目標を政府が設定できるようにして、もしそれが達成できなければ日銀総裁の解任などの政治介入が行えるようにすべきです。

政治的圧力というもやもやしたもので金融緩和するよりも、きちっとしたルールにもとづいて金融緩和するほうが、通貨の信認という観点からも望ましいのではないでしょうか。

安倍内閣に期待することは、とにかくそれだけです。全力で頑張って頂きたい。

参考文献

2012年12月1日土曜日

選挙期間中にネットで政治を論じても違法ではない

選挙になると、ネットなどでどれだけ政治的発言をしても良いのか、ということが話題になります。

大阪弁護士会の壇俊光弁護士に問い合わせた結論から言うと、選挙期間中であっても選挙関係者以外は自由に政治的な発言をできるということです。

以下に壇俊光弁護士とのメールのやりとりを掲載します。


・新井

選挙期間中やそれ以外の期間でも、
ネットでどういう行為を行うと公職選挙法違反で犯罪になるのか、
どのあたりがグレーゾーンで、どのあたりがセーフなのか、
それについて解説して頂きたいなと思っています。

現状だと、どこまでがアウトなのか、みな分からず、
選挙が公示されたらとりあえず政治については黙っておこう、
みたいな状況になっていると思い、それはまずいと思うんですよね。

評論ならいいのか、評論でもダメなのか、などなど。
応援するのはダメなのか。○○に投票する予定というのはどうか、など。

・壇

結論としては、政治活動に該当しなければとくにいいというより、
金をもらっていなければ、何しても良いというのが基本です。

選挙活動: 特定の選挙につき特定の候補者または特定の立候補者予定者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接または間接に必要かつ有利な行為をすること

選挙活動は、公職選挙法上の規制あり。

政治活動: 政治上の主義、主張、若しくは施策を推進し、支持し、若しくはこれに反対し、又は公職の候補者を推薦し、支持し、若しくは反対することを目的として行う直接間接の一切の行為

政治活動は、公務員等でない限り特に規制ありません。

これに書いてますなぁ。
http://www.jsdi.or.jp/~y_ide/9610saki_qa.htm

で、実務ですが、政治活動と選挙活動の境目が難しいので、
関係者か、金をもらってなければ、まず大丈夫です。


ということで、実務的には一般の方が選挙期間中に政治について論じたところで、選挙違反と見なされることは考えにくいというご見解です。皆さん、安心して政治を論じましょう。

ただし特定の候補者への投票依頼を行ったり、明確に特定候補への支持を表明することについては注意が必要です。(公職選挙法、第百四十六条を参照)

現在の公職選挙法は不必要に禁止事項が多すぎて、公正な選挙をかえって阻害しているものであり、抜本的な改革が必要だと思います。

現在の公職選挙法では、ほとんどまともな選挙活動は行うことができず、著名人や地元の有力者などが有利な、不公正な制度になっていると思います。

単に「ネット選挙解禁」だけでなく、公職選挙法の抜本改革や、選挙公報の紙面の拡充(増ページ等)などを通じて、きちんと候補者に関する情報がうまく流通する制度とすべきです。また選挙カーのような有害無益な存在こそ禁止すべきです。

日本の法律は何でも「禁止禁止!」であり、日本の法制度全般を抜本的に改正して、規制を圧倒的に緩めることが必要なのではないでしょうか。それこそが日本の繁栄につながります。

2012年10月5日金曜日

厚生労働省は間違った日本の薬局制度を廃してバンコクの薬局を見習え


以前、日本での医薬品のオンライン販売規制について書いたことがありました。

そのときにも言及しましたが、日本の薬局というのは何だかおかしいです。

薬剤師がいることにはなっていますが、薬剤師は普通にレジを打っていたり立ち働いていて、とてもきちんと相談できるムードではありません。これなら薬剤師がいる必要がないですよね。何のために薬剤師を常駐させているのでしょうか?

置いている薬も、妙に古臭くて副作用が多かったり、効き目が薄いようなものが中心ですし、値段もやけに高いです。

第一類医薬品の分類もなんだかよく分かりません。リン酸コデインとエフェドリンを含むような比較的に危険な咳止め薬が第二類医薬品に分類されている一方で、ジクロフェナクナトリウム(ボルタレン)の塗り薬という比較的安全と思われる薬が第一類医薬品になっています。ジクロフェナクと同じ非ステロイド性消炎鎮痛剤であるインドメタシンなどは第二類です。

安全性によって分類されているというよりは、単に薬剤師の仕事を増やすためだけに分類されているように思えます。

第一類医薬品を買うときも、べつに懇切丁寧に説明してくれるわけではなく、単に薬剤師がやってきてレジを打って終わりです。なんのための第一類医薬品制度なのでしょうね?

日本では医療費の削減に躍起になっていますが、薬局で薬を買うより、医者に行って薬を貰う方が安いのでは、薬局で薬を買うのは忙しくて医者に行けない人だけになってしまいます・・・ 厚労省にとっての「医療費の削減」には、個人が負担する医療費は含まれないのでしょうね。アホかと思います。

「セルフ・メディケーション」などという言葉がありますが、一部の危険な薬を除けば、単に薬を貰うためだけに毎月医者に行く必要などないですよね。薬局で薬を買えば済む話です。またはアメリカのように一通の処方箋を数回に渡って使えるようにすればよいのです。

そうすれば医療費も削減できて、患者の時間も医者の時間も無駄にならなくなり、とても良いことです。その分、医者の診療時間をもっと患者ときちんと話をすることに使えるようになります。


さて、私は昨年の冬にバンコクに3ヶ月ほど住んでいましたが、彼の地の薬局には感心させられました。

バンコクの中心部は国際的であり、英語が通じますが、それは薬局でも例外ではありません。

高級百貨店エンポリウムに入っているBootsという英国資本の薬局では、薬剤師のいる相談カウンターがあり、眼鏡を掛けた美人薬剤師さんが英語で相談にのってくれます。

例えば、アレルギーの薬はないのかというと、セチリジン(ジルテック)と、最新のレボセチリジンがあり、レボセチリジンは眠くなりにくいが高い、などと説明してくれます。私が、日本の薬局で一般的なクロルフェニラミンはないのか? と聞いたら、「あるけど、そんな古い薬を飲んだら眠くなりますよ!」と言われました。

にきびの薬はないのかというと、抗生物質(クリンダマイシン)と過酸化ベンゾイルとトレチノインがある、と。抗生物質と過酸化ベンゾイルは即効性があり一日二回塗る。トレチノインは、初期はかえって悪化することもあるが長期的にきく。光線を避けるため寝る少し前に塗ること。などと説明してくれます。

これだけ説明してくれるなら、薬局に薬剤師がいる意義があるというものです。

また、古くて副作用の強い薬よりも、新しくて副作用の少ない薬を売るのも、理にかなっています。

薬にはタイで製造されている薬もあれば、海外から輸入している薬もあり、どれも日本の保険診療で貰う薬の3割負担額と同じくらいの金額です。これなら医療費の削減にもつながります。

日本の薬局制度も、このような形に見直して、もし薬剤師を常駐させるなら相談カウンターなどを設けて、ゆっくり相談ができるようにすべきではないでしょうか。そして新しくて安全な薬を安く買えるように、市販医薬品の認可制度を完全に見直すべきですね。

日本では薬局どころか病院ですら、英語が通じるところや通訳を用意しているところは、まれでしょう。このように外国人にとって不都合な体制では、外資系企業はどんどん東南アジアに逃げてしまいますよね。バンコクの大病院では、日本語の通訳までいて、日本語だけで診察を受けることができます。


どうにも日本の薬局制度というのは、厚生労働省が既存の国内弱小製薬会社や薬剤師や薬局を利するために作られたものとしか思えません。21世紀になっても未だにこのように省益ばかりで、国民無視の政策を推し進めるとは理解ができませんね。

厚生労働省というのは、日本の省庁の中でも最悪の存在なのではないでしょうか。レバ刺しは禁止するし、オンライン医薬品販売は禁止するし、それが裁判で違憲判決を受けても上告したりするし、これほど不合理で日本にとって害悪となっている存在が他にあるでしょうか?

あ、京都府警と検察特捜部があった・・・

2012年8月21日火曜日

ひよこ党結党宣言

先日の「出馬してみた」の精神に基づき、本日2012年8月21日、新党「ひよこ党」を結党します。とりあえず私一人しかいない政党で、今後もなんの活動予定もありませんが、結党宣言を書いたので、ここに載せます。

とりあえずfacebookページを作ったので「いいね」してくれると喜びます。

githubにレポジトリを作ったので、誤字脱字などありましたら、pull requestを送ってください。

みんなも新党旗揚げするといいんじゃないかな?


ひよこ党綱領

2012年8月21日、「出馬してみた」の精神に則り、ここにひよこ党を設立する。

ひよこ党は、自由、博愛、理性の原則に拠り、日本を多様かつ寛容で国際的な自由主義・自由経済・民主主義のリーダーとするべく、現実的で理性的な政策を提唱・実行していく。

ここに本党の三大価値観と行動規範を明記し、今後の活動の礎としたい。

* 三大原則

** 自由

自由ということは、21世紀に社会が繁栄するために最も大切なことであると信じます。

21世紀の社会では、価値はイノベーション(改革)からしか産まれません。イノベーションを生み出すのは自由な社会です。規制でがんじがらめの社会からはイノベーションは産まれません。

自由な経済、自由な文化活動、自由な市民生活、自由な政治活動を保証することが国家の果たすべき最も大切なつとめであると強く信じます。

極端に安全性を重視するのをやめ、規制を減らすことにより、日本経済は発展し、より住みやすい国になるでしょう。


では、自由主義とは政策の検討過程においてどのような働きをするのでしょうか? 実例に則して見てみましょう。

私はタバコの煙が苦手で、喫煙できる店などにいると、すぐに健康を害します。個人的には、公共の場所はすべて禁煙であるべきだと思います。しかし、それを法律によって強制するべきではないと信じます。なぜなら、法で絶対的に禁止せずとも、間接的に禁煙の場所を増やす政策をとることができるからです。

例えば、喫煙できる店を免許制にして、その免許に対して税を課すとか、優れた排煙装置を義務づけるなどすれば、必然性もないのに喫煙可能にしている店は減ることになるでしょう。

かといって我々は自由放任主義(レッセフェール)にも与しません。なぜなら市場は失敗するからです。

日本にはスターバックスができるまで禁煙の喫茶店というものは皆無でした。スターバックスはあっという間に日本で大人気になりましたが、それまで「禁煙の店に行きたい!」という非喫煙者のニーズは完全に市場から無視されていたのです。市場が必ずしも良い働きをするとは限りません。もし欧米で反喫煙の動きが無ければ、そうした市場は永遠に開拓されなかったかもしれません。

またタバコのように依存性がある事柄は、自由放任主義に馴染みません。なぜなら人間はそうしたものに対して必ずしも合理的な判断を下せるとは限らないからです。タバコなどの麻薬類や賭博などに関しては規制が正当化されると思います。

しかしながらタバコやアルコールの全面禁止という政策がうまく行くはずはありません。そうすれば禁止をかいくぐる人がでるでしょうし、自分に害を与える行為であっても完全に禁止するのは行き過ぎたパターナリズム(父権主義)であると考えます。重い課税などによって対処をしていくのが穏当であると考えます。

** 博愛

自由な経済や自由な社会を作るということは、社会のあちこちで競争が生じるということです。経済や労働の面だけではなく、恋愛や結婚、学習や文化活動などあらゆる点において競争が生じます。

競争それ自体は素晴らしいことですが、競争に負けた人を救う仕組みが必要です。

全ての国民がなんとか衣食住を得て、教育を受け、基本的な医療を受け、子供を養っていける最低限の社会保障は守らねばなりません。人々が生まれによって可能性が閉ざされることが無いように最大限の配慮をするべきです。

また、社会が競争のメリットを得るためには、不正な競争、不公正な社会慣行や不公正な取引から人々を守る必要があります。年齢や性別によって雇用差別が行われたり、国籍や人種によって住宅が借りられなかったりするような問題に対しては厳正な対処が必要です。

日本人は高い勤勉さや道徳心を持ち、世界中で高く評価されています。しかし日本は自殺率も高く、幸福度もGDPから見て十分に高いとは言えません。それには、寛容さや多様性の低さが理由の一つではないかと考えます。

人を単一の尺度で測り、上下関係や社会慣行によって縛ることが、人々の社会適応を難しくしており、それが不幸、不効率をもたらしている可能性があります。

強固な上下関係にもとづく長期間労働は国民の不幸や精神状態の悪化をもたらしているでしょうし、上下関係にもとづく自由な発想や闊達な議論の阻害は、経済的不効率をもたらすでしょう。

また寛容性の無い社会では、国際化やイノベーションの恩恵を受けにくくなります。多様性と寛容さを持った社会作りをしていくことが望まれます。

** 理性

いまの政治を悪くしている最大の原因は、政治においては人々が理性的に行動しないからです。

多くの人は、具体的なテーマであり、かつ自分の仕事などの経験も知識もあり真剣に取り組んでいることであれば、理性的に考えれば、それなりに良い答えを見つけることができます。

ビジネスのような分野では、多くの人が切磋琢磨して、結果的に競争によって、良い事業だけが残ります。そのために我々はすぐれた製品やサービスを享受することができます。

しかし政治においては、主権者である国民は政治について詳しい情報も持っておらず、真剣に取り組んでいるわけでもありません。さらに意思判断を行うべき対象は、多数の人の価値観や利害が絡み合う難しい事柄ばかりです。

そして新聞やテレビなどのメディアは速報性を重視しますので、物事のもつ多面性や複雑さを無視する傾向にあります。

そのためどうしても感覚的、感情的な意思判断を行うことになり、選挙や世論は必ずしも良い決定をもたらしません。

私たちは、社会科学と自然科学の知見を活用し、情報公開と透明性を旨として、感情にながされない論理的で冷静な政治を行います。とくに経済的合理性を大切にして政策を行います。

* 行動規範

** 保守主義の原則

「ものごとがそうなっているのは、そうなったからだ」(コンサルタントの秘密、G・M・ワインバーグ著、63ページより)という原理を尊重します。

すなわち、今の社会の在り方というものは、これまでの人々の在り方や努力の結果としてここにあるものです。そこに良くない点があったとしても、それはそれなりの経緯をへてそのようになっているということです。

むやみに今の社会の在り方を否定して、闇雲に改革に走るべきではありません。

なぜ今の社会がこうであるのかを真摯に見つめて、安全に少しずつ変革を行い、それによって損失を被る人を尊重しながら進めていきます。

小さな変革であってもリスクが少なくメリットの大きいものを、大げさな改革より優先します。

どうせ抵抗する人がいる以上、そんなにすぐに変化を起こすことなんかできっこないのですから。他人のやり方を強制的に変えさせることはできないし、他人にやりたくないことをさせることもできないのです。(コンサルタントの秘密、G・M・ワインバーグ著、166~170ページ)

私たちは理想よりも現実と実利をつねに大切にします。

** 党派主義からの脱却

理想よりも現実を大切にすべきだといっても、票を取るために嘘をついたり、世論におもねって間違った政策を実行したり、意味も無く他の政党を攻撃したりすることは、国民を裏切る行為です。

私たちは、得票数や支持者を増やすことにこだわりません。

私たちの目標は議席を取ることではなく、日本や世界をより良い場所に変えることです。

誰が言ったことであれ、良いことには賛成するし、悪いことには反対します。

** 情報公開の原則

今の日本の問題点の一つは、政府による分かりやすい説明がないことです。現状の情報公開の体制・手法は、分かりにくく、問題の全貌を理解するに足るものではありません。

私たちは可能な限り、全ての情報をわかりやすく公開します。とくに「何が問題なのか」「なぜこのように考えるのか」「どういう手が考えられるのか」などを重視して公開します。

世の中の問題について、マスメディアよりも深く多面的に掘り下げた分析を公開します。

例えば、福岡空港のアップグレード検討プロジェクトなどは良い情報公開を行っていたと考えます。「なぜアップグレードが必要なのか」「どのような手法が考えられるか」などといったことを分かりやすく公開し、現空港の増設案が決定されました。