2016年2月26日金曜日

海外サイトの形だけを真似た日本型クラウドソーシングの問題点

クラウドワークスを使っている受注者で、月の収入が20万円を超えたのが、わずか111名しかいなかったという発表が話題になっています。

多くの人が指摘しているように、これはユーザーがクラウドワークスを通さずに直接取引をしてしまうことによって、クラウドワークス上では多額の取引が行われないという構図になっているのだろうと思います。

なぜそういうことになるかというと、ユーザにとってクラウドワークス上で取引するメリットが全くないからなんですよね。サイト上で取引相手を見つけたら、手数料として高額な5~20%を払わずに直接取引に持ち込む方が圧倒的にお得なので、どうしてもそうなってしまいます。

さらに私も一度使ってみようとしましたが、とても概念が複雑でわかりにくく、使い方も難しいので、案件をポストしたけれど、取引には至らずにやめてしまいました。

こうした問題は、クラウドワークス(やたぶんランサーズ)が深く考えずにUpwork (旧称: oDesk)のような既存の海外クラウドソーシングサイトの形だけを真似たことが原因だと思っています。


以前、本ブログの記事でoDeskを利用して発注した体験談を書きましたが、Upworkというのは国際取引を主軸に据えたサイトなのですよ。インドやらウクライナやら、どっかの遠い国にいる、一度も会ったこともないし、永遠に会うこともないような人達と取引をするためのサイトなのです。

国際取引という性質上、Upworkには、業者が金だけ持って逃げてしまったり、発注者が金を払わないなどという事態を防ぐための機能が多数備わっています。

例えば、前払い金をUpworkが預かって、発注者のOKが出れば業者に支払をするエスクロー(第三者信託)機能や、業者がちゃんと働いていることを確認するスクリーンショット機能などがついているのです。さらに紛争が生じた場合には、商事仲裁機関による仲裁判断によって最終的な法的決着が得られるというサービスまであります。*1

なぜこういう機能が必要かと言うと、国際取引においては、もし紛争が生じたとしても裁判に訴えて決着することが容易にはできないからです。

もしウクライナの会社に金を持ち逃げされたとしても、ウクライナに行って現地の裁判所で訴訟を起こすというのは現実的ではないですよね。もし額が数億円ならともかく、数百万円なら泣き寝入りでしょう。そのために信託機能や仲裁機能がとても大事になるのです。

そのためUpworkは、システムの使い方が複雑になり、そのため使いにくく手数料が高くなってもよいので、このような多種の機能やプロジェクト管理機能を実装しているのです。機能として便利だから提供してるわけではなく、法的にどうしても必要だから実装しているのです。仲裁という紛争解決の仕組みまで備えた、法的な国際取引プラットフォームなのですよ。

だからこそ、ユーザーはUpworkを通じて支払を行うメリットがあり、Upworkを飛ばして直接取引に移行するのを躊躇するのです。

しかし日本国内での取引なら、このような機能は一切必要ありません。紛争が生じたら、実際に会って解決するなり、裁判所に訴えたり、ヤクザを雇って殴り込ませたり、すれば良いのです。

そのため日本のクラウドソーシングサイトには、Upworkのような複雑な機能は必要なく、単に受注者と発注者をつなぐマッチング機能だけあれば良かったのです。そして料金も、仲介手数料を取るのは難しいので、広告料などとして徴収すべきでした。

それなのにクラウドワークス等は、Upworkの形だけを見て、その精神を一切理解することがなく、形だけを真似てしまったので、全くおかしなことになってしまったのです。

これは日本のクラウドソーシング業界にとって不幸なことでした。これから改善されていくと良いのですが…。
  1. 仲裁 - Wikipedia

ちなみに市場の制度設計の問題に興味ある人はこの本をどうぞ。大変良い本です。こういうサイトを作る人は、単にITシステムを作っているのではなく、経済学的な市場を創っているということを忘れないようにしたいものですね。

2016年2月3日水曜日

日本人はなぜ社畜に甘んじるのか? 一人一人が戦わなければ何も変わらない。

私は日本を声高に批判する海外在住者をいつも苦々しい目で見ています。なぜなら世界中には色々な国があるが、どこにも天国などないと私は思うからです。どこの国にも一長一短があり、人によって住みやすい国や成長出来る国などは違うことでしょう。それを日本だけが劣っているようにあおり立てる海外在住者は卑劣だと苦々しく見ています。

もちろん日本にも悪い点や、直すべき点はいろいろあるでしょう。しかし政府が悪い、社会が悪いと言っていても何が変わるでしょうか? 日本に悪い点があるのなら、一人一人が直せる範囲でよくしていくしかないはずです。


世の中の人が、日本について最も不満を抱いているのは、その組織文化ではないでしょうか。とくに職場の劣悪な人間関係や労働条件などは誰もが苦痛に感じているようです。日本の労働環境を素晴らしいという人は見たことがありません。

しかし「なぜ日本の職場環境はそんなに悪いのか」「どうすれば改善出来るのか」について真剣に考えている人がいないのは不思議なことです。

私から見れば、日本の職場環境が悪い理由は自明です。

それは労働者が自分の権利を守るために全く戦おうとしないからです。

彼らはまさに「社畜」の言葉通り、従順に会社に従い、しばしば会社のために我が身を捧げて死んでいきます。それは小中高と奴隷養成学校で育てられた日本人の奴隷根性がそうさせているのです。

労働者や一般市民は、今の生活や権利を、権力者の思し召しで与えられたわけではありません。企業や政府と戦い、ときには血を流して、権利や待遇を勝ち取ってきたのです。みなが従順な社畜であったら、だれがわざわざ良い待遇を用意するでしょうか?

一人一人が、自分の持ち場で、声を上げて戦うことをせずに、なぜ政府や社会の批判ばかりするのでしょうか?

(ちなみに私は共産主義者でもなんでもなく、バリバリの資本主義者であり、経営者であり、複数の従業員を雇用している立場です。労働組合やストライキ権などは、あまりに強い権利を持ちすぎていると思います。それほどの強い権利をなぜ労働者が使わないのか、実に不思議です…)


社内で労働組合を旗揚げしろとか、共産革命に身を投じろとか、そういう無理難題を吹っ掛けるつもりはありません。各人が負担の無い方法で戦えば良いということです。

一番簡単なのは不当な待遇を受けた場合には全てそれをメモや録音などで記録しておき、会社を辞めたタイミングで、それを持って労働基準監督署に行くなり、弁護士の無料相談に行くなりすることです。もし勝訴して十分な賠償金を得られそうなら弁護士は訴訟を提案してくれることでしょう。

弁護士費用の捻出が難しい場合は、一人で加入出来る労働組合(ユニオン)に加入して、ユニオンを通じて会社と交渉したり、ユニオンを通じて労基署に訴えるという手があります。役所の常として労基署も仕事を増やしたくないので、なるべく追い返そうとするかもしれません。「ユニオン 労働組合」で検索すれば多数出てきます。(このパラグラフは2016/3/5に追記)

これを多くの人が実践すれば、会社は労働者に対して不当な扱いをすることを恐れるようになるでしょう。実際に勝訴出来るかどうかは案件によるでしょうが、未払い残業代などは証拠さえあれば勝ち取れるものと思います。さらに勝訴出来なくても労基署や弁護士が介入してくれば牽制球にはなるでしょう。

会社を辞めてから戦うなら何も怖いことはないですよね。

逆に零細企業経営者としては、めちゃくちゃ怖いんですけどね(笑)。日本では大企業以外では複雑な労働関連法規を完全に守って経営できているところはなかなかないと思うのですよ。とくに弊社の場合は、完全在宅勤務なども実施しているので、正確な労働時間の把握など、さらにややこしい点があります。


そして労働者にとって最も大事なことは、仕事のせいで精神や身体に不調を感じたらすぐに辞めるか休職するということです。

元気があり、すぐ転職できそうなら辞めればいいでしょうし、心身の不調で休養が必要であれば休職して健康保険の傷病手当金を受け取るのが良いのでしょうね。病気等で一度辞めてしまうと手当などが受けられないこともあると聞きます。(私も詳しくないので、ここはどなたか詳しい方にコメントなど頂ければと思います)

精神や身体に不調を感じているのに、それが重病になってしまうまで働き続ける日本人は本当に愚かだと強く思います。それも家族がいて、給料の良い大企業に勤めており、転職すると給与が大幅に下がってしまう人ならともかく、若くていくらでも仕事があるような人が身体を壊すまで働く理由がありません。

うつ病は、多くの人がかかる病気なのに、一度罹患すると数年間働けなくなることもざらにあり、さらには一生後遺症を残すことになったり、最悪の場合は死にも至る恐ろしい病気です。

とくにデスマになったら即座に逃亡することを強くお勧めしますね。いくら養うべき家族がいると言っても、お父さんが過労死したり、うつ病になったりするよりは退職する方がマシでしょう?

私の知人で、格闘技などをやっていて、タフさには自他共に自信があった人も、うつ病になってしまいましたからね。デスマの危険というのは恐ろしいものです。


「すぐ逃げるような奴は何をやっても駄目だ」とかいう人がいますが、私はこれまで逃げて逃げて逃げて人生を送ってきましたが、いまは事業をいくつか立ち上げて成功して、わりと悠々自適に暮らしています。

逃げていても、ちゃんと自分の進むべき道をきちんと考えて頑張って生きていれば、それで能力が無くなるとかいうことはないと思いますよ。嫌な仕事から逃げて、楽しい仕事だけ全力でやればいいんじゃないですかね…。

ただ日本人は、嫌な仕事から逃げるというと、すぐに資格勉強とかに走ったりする訳の分からない行動を取る人がいるのですが、そういうのはやめたほうがいいですね。嫌な会社や顧客などから逃避するのが大事であって、自分の人生や本業から逃避してくだらない夢物語に生きるべきではありません。


日本人はあまりに従順であることから会社に舐められています。

サービス残業は明確な犯罪です。

自分が犯罪の犠牲になって黙っていることが美徳ですか? そういう考えの人が増えれば増えるほど、会社はつけあがり、他の多くの労働者が犠牲になります。誰かが我慢して低い待遇に甘んじれば、他の人が犠牲になるのです。

もちろん日本社会自体の構造問題もあるので、一人一人が戦えることには限界もあり、戦うという手段は個人にとっての特効薬ではありません。

しかしもし大多数の日本人が戦うことを選ぶとすれば、社会は一夜にして変わるでしょう。戦わないということは、多くの人々を巻き添えにするということなのです。戦わないで社畜に甘んじるということは、社会を駄目にする許しがたい悪徳だと私は考えます。

さらに言うと、徹夜をしてでも納期に間に合わせて残業代は請求しない、そのような社畜プログラマーがいるから、この業界は良くならないし、まともな経営をしている会社に迷惑をかけていると思いますよ。

社畜プログラマーを雇って顧客の無理難題に安く応えるような会社がいれば、真面目に社員の労働環境を守ってきちんと残業代も払う会社は不利になりますよね? さらには安いIT奴隷工場があれば、パッケージやクラウドや新技術などを活用してまともに生産性向上の努力をする会社の足を引っ張る恐れすらあります。

すなわち社畜は、日本で真っ当な権利を主張する労働者達の敵であり、さらには日本でまともな経営をする会社の敵であり、日本経済の足を引っ張る非国民なのです。

社畜は日本の癌細胞であり、一日も早く撲滅せねばなりません。


追伸: あと日本の組織の人間関係を悪くしているものに日本人のコミュニケーション力不足が根底にあるかと思います。議論や指摘などがまともにできないのね。でもそれはまた別の話だし、解決は難しそう。

2016年2月2日火曜日

プログラマーとはどんな人間達なのか。怒りと寝坊と社会適応と。

(注意:本記事はほぼ個人的な観察と憶測と誇張によって成り立っています。研究などの記述がある記事へのリンクなども含んでいますが、それらはエビデンスレベルが極めて低いものも含んでおり、全てを正しい事実として扱うべきものではありません。)

プログラマーとはどんな人間なのでしょうか?

職業プログラマーの多くは、ごく普通の善良な市民であり、多くの普通の日本人と変わらない人々だと思います。たまたま就職先がソフトウェア企業だったからプログラムを仕事にしているという人々です。

本稿では、もっとややこしくて魅力的?なナチュラル・ボーン・プログラマー達の話をしたいと思います。

プログラミングにおいて高い能力を発揮する人々の一部は、しばしばちょっと変わった個性を持っています。もちろん人それぞれ違うので、一概にまとめることはできませんが、ちょっと変わった人が大勢いるのが事実です。

そのなかでもとくに目立つ個性が二つあります。それは「怒り」と「寝坊」です。


ある種のプログラマーというのは、何か知らないが常に怒っています。

日本のIT業界では、一時期「モヒカン族」や「マサカリ」などという言葉が流行りました。他人の誤りなどを見つけたら容赦なく攻撃するというような意味だったかと思います。

間違ったことを見つけると「間違っている!」と言わずにはいられないのがプログラマという生物のサガであるようです。

間違いを指摘するときは、丁寧かつ穏便な方が良いのではないかと思うのですが、そのときに強烈に怒ってキツい口調で否定してしまうような人も多くいます。

とくに複数の外国語に堪能なプログラマーというのは、なぜか知らないが、強烈なレベルにまで怒り狂っていることが多く、怒りのあまり収拾が付かないようなブログを書いてる人が3名います。

そのうち二名はかなり怖いので実名を挙げるのをためらいますが、一名は「アスペ日記」という名前のブログを書いている方です。

この方は他人が翻訳して無償で公開した文章に対して「そびえ立つクソの山だ」という評を書いて物議を醸しました。

それだけなら単なる罵詈雑言というだけの話で、何も珍しい話でもないと思うのですが、そこから先、この人がその正当化として言ったのが「これは訳という作品についての批評であり、個人攻撃ではないから何も問題はないのだ」という言葉です。

ここには、なんというか一般社会や他人の気持ちというものに対する洞察が全く欠けているなあ、と思いました。自称のようにアスペルガー症候群なのかどうかわかりませんが、かなり特異な個性を感じます。


プログラマの怒りというのは、うまく働けば社会や人生を良い方に変える場合もあるだろうと思います。また社会全体が良くなるためには、怒りを持った人々がその怒りを良い方法でぶつけていくことで、社会を改善するという作用も必要なことは間違いありません。

しかしその怒りの表出の仕方があまりに他人に受け入れられないものになると、単なる暴言どころか、下手したら訴訟沙汰や解雇沙汰にもなりかねません。

そのためにもプログラミングコミュニティは、「モヒカン」だの「マサカリ」だの言わずに、きちんと穏便な方法で怒りを表明したり、なるべく冷静かつ丁寧に間違いを指摘することを推奨するような考え方が必要なのではないでしょうか。

怒りをうまく社会をよくするために使う。

怒りをうまく自分の人生をよくするために使う。

そんなことができたら良いのになと思います。(次の記事はそんな話を書こうかと思っています)


プログラマは夜型だとよく言われます。

本格的なソフトウェア企業で、毎朝9時に全員が出社しなければならない企業など聞いたことがありません。もしそのような企業を作ったとしたら、優秀なプログラマは絶対に応募しないので、すぐに潰れてしまうのではないでしょうか。

ドワンゴという会社などは、社員が午前中に出社してくれるように午前10:30にジャージ姿の女性が弁当を配布し、一緒に体操をするという試みまでしたそうです。

10:30に出社するのが早朝出社というのがこの業界。10:30に出社すれば朝に強い人扱いです。昼や午後になって出社してくる人も決して珍しくはありません。

既に広く合意が得られた睡眠学的な観点から見ると、まず10代後半~20代くらいの若い人の多くは睡眠リズムが自然に夜型になっており、そういう人は朝早く起きると能力が著しく低下するという現象があげられます。また成人でも3割の人は遺伝的に夜型となります。

プログラマはとても集中力のいる仕事なので、私の場合は少しでも睡眠不足などで能力が低下していると全く使い物になりません。そのためプログラマには出社時間を遅らせてでも集中力を確保して仕事してもらったほうがいいのです。


しかしプログラマの一部にはそれだけでは説明出来ない夜型傾向があるように思えます。

夜型の人間というのは創造性が高く、独立心が強く、論理的であるという説があります。

さらには、発達障害の人間は、極度の夜型などの睡眠リズム障害を併発しやすいという説があります。

要するにナチュラル・ボーン・プログラマというのは脳味噌がどっかポンコツであるために、それゆえに性能が出せている生物であるということ。(中にはポンコツでないのに超高性能を発揮している卑怯な人もいますが…)

冒険的な移民の子孫である米国人は、ある種の発達障害などの遺伝子を多く持っており、それが米国の創造性や独創性などを担保しているという説があります。米国では多くのポンコツ遺伝子を持った人がおり、そのなかでポンコツ性が低くて高い才能を発揮する人が、社会の発展に貢献しているのかもしれませんね。

ポンコツ人間よ、がんばろう! 日本を変えるのはポンコツ人間しかいない!