2013年11月26日火曜日

なぜ日本でカジノ解禁なのか? 政治経済的に必要な配慮を考える

日本では最近、カジノを解禁しようという動きが盛り上がっています。

私は自由主義者であるので、ことさらに他人が賭博するのを咎め立てしようとは思いませんが、現在のカジノ解禁に向けた議論には多くの穴があると考えられます。

まず広く認識されていることとして、賭博は社会にとってはマイナスの働き(負の外部性)を持っていると考えられます。賭博は、困窮者を増やしたり、それによって犯罪や福祉費を増やしたりすることで社会に負の影響を与えます。要するに他人を困らせて利益を得ているということです。

また賭博はしばしば暴力団の資金源になったり、汚職官僚や汚職政治家や政治後援者の資金源となり、社会に腐敗をはびこらせます。新設されるカジノがどのような運営形式を取るとしても、警察の天下り先を増やすことは間違いないでしょう。

とくに現在、新聞などで報じられているように、特定の企業などに特区を作らせてカジノを運営させる方式だと、そうした企業に大きな利権を認めることになり、腐敗の原因となります。もっと広い層が参入できて利益を得られるようにすべきではないでしょうか?

賭博は先に述べたように社会悪ですので、賭博の胴元が得る利益の多くは税金などの形で社会に還元させるようにせねばなりませんが、そうした議論が不足しています。

もし賭博事業者が大きな利益を得るようになれば、その利益を使って新規出店やマーケティングを繰り返し、賭博利用者が増えすぎて、困窮する人も、悪事で儲ける人も増えすぎることでしょう。

そうしたことを考えると賭博事業者が胴元となって賭博ユーザーの負け分を利益として青天井に儲けることを許すべきではありません。

あくまで時間あたり少額の場代(遊戯料)を利益として取れるのみにするべきです。プレイヤーがそれ以上負けた分は税金として公の取り分にするか、他のプレイヤーの取り分にするべきです。

遊戯料を取るだけの事業を広く許すことにすれば、既存の賭け麻雀のような文化も合法化することができますし、腐敗官僚や政商の取り分も少なくすることができます。自由主義の観点から言っても良い手段です。

また既存のパチンコのような社会問題にしても、彼らも少額の遊戯料のみを得られるような規制を適用すれば、公平な観点から社会悪を規制することができます。

これは現在のように腐敗警察官僚によって運営される脱法行為である三店方式よりもずっと公正で透明な制度です。

場代を取るだけの賭博のようなことは株式や外貨取引を利用すればいくらでも合法的に行うことができるので、それに比べて社会悪を大きく増やすわけではありません。


さて、とりわけ「カジノを解禁して海外旅行者を誘致しよう」みたいな議論には、いくつもの大きな陥穽があることに注意すべきです。

カジノで本当に海外旅行者を誘致するだけなら、日本居住者は遊べないような制度にすべきです。そうすれば社会悪の影響を減らして、海外旅行者を誘致することができます。「海外旅行者を誘致する」といったお題目で日本人も入れるカジノを建設するような甘言に騙されてはなりません。

カジノで海外旅行者を誘致するなどといっても、日本の近くだけでもマカオ、韓国、フィリピン、シンガポール、カンボジアなど数多くの国にカジノがあります。このような状況下で、カジノを作っただけで本当に海外旅行客が誘致できるのでしょうか?

「カジノを作って海外旅行客を誘致」という砂上の楼閣のようなプランに、政治家がのせられて貴重な政治能力を浪費するべきではありません。

ましてや、そのような甘言を弄して日本人を危険な賭博に誘い込み多額の金を巻き上げようとする政商どもに甘い蜜を吸わせるべきではありません。

政治家がやるべき仕事はもっと他に重大なものがたくさんあるのではないでしょうか?

2013年11月23日土曜日

反ワクチン運動という極めて悪質なデマの流布と戦おう

いま世界的にワクチン反対の運動というものが盛んになっています。

ワクチンは危険であるとか、効果が無いとか、とにかくワクチンが有害無益であると主張して、ワクチンの接種を拒否するようにそそのかしたり、ワクチン自体の開発や普及に反対したり、悪質なデマを流布する人々が増えています。

もちろんワクチンにも副作用はありますし、過去には危険性の高いワクチンなどが使用されていたこともありました。今後もワクチンの副作用などで問題が起きることはあるでしょう。

たしかに日本の厚生労働省は極めて怠惰で悪質な官僚集団であることは間違いありません。彼らは古い危険なワクチンを平然と使い続けたり、有用な新しいワクチンの普及をためらったりする、日本の官僚の中でも最悪の既得権集団です。彼らを擁護できる理由は何一つありません。

しかしワクチンにはそうした問題を考慮したとしても、それを大幅に上回る有益性があることは間違いの無い真実です。


ワクチンの有用性は、歴史的にも科学的にも完全に実証されています。

ワクチンが天然痘を撲滅したことはどんな教科書にも載っています。ポリオもいままさに根絶に向けた最後の一押しが進んでいます。10年後、20年後にはポリオも根絶された病気となることを期待します。

新しいワクチンの採用に関しては各国で厳密なテストが行われ、副作用などが最小で済むように、そして有用性がリスクを必ず上回るように厳格に管理されています。

ワクチンは100%安全でもありませんし、100%有益なものでもありません。しかし正しく使えば、接種を受けた人にとって極めて有益であり、人類社会にとって病気と闘うための最強の武器でもあるのです。

もちろんワクチンには一定の問題や危険性もあります。

しかしワクチンを否定する論には、極めて多くのデマが含まれており、さらにはワクチンを一律に有害無益として、接種を拒否するように煽動するなど、悪質な論者が多いのが問題です。

ワクチンを拒否する人は、自分の子供を危険な感染症の被害にさらすだけではなく、社会全体に感染症を流行させて、周りの人々をも危険にさらしているのです。

世の中には免疫不全症患者や卵アレルギーの人など、ワクチンを接種することができない人もいます。そうした人であっても、もし社会全体で多くの割合の人がワクチンを接種していれば、そうした弱い立場の人々も病気から守られるのです。これを集団免疫(herd immunity)と呼びます。

ワクチンを否定する悪質なデマは、健康食品やスピリチュアルなどの愛好者から世界的に広まっており、狂信者といっても良いほど強く信じ込む人々を増やしています。そして、いままさに日本にどんどん上陸してきている状況です。

こうしたデマによる子供や弱者への健康被害を、われわれはなんとしても防がなければなりません。


個々のワクチンを誰がどのように接種すべきかについては、医学的な議論の余地があります。

ワクチンの有益性の評価や、安全で効果の強いワクチンを安定して供給することには、技術的な難しさや、コスト面での課題も多く、まだまだ改善の余地のある分野です。そうした点について議論をすることは大変有益です。

こうした議論はワクチンを一律に否定する悪質なデマとは全く別の物です。しかし、ときとして悪質なデマが、正しい議論とまぜこぜにされて表現されているので注意が必要です。

たとえばインフルエンザワクチンは幼児には絶大な効果を発揮し、幼児の健康リスクを大幅に低減させることが確実に実証されています。しかし高齢者においては、インフルエンザワクチンの効果はそれほど確実に実証されているわけではありません。

最近開発されたコレラワクチンは、まだ効果や有用性があまり実証されておらず、WHOなどもあまり強く推奨していない状況です。新しいワクチンの有用性が実証されるには、時間がかかるでしょう。

2012年8月まで長い間利用されていた生ポリオワクチンは、ごくまれにポリオを発症させるという極めて危険な副作用を持っていました。そして日本では野生型ポリオウイルスに感染するリスクは極めて低いというか、ほぼゼロに近い状態でした。それにも関わらず、アメリカでは1987年に認可された安全な不活化ワクチンに早期に切り替えなかった厚生労働省は未必の故意による薬害犯罪者であることは間違いありません。

それに対して、HPV(ヒトパピローマウイルス)のワクチンの有益性は極めて高いものであり、こうしたワクチンの普及を渋っている厚生労働省は、ここでもまた多くの病気の犠牲者を生み出している不作為による殺人者と言っても良いでしょう。

また麻疹や風疹などのワクチンについても有益性は極めて高いと考えられていますが、日本では長い間、おたふく風邪ワクチンによる三種混合ワクチンの副作用の問題が発生して接種が中断していました。これももっと早期に解決することができたと考えられますが、そうしなかったのは厚生労働省の怠惰です。

しかし、こうした科学的で有益な議論と、反ワクチン運動の悪質なデマは、厳しく峻別されるべきであります。


私は、必ずしも反科学主義や反知性主義を片っ端から攻撃することが科学の普及のために役立つとは思っていません。それどころか、あまりに攻撃的な姿勢は科学の普及を妨げると思っています。

しかしながら反医学主義や反薬剤主義のような主張で利益を得ている人々や、イカサマ健康食品などは、多くの患者を苦しめている詐欺師・偽医療家集団であり、もっと強い規制が行われるべきであると思います。

そのなかでも、反ワクチン主義は、自分で自分を守ることができない弱い子供を犠牲にし、社会全体に病気を蔓延させ、ワクチンという最も有益な道具の普及を妨げる、デマのなかでも最も悪質なデマの一つと言っても過言ではないでしょう。

人種差別発言などと同じく、最も憎むべきデマであり、社会から徹底的に排除されるべき煽動行為です。

そして反ワクチン活動で利益を得る"自然療法家"や健康食品メーカーなどの人々は、危険かつ有害な偽医療家として投獄されるのが当然と言えるでしょう。

私は、反ワクチン運動を強く憎みます。なんとしてもこの愚かな運動が大いなる悲劇を引き起こすことを食い止めなければなりません。

2013年11月21日木曜日

なぜ起業チームにはプログラマーが必要なのか

IT産業は起業にもっとも向いた産業とよく言われます。

当初の資本金はあまり必要でなく、無難なビジネスモデルを構築すれば、早期にお金が入ってきますし、とてもうまく行けば人数などを増やすことなく加速度的に売上を増やしていくことができます。

しかしITビジネスを作り上げるためには、創業メンバーにプログラマーがいなければうまく行きません。

ITビジネスにおいて、ソフトウェアシステムとビジネスは密接に結びついているため、ビジネスとシステムのすりあわせをできるプログラマが創業メンバーにいなければいけないのです。

単なる外注や、一従業員のように受け身の立場でシステムを構築する人は、システムの仕様がきっちり決まっていればちゃんとした仕事をしてくれるでしょう。

しかし、システムの仕様を決めるのは、ソフトウェアの高度専門家でなければできない仕事です。

かといって通常の会社に外注して仕様を決めてもらおうとしても、ビジネスに対するオーナーシップを持っていませんから、システムの必要性からビジネス自体を変更したりすることができず、中途半端な仕事に終わってしまいます。

システムの仕様決定には、ビジネスのオーナーシップを持つ創業者レベルの人が携わるのが望ましいのです。

またシステム作成と仕様作成は一貫して同時並行して行うことが望ましいのです。なぜならシステムを作っている途中で、新たに設計上、ビジネスを変更したりする必要が明らかになるからです。

しかし外注する場合は、予め仕様を決めて発注しなければ、予算が確定しませんので、契約を結ぶのが難しくなります。

予め仕様を決めて発注してしまえば、予算は確定しますが、こんどはできあがったものが思うようにビジネスに適合するとは限らなくなります。


そういうことから、可能な限り、プログラマを創業メンバーとして迎え入れて、給料ではなく志に共感してくれて、株式をシェアすることで一緒にやってくれる人を探すことをおすすめします。(なかなかそういう人はでてこないとは思いますが)

もちろん「給料がなければ嫌だ」という人でも仲間にいれて良いと思いますが、とにかく企画レベルから参加してもらい、プロジェクトのオーナーの一人として扱うことが大切です。

単なるシステム開発会社に外注してシステムを作ってもらうというやり方では、IT起業が成功する確率は大幅に下がることでしょう。

プログラマではない人が、優秀なプログラマを探したり、優秀なプログラマを見分けることはなかなか難しいので、そこは悩みどころですね。

とはいえ、きちんと責任をもってチームメンバーとしてプログラムを書いてくれる人であれば、平凡な能力なプログラマーだとしても、外注先の優秀なプログラマーよりもマシであると僕は思います。

私自身は現在プログラミングの仕事はお受けしておりませんが、ITビジネスの企画・戦略・仕様策定のお手伝いなどのお仕事や、優秀なプログラマを抱える会社の紹介などしておりますので、 arai@mellowtone.co.jp までお気軽にお問い合わせください。

あと最近ではソニックガーデン永和システムマネジメントのように、プロジェクトのオーナーシップを持って共同開発という形でシステムを作ってくれる会社もあるようなので、プログラマがどうしても見つからなければ、そうした会社に依頼するのも一つの手かもしれません。

ではでは。

2013年11月9日土曜日

関税は日本の庶民を貧しくさせ、不健康にし、海外の農民をも貧しくしている

日本では農作物などに多額の関税や輸入制限がかけられています。

これは日本や日本国民にとって大きな害をもたらしています。

なぜなら食料品にかかる関税は、日本国民が安価な野菜などを購入することを妨げており、そのせいで庶民の生活は苦しくなり、庶民は安価な野菜が購入できないことにより不健康な食生活を強いられることになるからです。

関税というのは、直接徴収されるわけではないので、市民としては払っている実感の薄い税金です。しかし、実際には高い日本の農作物を買わされたり、海外の食料品が関税によって高くなるなどといった形で、市民から徴収されている税金の一種なのです。

目に見えない、厄介な税金です。


経済学的には関税は極めて厄介な存在です。

例えば、日本で米を作るのをやめて、タイやカリフォルニアで日本米を生産すればずっと安く上がるでしょう。そして日本では、その分の労働力で精密部品などを作れば、ずっとお金を儲けることができます。

関税は、そうした経済原理が働いて社会をより豊かにすることを妨げる存在です。

やはり日本の美味しくて安全なお米が食べたい、という人もいるかもしれませんが、今の日本の商社などは海外でも手広く事業を展開していますので、契約農場でこしひかりなどの日本の品種を安全に育てることが可能です。タイあたりでは有機栽培農場も徐々に登場しつつあります。


関税は、たしかに日本の農民を保護することにつながります。日本では東京に比べて地方や田舎の所得は低いので、農民には何らかの保護が必要なのは確かです。

しかし日本の農民を保護する方法としては、他にも農作物への補助金、所得補償や、都市への移住・教育補助など、さまざまな支援方法があります。

日本で零細農家をそのままの形で保護する以外にも、そうした人が都市へ移住して新しい仕事についたり、もしくは農業でも国際競争力のある日本でしか作れないような特化した農業や、大規模農業などに転業するなど、さまさま競争力を高める方法があります。

関税という縛りがなければ、自治体や政府は、補助金をさまざまな形で投入することができます。

たとえば農業のかわりに工場を誘致すれば、農業をやっているよりも収入が上がるかもしれません。高付加価値の作物に転作を促すことに使えるかもしれません。

また日本には農家以外にも多くの困窮している人がいますが、飲食店などのサービス業に勤めるような人はこうした保護を一切受けることができません。関税という支援策は、不公平であると言えます。

さらに「関税の聖域」があるせいで、日本は海外との自由貿易協定などの締結で不利な立場に立たされます。日本の自動車や電子部品などは、より不利な貿易条件を強いられることにもなるのです。これは国益を著しく損ないます。


関税がなければ、海外の農民、たとえばミャンマーやカンボジアなどの農家は日本に米を輸出することができて、より多くのお金を得られるようになります。

農業国には貧しい国が多く、こうした国を支援しようという志を持った人は日本にも大勢いますね。しかしNPOなどとして現地に渡って小学校を建てるなどしても、救える人はごくわずかです。

関税を廃止することは、NPOだのが援助するよりも、よほど効果的に農民を貧困から救います。


関税は、日本の庶民を貧しくし、不健康にし、農家を不効率な農業に縛り付け、日本の産業競争力を損なう諸悪の根源です。

関税は、農協のような既得権者が、地方住民や一般市民を犠牲にして既得権を守り続けるための施策です。

関税の廃止のために声を上げましょう。