2013年1月23日水曜日

学習の方法 / Courseraと拡大する格差


いま私の東京の友達の間ではCourseraというオンライン学習サイトが小さなブームになっています。これは、米国のトップ大学のトップ教授たちの講座が無料で受けられるもので、すごい面白くて役立つ授業がたくさんあります。

Courseraや学習について、とりとめのない話をいろいろと書いてみます。本当にとりとめがない随筆なので、軽く読み飛ばしていただければと思います。つまらなかったらごめんなさい。


私はCourseraでは、Machine LearningとAlgorithms: Design and Analysis Part1の授業を修了し、いまはPart2に取りかかっています。そこまでの感想などをまずお話しします。

Courseraは真に革新的なオンライン授業を提供していると思います。画期的である理由は以下の通りです。

1. (これらのコースでは)教授がものすごく教えるのが上手であり、熱意をもって、素晴らしい講義や教材を提供している。
2. 適切な試験や課題などを提供することで、講義を聞くだけにとどまらず、きちんと手を動かして学ぶためのコースとして成立している。
3. 修了するとpdfで修了証がもらえるので、ちょっと頑張ろうかなという気になる。
4. 授業のスケジュールが決っているので、いちど登録したらスケジュールに沿って学ばなければならない。そのため独習とちがって、ペースが遅くなりすぎて投げ出してしまうことが少ない。

私がとったコースは本当に素晴らしい授業内容であり、こうしたものが提供できるのであれば、大学で教授がライブで講義する必要というのはゼロですね。講義はすべてビデオにして、わからないところだけ教えてあげたり、試験や課題だけ大学においてチェックするような仕組みになっていくのではないでしょうか。

私は中卒で独学でプログラミングを学んだので、計算機科学もわかりませんし、数学もちんぷんかんぷんです。それが、これらの授業を受けたことで、プログラマーとしての可能性が大きく広がったと思います。弊社の事業にもいろいろと活かす方法が思いつき、とにかくわくわくします。

ただし、ビデオ講義だからといって優れているとは限らないのですよね。日本の放送大学は長年にわたってビデオ講義を提供していますが、その品質は「悲惨」の一言です。どの講義も、あまりに退屈で意味不明すぎて、とてもじゃないですが見られた代物ではないですね。なぜこれほど品質に差がでるのか、正直いって不思議です。Courseraでも、今後、コースが増えてきたら品質が下がってしまうのではないかと不安です。

もしCourseraがこの水準の授業を数百~数千コース提供できるとしたら、高等教育は完全に変わってしまうでしょう。英語圏の大学はすべてCourseraによる授業に切り替えるのではないかと思います。そうなれば、日本も政府が予算をとってCourseraを翻訳提供するなどの措置が絶対に必要になるでしょう。それほどレベルが高い授業です。

ちなみに社会人がCourseraを受けるなら、一度に一つの授業を受けるのが限界だと思います。一つに絞って、なんとしても修了する気概で食らいついてください。正直、Algorithm Part2は終盤かなり難しくなってきて、かなり苦労しております・・・


今月、東京でCourseraユーザーの小規模なオフ会を開きました。日本では、どういう人がCourseraをやっているのか、何の目的でやっているのか、興味があったからです。

結果から言うと、参加者は外資系超一流企業のエリートの方ばかりでした。

まぁ英語で大学レベルの授業を自主的に受けようという人は、そりゃエリートに決っているかもしれませんが、ちょっと厳しい結果だなと思いました。ちなみに、オフ会自体も英語でやったので、その点でもバイアスはあるかもしれません。

私のように高校にも大学にも行かなかった人間にとって、Courseraのような無料オンライン教育というのは、素晴らしい機会です。それによって社会の格差が縮まれば素晴らしいなあ、と思っていました。

しかし現実には、日本においてCourseraは格差を拡大する方向につながってしまいそうです。エリートほどCourseraの恩恵を受けて、スキルを強化していくでしょう。

残念ながら日本の中卒・高卒および二流大学卒の人の多くは、大学の授業が受けられるレベルで英語ができたりしないでしょうし、高校レベルの数学の知識なども欠いているでしょう。

なによりも、多くの非エリートの人に欠けているのは、自分の知識と学力でもって社会で成功してきた成功体験ではないでしょうか。

日本の教育制度や学習者の姿勢というのは、とにかく学歴と資格の二つに集中しています。学ぶことによって、それがどのような役に立つかということは二の次で、とにかく試験勉強ばかりです。

試験は「何を学べば良いか」「どれくらい達成できているか」について、大まかな枠組みを与えてはくれますが、やはり「どんな知識が得られるか」「どう社会で役立てるか」に比べれば、ずっと些末な達成目標です。試験勉強に偏重した日本の勉強法はいまの時代にそぐわないと感じます。

Courseraをいくら学んでも資格はもらえませんので、Courseraで学ぼうという人は、資格にもならない勉強を自力で学ぶだけの意欲があるということです。このような姿勢がこれからの社会ではとても大切になると思います。


じゃあ、エリートでもない人間が具体的に何をどう学べば独力で成功できるのか?

いま間違いなく役に立つのはプログラミングではないでしょうか。プログラミングができれば、中卒で地方在住でもなんとか家族を食べさせられるくらいの給与は得られますし、仕事に困ることもないでしょう。

そこそこの学歴と何らかのスキルがあるなら、英語もすごく役立ちます。大卒以上で英語とプログラミングが上級なら、東京ではすごく良い仕事が得られます。学歴やスキルがない人は、英語ができても良い仕事にありつくのはちょっと難しいかもしれませんね。残念ながら地方では英語ができても、まともな仕事はないでしょう。

ま、仕事に役立たなくても英語は学ぶ価値があると思います。英語ができなければ、文盲と同じですから。世界の99%を見ることも知ることもできずに生きていくというのは、あまりにむなしい生き方だと思います。井の中の蛙でよいのですか。

Courseraのようなものが、これからどんどん発展して、それが日本語に翻訳されないとするならば、英語を学ぶことは誰でも必須になってくるでしょうね。それくらいCourseraは画期的です。

学習法についてうだうだ書くつもりはありませんが、とにかく気合いをいれて学ぶしかないでしょうね。いまどき英語やプログラミングくらい誰でもできて当たり前という心構えで臨んでください。時間も根性も必要ですが、やるしかないのです。